第九章(1):食堂の修羅場と、謎の大量購入品
昼休みを告げるチャイムが鳴り響き、私は有紀と健太郎を伴って、学園の食堂へと向かう。
校庭での世界記録樹立事件と、英語の授業での完璧な発音、そしてルシアン様の「特別な存在」発言の余波で、道行く生徒たちの好奇の視線が突き刺さる。
有紀はまだ驚きから抜け出せていないようで、ずっと私の顔を覗き込んでいたし、健太郎も腕を組み、険しい顔で前を歩いている。
(今日の私は、間違いなく学園の『時の人』だわ……いや、違う。望んでない、こんな形で有名になるなんて!)
食堂はすでに生徒たちでごった返していた。
熱気と喧騒の中、私は遠目にルシアン様たちの姿を捉える。
教頭先生が彼らの隣で、相変わらず満面の笑みを浮かべている。
だが、彼らの周りだけ、明らかに異様な熱気が渦巻いていた。
食堂の入り口付近には、あちこちから集まってきた女子生徒たちが群がり、まるで動物園の檻を覗き込むかのように彼らを見つめている。
中には、スマホを構えて隠し撮りをする者までいる始末だ。
(ちょっ…これじゃまるで、動物園のパンダだよ!ってか、隠し撮りはやめてあげて!肖像権、肖像権ー!)
「ルシアン様!アルドロンさん!カスパール君!ローゼリアちゃん!」
私たちは人混みをかき分け、前に進む。
周囲の視線が突き刺さる中、私と有紀、健太郎は、ようやく彼らが座るテーブルへとたどり着いた。
ルシアン様が私たちの姿を認めると、その顔に安堵と、そして微かな不満の色が浮かんだ。
彼らのテーブルには、日本のランチメニューであるカレーライスやラーメンなどが並んでいたが、どうやらほとんど手付かずのようだった。
「セラフィナ、やっと来たか。午前のお前の授業は随分と騒がしかったようだが、無事だったか?」
ルシアン様が静かにそう声をかけると、その視線が私の隣に立つ健太郎に固定される。
健太郎も負けじとルシアン様を真っ直ぐに見つめ返す。
食堂のざわめきが、一瞬遠くなったように感じられたその時、有紀が、二人の間に流れる張り詰めた空気を和らげるように、遠慮がちにルシアン様たちに一礼した。
それを受けて、健太郎も、不承不承といった様子で、軽く頭を下げてみせる。
「やあ、佐倉さん!丁度よかった!皆さん、北欧の小さな王国『ノルヴェイグ』からいらした方々でね。非常に格式高いお国柄らしくて、この賑やかな日本の食堂は初めてだそうで、なかなか戸惑っていらっしゃるんだよ」
「みんな、ご飯食べられてないの?」
私が尋ねると、ローゼリアちゃんが申し訳なさそうに首を振った。
「あの…たくさんの人に見られていて、なんだか落ち着かなくて…」
カスパール君も「ちっ、こんな騒がしい場所で飯なんて食えるか」とぶっきらぼうに呟いた。
「とりあえず、何か食べようか。みんな、これが日本のカレーライスだよ。美味しいんだから!」
私が促すと、皆は恐る恐るスプーンを取り、一口食べ始めた。
有紀と健太郎は、私たちの様子をやや離れた場所から見守るように立っている。
ルシアン様が座るよう促し、カレーを差し出すと、二人は遠慮がちに受け取った。
「あ、ありがとうございます……」と有紀が小声で呟く。
健太郎も「ありがとうございます」とぶっきら棒に返し、やがて自分のカレーを食べ始めた。
それから、ルシアン様は優雅な手つきで、一口食べると静かに頷いた。
「なるほど…これは、我々の世界の香辛料とは異なるが、奥深い味わいだ。この、独特の辛さが食欲をそそる」
アルドロンさんは、カレーの皿を興味深そうに観察しながら、黙々と食べ進めている。
ローゼリアちゃんは「辛いけど、美味しい!」と目を輝かせ、カスパール君は「ふん、まあ食えなくはねえな」と言いながらも、なぜか一番早く食べ終えていた。
(あれ?意外と適応力高いな、カスパール君、結局気に入ってるじゃん!)
食後のドリンクを飲みながら、私は切り出した。
「みんな、私は午後の授業があるから、先に家に帰っててくれるかな?お母さんには、連絡しておくね。道も簡単だし、大丈夫だよね?」
私の言葉に、ルシアン様は少し不満そうな顔をして、私をじっと見つめていた。
「問題ない、セラフィナ。家は近いので、大丈夫だ。この世界の道は、我々の世界の森の中を探索するよりはるかに分かりやすい」
アルドロンさんの言葉に、カスパール君も「ふん、子供じゃあるまいし、これくらいどうってことねえよ」とぶっきらぼうに同意した。
ローゼリアちゃんは「セラフィナちゃんと一緒が良かったけど…先にお家に帰るわね!」と笑顔で言ってくれた。
ルシアン様は、私の切羽詰まった表情を見て、ようやく折れたようだった。
(やれやれ、これで一安心…)
ルシアン様たちは、教頭先生に見送られながら、学園を後にした。
***
なんとか午後の授業を終え、私はへとへとになりながら自宅の門をくぐった。
玄関の引き戸が少し開いており、中からは、何やら楽しげな声が聞こえてくる。
リビングに続く廊下を進むと、男性陣が使うはずの和室から賑やかな声がする。
「ただいまー!」
私が声をかけると、和室からルシアン様、アルドロンさん、カスパール君、そしてローゼリアちゃんが顔を出す。
畳の上には、色とりどりのビニール袋と、中身が広げられた奇妙な品々が散乱していた。
(え?何これ?)
「セラフィナ!帰ったか!」 ルシアン様が満面の笑みで私を迎える。
「帰りに、コンビニというところに寄ってみたのだ」
ルシアン様が誇らしげにそう告げた。
彼の指差す先には、ありとあらゆる種類のコンビニ商品が広げられている。
お菓子、インスタント食品、歯ブラシセット、文房具、そして見慣れないキャラクターグッズまで。
(いや、え、これ全部買ったの!?コンビニって、そんな爆買いする場所じゃないから!ていうか、何に使うのそのキャラクターグッズ!)
「この黒い板のようなものを渡したら、何でも買えたのだ。便利だな、この世界の貨幣は」
ルシアン様が手にしているのは、エリアス様のブラックカードだ。
この世界で生活に困らないようにと、エリアス様が、何でも買える「神のカード」を渡してくれていた。
早速それを使ったようだ。
(神のカード、まさかこんな使い方されるとはエリアス様も思ってなかったでしょうね…)
アルドロンさんは、色とりどりの包装に包まれた菓子袋を手に取り、興味深そうに眺めている。
カスパール君は、手にした袋菓子をパリパリと音を立てて食べており、「ふん、悪くねえな、これ」と呟いている。
ローゼリアちゃんは、可愛らしいキャラクターが描かれた歯ブラシセットを手に、目を輝かせていた。
その時、ルシアン様が、畳の上に広げられた雑誌の束の中から、一冊を手に取って大きく目を見開く。
それに気づいたアルドロンさんも、カスパール君も、ローゼリアちゃんも、一斉に雑誌に注目する。
その雑誌は、日本のグラビアアイドルが大きく写っている、いわゆる週刊誌だった。
大胆な水着姿の女性が、笑顔でポーズを決めている。
ルシアン様は、そのページを凝視した。
眉間にわずかに皺が寄り、その涼やかな瞳の奥に、思案するような色が浮かぶ。
「これは…この世界の絵画のようなものか?だが、特定の身体の部位を強調し、このような軽装で描かれているのは、一体どのような意味を持つのか」
彼の声には、パニックではなく、純粋な、しかしやや困惑した知的な疑問が含まれていた。
(いや、純粋な疑問でその質問はキツいから!魔王様、文化の違いってやつですよ!でも、それをこんな真顔で聞かれると…!)
その隣で、アルドロンさんが突如として顔を赤らめ、片手で顔を覆う。
彼の賢者としての冷静さが揺らいでいるのが見て取れる。
「な…なんと大胆な…!このような姿を人目に晒すなど…い、いや、これはこの世界の文化…しかし、その、我々の世界の常識とは…」
彼は言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。
その動揺は、理性の蓋が外れたかのような反応だ。
(賢者様まで動揺してる…!ていうか、賢者様が顔を赤らめてるの初めて見たんだけど!新鮮すぎる!)
カスパール君は、一瞬にして顔を真っ赤にして、雑誌を突き返すように私に差し出す。
「なっ、なんだこれっ!?こんな、布切れ一枚で…!目のやり場に困るわ!」
彼は珍しく声を荒げ、顔をそっぽに向けた。
その耳まで真っ赤になっている。
(カスパール君、意外とウブなんだ!?不良ぶってるけど、そういうとこ可愛いのね!?)
ローゼリアちゃんは、純粋な好奇心から雑誌に顔を近づけていたが、写真の露出の多さに目を丸くしてる。
「わぁ…このお洋服、とっても開放的ね…。でも、この女性は、とても笑顔だわ!…でも、ちょっと恥ずかしいわね…」
彼女は顔を少し赤らめ、おずおずと雑誌から視線を逸らす。
(ローゼリアちゃんは安定の可愛さ!でも、これは聖女に見せていいものなのか…!?)
―――彼らの混乱を横目に、ルシアンは再び雑誌のページに目を戻し、そして、その視線をセラフィナへと向けた。
(もし、セラフィナが…このような姿になったとしたら…)
一瞬、彼の脳裏に、セラフィナが雑誌の女性のように、軽装で飾られた姿がよぎる。
それは、彼の高貴な理性が捉える「この世界の文化」としての理解とは別に、彼自身の深い独占欲と、わずかな動揺を呼び起こすものだった。
彼の涼やかな瞳の奥に、静かな熱が宿ったように見えた。―――
「ち、違うから!これは、日本の雑誌で、その、色々な写真が載ってる…ええと、いわゆる、趣味の一種で…っ、とにかく、こういうものなのっ!」
私は必死で説明しようとするが、言葉が見つからない。
顔から火が出そうだ。
ルシアン様は、私の動揺に気づいたのか、写真から顔を上げ、私をじっと見つめる。
すると、「ところで、セラフィナ。この、四角くて薄い、絵が描かれた板のようなものは何に使うのだ?」
ルシアン様が、手にしていたインスタントラーメンのパッケージを私に差し出した。
(ああ、話題逸らしてくれた!助かった…って、インスタントラーメン!?)
「ええと、これは、ラーメンっていう食べ物です。お湯を入れるとすぐに食べられるの」
私が説明すると、ルシアン様は興味深そうに頷き、早速パッケージを手に取って、じっと見つめていた。
その瞳には、この世界の新しい道具に対する純粋な好奇心が宿っている。
「これ、全部買ったんですか?」
私が尋ねると、アルドロンさんが「ああ。この世界の道具は興味深いものが多く、用途を知らずとも収集する価値があるかと判断した。特に、奇妙な絵が描かれた菓子類は、今後の研究材料として有望かと」と真顔で答えた。
「いや、用途を知らないで買ってきちゃダメでしょ!?ていうか、研究材料って、お菓子のどこを研究するんですか!賢者様、本気で言ってます!?」
私は思わずツッコミを入れたが、もう後の祭りだ。
彼らの手には、奇妙なキャラクターのお菓子が山盛りだ。
とりあえず、買ってきてしまったものは仕方がない。
私は一つ一つ、彼らが買ってきたものの用途を説明して回った。
カスパール君は、説明を聞きながらも、気に入ったお菓子を黙々と食べ続けている。
私は、皆に告げた。
「今日これから、有紀と健太郎がうちに来るの。二人に私たちは異世界から来たということを話そうかと思ってる」
「セラフィナ」
ルシアン様が、私が説明し終えるのを待って、静かに口を開いた。
「二人に、我々の素性を話す、それは良いだろう。だが、まずは、俺との婚約について、セラフィナのご両親にきちんと許しをいただきたいのだが?」
ルシアン様は、私の目を真っ直ぐに見つめ、再度「結婚」の許可を求めてきた。
彼の表情は真剣そのものだ。
(いや、だから、今それ言う!?このカオスな状況で!?)
「それはもう少し待ってくださいっ!」
私は、山積みのコンビニ商品と、それを目の前にしたルシアン様の真剣な眼差しに挟まれ、悲鳴にも似た声を上げた。
私の胃腸は、この一日で確実に寿命を縮めていることだろう。




