第十三章(3):明かされる真実と、予期せぬ再会
「エリアス様!お願いです!お母さんを助けてください!」
私の悲鳴にも似た声に、エリアス様は困り果てたように首を振った。
「うむむ…これは想定外だった。彼女の強すぎる思いが宝珠とアクスタの力を増幅させてしまったようだ。私でも、別の世界に行った人間をすぐに引き戻すことは難しい。それに、どの世界に行ったのかも特定できていない」
ルシアン様が静かに口を開いた。
「エリアス。彼女が向かった先は、我々の世界である可能性が高い。あの物語のモデルである世界、そして我々の故郷。宝珠の共鳴、そして何よりも陽子殿がその世界を心から望んだこと。この二つの条件が重なれば、転移の扉は開かれるだろう」
アルドロンさんが腕を組み、深く頷いた。
「確かに。そして、彼女の手にあったのは、セラフィナの婚約指輪だ。それは我々の世界へと繋がる宝珠の分身。転移する力が最も強くなる」
「私もそう思うわ!」とローゼリアちゃんも同意する。
カスパール君が「チッ」と舌打ちをした。
「ったく、余計なことをしやがって…」とぶっきらぼうに呟くが、その表情には明らかな焦りと心配が浮かんでいた。
エリアス様は、私たちの顔を順番に見回した。
「そうか…一度私の方でも神界に戻り、ガイアと連絡を取ってみよう。彼女の力ならば、陽子さんをこの世界に戻すことも可能かもしれない」
エリアス様は、そう言うと、再び光の粒子となってその場から消え去った。
私たちは、母、陽子が異世界へ転移したという衝撃的な事実と、エリアス様からの助けを待つしかないという状況に、ただただ立ち尽くすしかなかった。胸の奥に、重い不安がのしかかる。
仕事を終えた父、剛が帰宅した。
玄関を開けた途端、リビングの異様な雰囲気に気づき、眉をひそめる。
「ただいま。……陽子?どうしたんだ、みんな揃って。何かあったのか?」
父の問いかけに、私は震える声で答えた。
「お父さん…お母さんが、異世界に行っちゃったの…!」
父の顔が、みるみるうちに怒りに染まる。
「まだそんな馬鹿げたことを言っているのか、花!いい加減にしろ!陽子はどこにいるんだ!?隠しているのか!?」
彼は、信じられないという顔で私を睨みつけ、怒鳴りつけた。
私は必死に、今日見た映像のこと、エリアス様が現れたこと、そして母が、異世界に行ったことを説明しようとしたが、父は耳を貸そうとしない。
「信じて、お父さん!本当なの!」
私の懇願も虚しく、父は怒りを爆発させた。
「とにかく陽子はどこにいるんだ!いい加減にしろ!こんなふざけた話はもうたくさんだ!」
お父さんは、家の中を陽子の名前を叫びながら探し回った。しかし、お母さんが見つかるはずもない。彼は、不安と怒りが入り混じった表情で、憔悴しきっていた。
そのまま、時間は無情にも過ぎていった。 夕方になっても、母からの連絡はなく、エリアス様も戻ってこない。
私たちはもう学校どころではなく、佐倉家でじっと母の帰りを、そしてエリアス様からの報告を待つばかりだった。
リビングには重い空気が漂い、誰もが言葉を失っていた。
翌日の午後、私の部屋でルシアン様たちが沈痛な面持ちで座っていると、突然インターホンが鳴った。
私が玄関に出ると、そこに立っていたのは有紀と健太郎だった。
「花!大丈夫なの!?突然教室から飛び出して学校に来ないから心配して…」
有紀は私の顔を見るなり、すぐに駆け寄ってくれた。
「有紀、健太郎…心配してきてくれたんだね、ありがとう」
私は二人をリビングに案内する。彼らの顔には、私を心から案じる色がはっきりと浮かんでいた。
健太郎も何か言いたげに口を開きかけたが、リビングのソファで消沈し、うつむいている父の姿を見て、言葉を詰まらせた。
「佐倉先生…」
健太郎が声をかけると、父はゆっくりと顔を上げた。その目は充血し、表情は憔悴しきっていた。
「ああ、健太郎君、有紀ちゃん…」
父の、力ない返答に、健太郎は目を見開いた。普段の厳格な父からは想像もできないほど、やつれ果てた姿に衝撃を受けたのだ。
ふと、その時、ルシアン様と視線が合う。二人の間には、まだ気まずい雰囲気が漂っていた。
しばらくの沈黙の後、健太郎は意を決したようにルシアン様を見据えた。
「ルシアンさん、ちょっと話があるんですけど…」
健太郎は、そう言ってリビングからルシアン様を連れ出し、家の裏手にある庭に足を踏み入れた。
有紀は心配そうに私たちを見つめていたが、私はそっと首を振った。
―――庭には、冬の枯れた芝が広がり、冷たい風が吹き抜ける。
健太郎は、ルシアンに背を向け、ぎこちない沈黙が流れた。
「…この間は、すみませんでした」
健太郎の口から出たのは、意外にも謝罪の言葉だった。
ルシアンは、何も言わず、ただ静かに彼の背中を見つめている。
「あんたが、本当に魔王だってのは、あの時、身をもって知りました。花の心を弄んでるなんて、ひどいことを言ったのも、本当に申し訳なかったです」
健太郎は、そう言って深く頭を下げた。
ルシアンは、その謝罪を静かに受け止めた。しかし、彼の内では、あの時の魔力暴走が、この謝罪を引き出したのかという複雑な感情が渦巻いていた。
「俺は、ずっと…ずっと、花が好きでした」
健太郎の声は、震えていた。
「花と知り合ったのは、小学校高学年くらいの時です。その頃にはもう、花の中には『ルシアン様』しかいない感じでしたね。俺がどんなに頑張っても、花の心には届かない。花は、いつも、あんたのことばかりでした」
健太郎は、自嘲するように口元を歪めた。
「花は四月生まれで、桜の花が咲き誇る頃に生まれたそうです。それで、『桜の花』から『佐倉花』と名付けられたって聞きました。あの、ルシアンさんの世界にも、誕生日というものがあるんですか?」
突然の問いかけに、ルシアンの涼やかな瞳がわずかに揺れた。
「ああ、もちろんある。生命の始まりを祝う日だ」 ルシアンは、静かに答えた。
「そうですか…。俺が、花に桜の花の髪飾りをプレゼントしたんです。花が中学一年生の時、初めて全国大会で優勝したのと、誕生日が近かったから、記念にあげたんです」
健太郎は、遠い目をして、過去を懐かしむように語った。
その言葉を聞いた瞬間、ルシアンの体が、わずかにビクッと震えた。
桜の髪飾り。ルシアンの胸に、複雑な感情が去来する。
「俺は、特別な想いで、その髪飾りをあげたんですけどね。花は、後日『付けてたらいいことあったよ!』って、嬉しそうに報告してきて…。何かと思ったら、全部あんたに関することなんです。ルシアンさんのことばかり。はは、俺も大概ですよね」
健太郎は、乾いた笑いを漏らした。
ルシアンは、どう反応すべきか戸惑い、一瞬言葉に詰まった。
これほどまでに純粋で、しかし報われない想いを吐露されることに、ルシアンは困惑しつつも、健太郎の誠実さに静かな敬意を覚えた。
「…ルシアンさん。花のこと、どうか、よろしくお願いします」
健太郎は、真っ直ぐにルシアンの目を見つめ、深々と頭を下げた。
その声には、長年抱き続けた想いへの諦めと、大切な友人の幸せを願う、純粋な気持ちが込められていた。
ルシアンは、健太郎の言葉を静かに噛みしめた。彼の蒼い瞳には、健太郎の真っ直ぐな心が映っている。
「もちろんだ。俺が、セラフィナを必ず幸せにする。二度と、傷つけたりはしない、お前の、その純粋な想いに報いるためにも」 ルシアンは、そう言って、固く頷いた。
その言葉には、魔王としての絶対的な自信と、セラフィナへの揺るぎない愛が宿っていた。
健太郎は、そのルシアンの言葉に、ようやく安堵したように、小さく息を吐いた。
二人の間に、今までにはなかった、男同士の信頼が芽生えた瞬間だった。―――
***
そのまま、母が戻らない状態で数日が経った。
父は、心配で憔悴しきっていた。
陽子が行きそうなところを全て捜し歩いた。
当然、見つかるはずもなく、遂には帝都警察に捜索願を出すことを検討し始めていた、その矢先だった。
この日も、私とルシアン様、アルドロンさん、カスパール君、ローゼリアちゃん、そして健太郎と有紀もリビングに集まっていた。
重い沈黙が続く中、誰もが疲れと不安を隠せないでいた。
その刹那。
突然、リビングの中央に眩い光がほとばしった。
その光が収まると、そこに立っていたのは……。
「お母さん!」
私は叫び、お母さんに駆け寄って強く抱きしめた。
温かい母の体に触れ、私は安堵と喜びで号泣した。
「お母さん!心配したんだから!」
私の背中を優しく撫でながら、お母さんが微笑む。
ルシアン様たちも、心から安心した様子で頷き合っている。
父は、憔悴しきっていた顔を凍り付かせ、目の前の光景に文字通り呼吸を忘れていた。
彼が何日も探し求めていた妻が、目の前で、ありえない光とともに現れたのだ。
その目は、信じられないものを見るように大きく見開かれ、完全に言葉を失っている。
健太郎と有紀も、まるで時間が止まったかのように立ち尽くしていた。目の前の現実が、自分たちの常識を遥かに超えていることに、ただ呆然とするしかなかった。
ふと、母、陽子の服装に目がいった。
そこにあったのは、見慣れた日本の普段着ではない。繊細な刺繍が施された美しいワンピースに、柔らかな生地のマント。異世界の文化を感じさせる。それは、まさにセラフィナたちの世界の服装だった。
お母さんは、そんなお父さんたちの驚きには気づかずに、嬉々として話し始めた。
「花!本当だったのね!あの世界、本当にあったのね!」
お母さんは興奮で目を輝かせている。
「もうね、まるで夢の中にいるみたいだったわ!見たこともない色とりどりの花が咲き乱れていて、森の木々はもっと大きくて、葉っぱ一枚一枚がキラキラ光って見えたの!街並みもね、石造りの建物がまるで絵本の世界から飛び出してきたみたいで、人々が着ている服もね、みんな刺繍が綺麗で、本当に素敵だったわ!」
お母さんは、まくし立てるように興奮を語り、目を輝かせる。
「あちらに行ったらね、リリアさんという女性がいて、あとリル君ってかわいい男の子もいたのよ!二人から、花の話もたくさん聞いたのよ。アルドロンさんの奥様よね。可愛い方だったわ!そうそう、リル君はね、花のこと『セラフィナお姉ちゃん』って呼んで、もう本当に可愛いの!それから、白亜の城の中も見せてくれたのよ…」
次から次へと話が止まらないお母さん。
その時、再び眩い光がリビングに現れ、エリアス様が姿を見せた。
お父さんは、目の前のあまりにも度重なる「ありえない」出来事に、今度こそ完全に思考が停止したようだった。
彼の顔は青ざめ、口は半開きになったまま、まるで呼吸をするのも忘れたかのように固まっている。
健太郎と有紀も、お母さんの突然の出現に続く、再び目の前で光がほとばしり、エリアス様が姿を現したことに、もはや驚きを通り越して、完全に呆然自失の状態だった。
これが夢でも幻覚でもなく、自分たちの知る常識が次々と音を立てて崩れていく現実を、ただ受け止めるしかなかった。
エリアス様は、にこやかに言った。
「いやー良かった、セラフィナ君のお母さん、無事に帰ってこれてね。本当に良かった」
「エリアス様!ありがとうございます!ご迷惑おかけしました!」
私が深々と頭を下げると、ルシアン様たちも口々に「良かった」と安堵の声を上げた。
その様子を見ていたお父さんは、突然顔を真っ赤にして怒り出した。
「なんなんだ、これはっ!陽子まで、花の婚約を俺に認めさせたいからと、こんな芝居までして!いい加減にしろ!」
お父さんはそう言い放つと、再び怒りに震えながら家を飛び出して行った。
「お父さん!」
お父さんの怒鳴り声が響き渡るリビングで、私は呆然と立ち尽くしていた。
お母さんが異世界から帰還したという劇的な事態を目の当たりにしても、父は依然として私の話を「芝居」だと決めつけ、取り合おうとしない。
私は、この中で一番説得が難しいのは父だと改めて痛感した。
ルシアン様は、怒って飛び出して行った父の後ろ姿を、複雑な表情で見送っていた。
しかし、すぐに私の方を向き、そっと私の肩を抱き寄せた。
「セラフィナ、陽子殿が無事で何よりだ。ひとまず、良かった」
アルドロンさんも深く頷き、「うむ、陽子殿が無事に戻られた。それが一番だ」と安堵の息を漏らした。
カスパール君は相変わらず腕を組んでぶっきらぼうな顔をしているが、その目には明らかな安堵の色が浮かんでいる。
ローゼリアちゃんも私の手をぎゅっと握りしめ、「本当に良かったわ、セラフィナちゃん!」と笑顔を見せた。
皆の安堵の顔を見て、私はようやく深く息を吐き出した。
そうだ、お母さんが無事に戻ってきてくれた。それが何よりも大切なことだ。
「お母さん、その指輪とアクスタ、返してもらってもいいかな?」
私がお母さんにそう言うと、お母さんは「あら、そうだったわね!」と、名残惜しそうに指輪を外し、握りしめていたルシアン様のアクスタと共に私に手渡してくれた。
それを受け取りながら、ふと、私はエリアス様に問いかけた。
「そういえば、エリアス様、出版社の方との打ち合わせはどうでしたか?」
私の言葉に、エリアス様はにこやかに頷いた。
「ああ、もう仕事は終わったよ。あとは、本が完成したら、一番にセラフィナ君にあげるから楽しみにしていてね!」
その言葉に、私はパッと顔を輝かせた。
「本当ですか!?やったー!ありがとうございます、エリアス様!」
私の喜びように、お母さんが目を丸くして私を見た。そして、エリアス様に視線を移すと、信じられないものを見るかのように声を上げた。
「えー!も、もしかして、あなたは……『魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語』の作者の、えありす先生?!」
お母さんの興奮した声がリビングに響き渡った。
エリアス様は、少し困ったように眉を下げながらも、柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「ええ、その『えありす』は、私のことだよ。まさか、セラフィナ君のお母さんさんも、私の作品を読んでくださっていたとはね」
お母さんは、目をキラキラと輝かせ、私に向かって猛然と語り始めた。
「花!あなた、知ってたの!?この方が、あの物語の作者さんだったなんて!私ね、あの物語、本当に大好きで、何度も読み返したのよ!ルシアン様のあの高潔な生き方とか、アルドロンさんの知的な魅力、カスパール君の不器用な優しさ、ローゼリアちゃんの健気さ、そしてセラフィナちゃんのまっすぐな勇気!もう、全部が私のツボだったの!」
お母さんの熱弁に、私は苦笑しながらことの経緯を説明した。
エリアス様が実はこの世界の神様であり、作者であるという事実を。
「えーっ!じゃあ、私が異世界に行ったのも、えありす先生の力だったのね!?」
お母さんは、興奮のあまり私の肩を掴み、ブンブンと揺さぶる。私もまた、そんな母の姿に、胸の奥から込み上げる嬉しさを感じ、二人できゃあきゃあと大騒ぎした。
ルシアン様たちは、そんな私たちを温かい眼差しで見守っている。
ひとしきり騒いだ後、私は落ち着いてエリアス様に尋ねた。
「エリアス様は、これからどうされるんですか?」
エリアス様は、ゆったりとした仕草で腕を組んだ。
「ああ、仕事もひと段落したし、少し旅行でもしようかと考えているんだ。神界から見える景色と、実際に人間たちが暮らしている生活を見るのとでは違うから、もっと人間の目線でいろいろ観察したいと思ってね」
「素晴らしいです!」
私たちが口々に感嘆の声を上げると、エリアス様はにこやかに笑った。しかし、その笑顔のまま、彼女はとんでもない爆弾発言を投下した。
「そういえば、セラフィナ君!12月20日にイベントがあるよ!もちろん、『魔法使いの王ルシアンと四人の勇者の物語』ブースも復活!」
その言葉に、ルシアン様、アルドロンさん、カスパール君、ローゼリアちゃんは、一斉に目を見開き、言葉を失った。
「「「「…え?」」」」
彼らが呆然とする中、私だけが、再び熱狂の渦に巻き込まれていた。
「うおおおおおおお!!マジですか、エリアス様ぁぁぁ!!最高です!!尊い!!!」
私は両手を天に突き上げ、歓喜の雄叫びを上げた。
私の脳内には、イベント会場の光景が鮮やかに蘇る。
ルシアン様の等身大パネル、新作グッズ、そして何より、彼らがこの世界で「魔法使いの王ルシアンと四人の勇者」として認知されているという事実。それは、私にとって何よりも「尊い」ことだった。
私の熱気に、他の四人はただただ圧倒され、呆然と私を見つめるばかりだった。




