第八章(1):数学の授業と、密着指導
騒然とした雰囲気の中、予鈴が鳴り響き、ざわめいていたクラスメートたちが慌ただしく席に着いた。
そして、担任の山田先生が数学の教科書を手に教壇に立つ。
「みんな、静かに!今日は、皆に紹介したい生徒がいる」
山田先生は、ちらりと教室の後ろに立つルシアン様たちに目を向けた。
クラスの全員の視線が、一斉に彼らに集中する。
「今日から、海外からの留学生がこのクラスに来てくれている。ルシアンさんとアルドロンさんは大学の方で講義を受ける予定だが、今日は二人とも見学に来ている。そして、カスパールさんとローゼリアさんは、来週からこのクラスで一緒に学ぶことになる。では、自己紹介を頼む」
山田先生の紹介に、教室全体がどよめいた。
特に女子生徒たちの間からは、熱っぽい視線と小さな悲鳴が上がる。
まず、ルシアン様が一歩前に出た。
その場にいる全員の視線が、彼の優雅な姿に吸い寄せられる。
「はじめまして。私は、北欧の小国『ノルヴェイグ』より参りましたルシアンと申します。この度、佐倉花と共に、この地で学ぶ機会を得たことを光栄に思います。彼女は俺のこんや…、いや……我々にとって特別な存在です。今後とも彼女を、そして我々をよろしくお願いします」
ルシアン様は、優雅に一礼した。
「わああああああああああっ!」クラス中が再び「キャー!」と湧き上がり、女子生徒たちの視線が私に集中する。
今度は、「なんで花なのよ!」「羨ましい!」といった羨望と嫉妬が入り混じった視線だ。
(ルシアン様、余計なことを言わないでくださいましー!「俺の婚約者」って言いかけたの聞こえましたからね!?また変な誤解生むじゃないですかー!)
私の隣に座る健太郎は、その言葉を聞いて、露骨に不機嫌な顔をした。
眉間に深い皺を刻み、何か言いたげに口を開きかけたが、授業中であることに気づいたのか、ぐっと堪えたようだった。
続いてアルドロンさんとカスパール君とローゼリアちゃんが自己紹介を終え、彼らは教室の後方へ移動した。
有紀は、ルシアン様の自己紹介を聞いてから、ずっと複雑な表情で私を見ていた。
どこか戸惑いと、もやもやしたものが混じったような、微妙な視線だった。
(有紀…何か言いたげだね…後で絶対聞かれるやつだこれ!)
その時、山田先生が、やや興味深げな顔でアルドロンさんに尋ねた。
「アルドロンさん。『ノルヴェイグ』という国は、あまり聞き慣れないのですが、どのような国なのでしょうか?」
アルドロンさんは、にこやかに、しかしどこか飄々とした笑みを浮かべた。
「ええ、先生。ご無理もございません。我々の『ノルヴェイグ』は、極めて独特の国家体系を有しておりまして。地球の豊かな自然を未来永劫護り続けるため、敢えて大規模な経済活動や観光開発を抑制しております。その結果、国際的な存在感は控えめにならざるを得ず、一般的な地図や教科書にその名が記されることは稀です。ごく一部の環境研究機関や、歴史の深淵を探求する専門家のみが、その真の姿を知る、とでも言いましょうか」
アルドロンさんの流れるような説明に、山田先生は「ほう…」と感心したように頷いている。
クラスメートたちも、「へえ」「なんかすごい国だな」と囁き合っているのが聞こえた。
完璧に、そして知的に「ごまかし」を成功させたアルドロンさんに、私は内心で拍手を送った。
さすがアルドロンさん、抜け目ない!
クラスのざわめきが収まり、山田先生は黒板に向き直り、チョークを手に取った。
教室には、これから始まる授業への期待と、少しばかりの緊張感が漂い始めていた。
私は、留学生たちの自己紹介と、彼らがなんとか無事に「人間界の常識」に合わせてくれたことにホッと胸をなでおろしていた。
(あ、しまった…!)
私は、一限目が数学だということに気づき、途端に顔色を失った。
異世界に召喚される前日の夜、私はすっかり予習を忘れて眠りについてしまったのだ。
山田先生は授業中に頻繁に生徒を指名してくる。
このままだと確実に当てられるだろう。
どうしようかと内心で焦っていると、私の席が一番後ろの窓際だったため、すぐ後ろに立っているルシアン様たちの気配を強く感じた。
授業が始まり、黒板にベクトルの問題が書き出される。
私の思考が停止しているのを感じ取ったのだろうか。
不意に、ルシアン様が後ろからかがみ込み、私の顔のすぐ横に彼の整った顔が近づいた。
「この問題は、空間ベクトルの成分表示だな。与えられた二つのベクトルのなす角が90度であることから、内積がゼロになることを利用する。その上で、一方のベクトルの成分を仮定し、連立方程式を立てれば解けるだろう」
吐息がかかるほどの距離で、彼の涼やかな声が耳元に囁かれる。
その密着感に、私の心臓はドクンと大きく跳ね上がった。
全身が熱くなるのを感じる。
(いやいやいや、近すぎでしょ!?鼻先が触れそうなんですけど!?先生どころかクラス全員見てるから!助けて!)
その様子を見た山田先生が、わざとらしく「コホン!」と咳払いをした。
先生の視線が、私たちに突き刺さる。
(先生、ごめんなさい!私もびっくりしてるんです!)
私の隣の席に座る健太郎は、ルシアン様が私に密着している様子が気になるようで、明らかに不機嫌な顔でこちらを睨んでいる。
(健太郎、なんでさっきから睨むのよ!って、そりゃ睨むか!ごめん、私が悪かったよ!ていうか、ルシアン様、少し離れて!)
一方、ルシアン様の後ろでは、アルドロンさん、カスパール君、そしてローゼリアちゃんの三人までが、身を乗り出すようにして問題を覗き込み、ああでもないこうでもないと小声で議論を交わしている。
まるで、我が子の授業参観に来た異世界出身の保護者軍団のようだった。
しかも、その保護者たち、やたら美形揃いだから、教室の女子生徒たちがざわつきを抑えきれていない。
(勘弁してくれ…!もう授業どころじゃない!お願いだから、みんな静かにして!私の羞恥心が限界突破する!)
私は必死に、ルシアン様の言葉に集中しようと努めたが、顔の熱さと心臓の鼓動が邪魔をするばかりだった。




