第十章(3):電車の中の異世界人たちと、水辺の楽園
私たちがまず向かうことになったのは、広大な敷地を持つ、由緒ある植物園だった。都心にありながら、四季折々の花々や珍しい植物が育つ、まさに都会のオアシスだ。
「よし、じゃあ、みんな!出発しようか。移動は…タクシーで行こうかな?」
私がそう提案すると、ルシアン様が首を傾げた。
「タクシーとは?昨日、山田先生が乗車していた、あの自動で動く鉄の乗り物のようなものか?」
「はい、そうです。『車』っていうんです。私たちだけで乗れるし、目的地まで直接行けるから便利なんです」
私は、美形揃いの彼らが公共交通機関に乗ることで、また騒ぎになることを避けたい一心だった。それに、彼らは王子様とその御一行。リムジンなどの手配も考えた方がいいかもしれない。
「それか、もっと大きくて豪華なリムジンとかでもいいかな。だって、ルシアン様たちは王子様とその御一行だし…」
私の言葉に、ルシアン様は澄んだ蒼い瞳を私に向けた。
「セラフィナ。それは、お前が普段利用している移動手段なのか?」
「いや、そんなもの普段は乗りません!高すぎるし、あんまり使わないかな…」
私の言葉を聞くと、ルシアン様は静かに頷いた。
「ならば、問題ない。俺は、セラフィナが普段過ごしている日常を知りたいのだ。故に、セラフィナがいつも利用している移動手段で構わない。電車とやらに乗ってみたい」
彼の視線は、私が持つICカードに向けられている。
電車!?タクシーとかリムジンとか、もっと目立たない移動手段があるのに!
私は一瞬ひるんだ。
こんな美形揃いの異世界人たちが、休日の電車に乗ったら、また大騒ぎになるのは目に見えている。けれど、ルシアン様の「普段のセラフィナの生活が見たい」という言葉に、私は何も言い返せなかった。他の皆も、アルドロンさんを中心に、電車への興味津々といった表情をしている。
自宅を出て最寄りの駅まで歩いていくと、さっそく近所の住人たちとすれ違う。彼らは私たちを見るなり、親しげに声をかけてきた。
「あら、花ちゃん、おはよう!それから、ルシアンさん、アルドロンさん、カスパール君、ローゼリアちゃんも!お出かけかい?」
近所のおばさんが、見慣れた顔ぶれに気さくに声をかける。
ルシアン様たちは、もうこの短い期間で、すっかり近所の住人にも顔と名前を覚えられていた。彼らがコンビニに買い出しに行ったり、散歩に出たりするうちに、自然と交流が生まれていたらしい。特にルシアン様は、その端正な顔立ちと、物腰の柔らかさから、近所の奥様方の間でちょっとした話題になっていると、母から聞いていた。
「おはようございます!はい、ちょっと植物園へ!」
私が返事をすると、ルシアン様がすっと前に出て、そのおばさんに優雅に一礼した。
「おはようございます、奥方殿。本日は、佐倉花と共にこの世界の美しき自然に触れる機会を賜りたく、外出いたします。皆様におかれましても、実り多き一日となることを心より願っております」
彼の口から紡ぎ出されるのは、まるで王族の謁見のような、流麗で高貴な日本語の挨拶だった。
近所のおばさんは、突然の流暢で丁寧すぎる挨拶に、目を丸くして感嘆の声を上げていた。
「あら、まあ!ルシアンさん、いつも丁寧で立派だわねぇ!花ちゃん、本当に良いお友達に恵まれたわね!」
私は顔を赤くして、そっとルシアン様の袖を引いた。
ルシアン様、それは普段使わない挨拶ですよ!って、もう近所の人たちも慣れちゃった!?
最寄りの駅から電車に乗り込むと、案の定、周囲の視線が私たちに集中した。休日の昼間とはいえ、都会の電車はそれなりに人が多い。ルシアン様たちの圧倒的な存在感に、人々は一様に振り返り、囁き声が聞こえてくる。
「何あれ、芸能人?」「モデルさんたちかな?」「かっこいいー!」「外人さんかな、オーラやばい!」
私は、なるべく目立たないように俯き加減で彼らの隣に立つ。けれど、隣にいるのがルシアン様だと思うと、どうしても意識してしまう。まるで、SF映画の登場人物が、なぜか日本の満員電車に紛れ込んでいるような、なんともシュールな光景だ。
アルドロンさんは、電車の揺れに微かに目を細めながらも、天井に設置された案内表示や、窓から流れる景色を熱心に観察していた。
「なるほど、この『鉄の塊』は、内部に動力源を持つのではなく、外部から供給される力によって動いているのか。そして、この狭い空間にこれほど多くの人々が秩序を持って収まっているとは、驚くべき効率性だ」
彼は、周囲の喧騒など気にも留めず、まるで目の前の電車が高度な魔導具であるかのように分析していた。
カスパール君は、窓の外を流れる高層ビル群に目を向け、どこか不機嫌そうに呟いた。
「ふん、やたらと高いだけの建物ばかりだな。俺たちの世界の城の方が、よほど趣があるってもんだ」
彼らしい強がりだが、その瞳の奥には、見たことのない風景への好奇心が隠れているのが分かった。
ローゼリアちゃんは、隣に座った幼い女の子が持っている、可愛らしいぬいぐるみに目を輝かせていた。
「わぁ、この毛並みの柔らかい生き物は、一体何かしら?とても愛らしいわ!」
彼女は聖女らしい慈愛に満ちた眼差しでぬいぐるみを見つめ、女の子に微笑みかけた。女の子は最初は戸惑っていたが、ローゼリアちゃんの純粋な笑顔に、はにかみながらぬいぐるみを差し出した。
ルシアン様は、私の隣に立ち、私の手をそっと握りしめていた。彼の視線は、周囲のざわめきにも動じず、ただ真っ直ぐに私に向けられている。
「セラフィナの故郷の日常とは、このようなものなのだな。…賑やかで、そして興味深い」
彼の声には、周囲への驚きよりも、私の日常を共有できることへの喜びが込められているようだった。私は、彼の指の温かさを感じながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
何度か乗り換えを重ね、私たちは目的地の植物園に到着した。広大な敷地には、手入れの行き届いた芝生が広がり、様々な植物が種類ごとに植えられている。季節ごとの彩りを見せる花壇は、冬の澄んだ空気の中で、訪れる人々の目を楽しませていた。
「わぁ!見て、セラフィナちゃん!こんなにもたくさんのお花が咲いているわ!」
ローゼリアちゃんは歓声を上げ、花壇に駆け寄っていく。その姿は、まるで絵画から抜け出してきた妖精のようだ。
アルドロンさんは、珍しい樹木の前で立ち止まり、その葉の付き方や幹の構造をじっくりと観察していた。
「この植物は、我々の世界には存在しない系統だな。この葉脈の構造は、光合成の効率を最大化するように進化しているのか…」
彼の知的な探求心は、ここでは植物へと向けられている。
カスパール君は、手入れのされた盆栽の前で足を止め、じっと見つめていた。
「この小さな木に、老木のような風格があるとは…この世界の者は、自然を愛でる術に長けているらしいな」
彼の意外な一面に、私は少し驚いた。
ルシアン様は、私の手を引いて、池のほとりへと向かった。水面には、色とりどりの錦鯉が優雅に泳いでいる。
「穏やかな水辺だ。このような場所が、都心に存在しているとは、信じがたい」
ルシアン様は、静かに水面を見つめていた。その瞳は、深遠な美しさを湛えている。
水辺の奥、遥か対岸には、ひときわ高くそびえ立つ建物群が見えた。ガラスと鉄骨で構成された巨大な塔や、幾何学的な高層ビル群だ。彼らの世界には、これほど高い建造物は存在しなかったはずだ。
その光景を目にした瞬間、アルドロンさんが息を呑んだ。
「な、なんだあれは…!?あの、天を穿つかのような巨大な建造物は…!?あれは、一体、どのようにして築かれたのだ…!?」
普段冷静な彼が、珍しく興奮した声を上げた。カスパール君も、その顔をしかめながらも、驚きで固まっている。
「あれは、天望塔と、もう一つは首都タワーっていうんです。それから、周りの高い建物は、高層ビルっていうんですよ。帝都中央に行くともっとたくさんありますよ」
私が説明すると、彼らはさらに目を見開いた。
「まさか…人間が、あれほどの高みに到達するとは…。我々の世界では、魔力によって浮遊する城以外に、あれほどの高さを持つ建造物は存在しない…」
ルシアン様も、その美しい顔に純粋な驚きを浮かべていた。彼の視線は、遠くの超高層ビルに吸い寄せられている。
「セラフィナの故郷は…想像以上に、進化を遂げているのだな…」
その言葉には、感嘆と、そしてかすかな敬意が込められているようだった。彼らが日本の現代文明に触れて、どんな反応を見せるのか、これからが楽しみだ。




