第十一章(1):日常の再開と、それぞれの思惑
充実したショッピングデーの翌日、さすがに剣道の稽古を休むわけにはいかない。私は、日曜日から稽古を再開することにした。
早朝から道着に着替え、竹刀を握る。
久しぶりの剣の感触、道場の凛とした空気が心地よい。
道場の戸を開けると、既に何人かの道場生が稽古に励んでいた。その中に、見慣れた顔を見つける。健太郎だ。
彼は私に気づくと、軽く会釈をしてきた。
「…花、来たのか」
「うん、健太郎もね。今日からまた、よろしく」
彼は、私が異世界から来たという話を聞いて以来、どこか私に対して気まずさを感じているのだろう。
あの日の彼の激しい怒りは、私と彼との間に、拭い去れない溝を残した。だからこそ、今はもう、以前のような気兼ねない冗談を言い合える空気は、私たち二人にはなかった。
私たちは言葉少なに、それぞれの稽古を始める。
基本稽古からの、打ち込み。汗を流し、集中することで、昨日の高揚感とはまた違う、清々しい気持ちになる。
地稽古の相手は自然と健太郎になった。
互いの竹刀が交錯するたび、乾いた音が道場に響く。
健太郎の剣は相変わらず鋭く、私は彼の動きに集中する。
(いけない、うっかり力を込めすぎると、竹刀が折れてしまうかもしれない…!)
異世界で培われた身体能力は、日本の一般人のそれを遥かに凌駕する。聖剣の使い手セラフィナの能力。
私は、健太郎との稽古中、慎重にその力をセーブし、あくまで「佐倉 花」としての範疇で剣を振るうことに努めた。
―――健太郎は、ちらりと花の髪に視線をやった。そこには、かつて彼が贈った桜の髪飾りはない。
代わりに、シンプルなヘアゴムで髪がまとめられている。健太郎の表情に、微かな翳りがよぎった。
***
セラフィナが稽古に励む間、ローゼリアは母、陽子と一緒に、近所のスーパーへと食品の買い物に出かけていた。
初めて見る色とりどりの野菜や珍しい調味料に目を輝かせ、「陽子さん、これ、何ですか?」「わぁ、こんなにたくさんの種類があるのね!」と、陽子に質問攻めだ。
陽子もまた、ローゼリアの純粋な好奇心に微笑みながら、丁寧に説明を加えていく。
買い物を終えて家に戻ると、二人で協力して昼食の準備を始めた。
異世界の素材を使った料理とは全く異なる、日本の家庭料理の香りが台所いっぱいに広がる。
ローゼリアは、陽子の手際の良い包丁さばきや、調味料の計量に感心しきりだ。
一方、ルシアンたちは、前日に購入した大量の品々の整理に追われていた。
アルドロンは、届いたばかりの大量の本を早速部屋に運び込み、背表紙を眺めながら至福の表情を浮かべている。
電化製品の箱を一つ一つ丁寧に開け、説明書を読み込んでいる姿は、まるで新しい魔法の道具を手に入れた研究者のようだ。
カスパールは、自分用の新しい服を眺めながら「ふん、まあ、悪くねぇな」と呟き、ローゼリアのために選んだ可愛らしい雑貨類をそっと並べ替えている。
ルシアンは、セラフィナが自分のために選んだ服をハンガーにかけ、夜桜の髪飾りを宝石箱に大切に収めた。
それぞれの「収穫」を手に、皆、思い思いの時間を過ごしている。
そして、翌日からは学校が始まるため、その準備も進めていた。教科書や文房具を揃え、日本の学校生活に備える。
***
夕食後、男性陣は宿泊している和室で、今後のことについて話し合っていた。
「俺がこの世界に来た一番の目的は、セラフィナの両親に、俺との婚約を正式に報告することだ」
ルシアンが落ち着いた声で口火を切る。
「そして、セラフィナが生きたこの世界の文化に触れたい。彼女がここでどのように育ち、どのような日常を送っていたのか、その全てを知りたいと思っている。セラフィナが学校でどのような時間を過ごしていたのかを見るのは有意義だろう。だが、俺自身がこの世界の学校で机を並べて学ぶことに、正直なところ、そこまでの優先順位は高くはない」
ルシアンの言葉に、アルドロンが静かに頷いた。
「ルシアンの気持ちはよくわかる。しかし、私はこの世界の知識、特に科学技術の粋を集めた研究施設に深く興味がある。もし可能であれば、大学の研究施設などを見学したいと考えている」
アルドロンの言葉に、カスパールが腕を組みながら、やや不機嫌そうに口を開いた。
「俺は、セラフィナと同じクラスで高校生になるんだったな。あいつの様子を見張ることはできる。この世界で変な男に言い寄られてねぇか、ちゃんと見てやるさ」
カスパールの言葉に、ルシアンは微かに口元を緩めた。
しばらくして、ルシアンは静かに問いかけた。
「セラフィナは、なぜ俺との婚約を、この世界の家族や友人に話さないのだ?何か、懸念でもあるのだろうか?」
その問いは、どこか切実さを帯びていた。男性陣の間には、一瞬の沈黙が流れる。
「……まだ、タイミングを計っているところだろう」
カスパールが、腕を組んだまま、少しだけ視線を逸らして答えた。その声には、どこかセラフィナの気持ちを慮るような響きがあった。
ルシアンは、眉を微かに寄せ、静かに続ける。
「セラフィナが何かを躊躇しているのなら、俺が話しても構わない。隠すべきことなど、何もないと思うが……」
その言葉には、婚約の事実を隠すことへの彼なりの不満と、セラフィナへの純粋な想いがにじんでいた。
アルドロンが、ゆっくりと口を開いた。彼の言葉は、ルシアンの気持ちを理解しつつも、現実的な視点を提供した。
「あまりにも現実離れした話を、両親がすんなり受け入れてくれるか、という懸念があるのだろう。彼女はすでに友人の有紀殿や健太郎殿に異世界から来たと話をして、理解を得られなかったばかりか、むしろ彼らを怒らせてしまった。そのことが、彼女の心に重くのしかかっているはずだ。この世界の人々にとって、魔王との婚約という話は、さらに衝撃が大きいかもしれない」
ルシアンは、アルドロンの言葉に、何か深く考え込む様子を見せた。彼の涼やかな瞳の奥に、わずかな憂いが浮かんだが、それ以上は何も言わなかった。
それぞれの思惑が交錯する中で、彼らの日本での新たな日々が、いよいよ本格的に動き出そうとしていた。




