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悪の腹心  作者: Kaz
8/9

Ⅰ‐7

7


 似たような任務が続いた。我々はラセイニャイのあらゆる貧困地帯からユダヤ人や不審人物を逮捕し、ゲットーに押し込んだ。歩けない老人や病人や障害者はその場で銃殺した。この作戦に保安警察や保安部、秩序警察、国防軍全てが協力した。

 忙しい毎日だった。連日過酷な任務をこなすにつれ、第三帝国の秩序警察官として義務を遂行せねばならないという気になった。あまりにも似たような毎日を送ったため、個々の記憶は曖昧となっていき、罪悪感が薄れていたのもある。

 それでも特に印象に残った任務がある。八月末日、ラセイニャイ市内のとある精神病院の解体任務に駆り出された。我々は病院内の患者を全員その場で銃殺せよとの命令を受けていた。ゲットーに収容するのではなく即座に銃殺せよとの命令は稀だ。しかし、保安部及び保安警察はこの時期に、ラセイニャイゲットーの解体を企図し、既にユダヤ人や精神障害者、ジプシーなどの不穏分子、または共産主義者などの政治犯を一人残らず銃殺するよう配下の全部隊に通達していたのだ。


 この任務はリトアニア警察の補助が受けられず、第二中隊全員であたるよう計画され、マイヤー少尉が直接指揮を執るはずだった。病院の前で整列と点呼を終えて中隊長の登場を待った。現れたマイヤーの姿に皆が唖然とした。

 顔は真っ赤で軍服はいつも以上に乱れていた。髪の毛はぼさぼさで、酩酊歩行で何度も倒れそうになり、部下の肩を借りる始末だ。

 マイヤーは明らかに酔っていた。任務開始前から酒を飲み過ぎて部下の肩を借りるなど中隊長にあるまじき醜態だが、マイヤーが酒浸りになっているとの噂は皆が知っていた。実際に目にすると単なる笑い話ではなく、実に腹立たしい光景だ。

「くそったれ」

 ハンケでさえマイヤーの姿をみて舌打ちした。

「飲まなきゃやってられねえのは皆同じだぜ」

 ブックが呆れたように言う。

 結局、マイヤーは呂律が回らず、任務の説明さえ満足にできなかったので、各小隊長が代わりに説明した。

 任務の概要は実に単純だ。病院は三階建てで、西棟、東棟、北棟、中央棟に分かれており、全部で五二五床。そのうち何床が埋まっているか不明だが、患者は見つけ次第その場で殺すこと。病院職員は協力的とは限らないが可能な限り協力させること。病院職員に対してみだりに発砲しないこと。明らかな妨害行為に出た者のみ逮捕・拘束し、ゲットーへ送ること。以上が命令の骨子といえた。

 我々の第五小隊は西棟を担当する。

「一階から順番に病室へ突入し、患者を全員殺すべし」

 小隊長が叫ぶ。

「こいつらは働きもせず、帝国の社会福祉に負担を強いるお荷物だ。何の役にも立たない連中だ!」


 任務は過酷を極めた。病院は中に入ってみると恐ろしく広い上、病室にいない患者も多かった。看護婦はけたたましく悲鳴をあげ、場の空気を落ち着かないものにした。突入した警官は患者を見つけ出すためにかくれんぼの鬼のような役回りを強いられた。患者のほとんどは精神薄弱、知恵遅れ、脳性麻痺、精神分裂病、痴呆患者で、様々な年代の病者の百貨店の様相だが、誰であろうと見つけ次第抹殺しなければならない。

 処刑の方法も様々だ。言葉が理解できる患者は病院の内庭まで連れて行って並ばせ、軍隊式に銃殺した。一方で時間が足りないからとその場で銃殺する警官もいた。こちらの指示を一切理解できない重症患者の場合も同様で、その場で殺すしかない。中には病的なサディズムをみせる警官もいた。銃床で何度も殴ったりは序の口、車椅子ごと三階の窓から投げ落としたり、絞め殺したり、銃剣で刺し殺したりだ。現地農民から鎌や斧を借りてきた者がいて、喉を切り裂いたり、首を落としたり。体の丈夫な患者は、我々を見ると逃げ回るようになり奇声を発して病院を駆け回るのだがかえって射撃しやすい。一言も話せず、動くのもままならない重症患者の場合、誰がどうやって殺すかと議論になり、警官たちの間で輪番を組み順番がきたらそれぞれ好きな方法で始末すると決まった。異論は出なかった。


 私もやむなく患者をこの手にかけた。私は銃殺が最も手っ取り早いと考えたので、少し離れた距離から首筋を撃ち抜いた。肩胛骨の少し上あたりの背骨を砕くことで、人間は即死するという。警官たちの間で情報交換が密になされており、皆がいつしか優れた死刑執行人へと成長していた。

 難儀したのは寝たきりの患者で、起き上がることもできないので、ベッドの上で毛布を被せたまま銃殺した。その場合、患者はすぐに死に切れず酷い光景だった。


 ある作業場に踏み込んだ折に、不思議な体験をした。そこは体育館のように広く、部屋の前方は演台のように高台になっていた。そこで色とりどりの衣装を着た十四、五歳ぐらいの金髪の少女たちが数人、何かの劇を演じていて、演技を見ながら腕を組み監督する男がいた。四十代後半ぐらいの年輩の男で、頭は禿げていた。豊かなブラウンの口ひげをはやし、長白衣を着ていて、茶色の瞳が異常に大きく突き出ていた。

 傍らでは、作業台が複数並んでいて一心不乱に何か作業する者たちがいた。ある者は木工作業をし、ある者はチョークで画板に乗せた画用紙に絵を描き、ある者は革細工でバッグのようなものを作っていた。患者たちは突入してきた我々を一瞥すると、すぐに内に閉じこもり熱心に作業を続けた。

 演じられている劇はシェイクスピアの戯曲「コリオレイナス」だとわかった。ローマの軍人マーシアスが、民に嫌われ追放されるが、復讐とばかりにローマに攻めのぼり今一歩というところで母ヴォラムニアに対する情にほだされ作戦に失敗。その後失意のうちに政敵オーフィディアスに謀殺されるという悲劇だ。

 特に目をひいたのは男性役も女性役も皆少女がやっていて、台詞の朗々たる調子は実に練りこまれた素晴らしい劇だったということ。

 我々はしばし見とれた。ゆっくりと長白衣を着た髭の男がこちらに近づいてきた。その場で最も階級の高い私が口火を切った。

「先生、申し訳ないが劇はここで終幕です」

「私は医師ではありません」

 長白衣の男は流暢なドイツ語でこう言った。

「それはどうでも良いことです。誠に申し上げにくいが、ここの患者を全員処分せよとの命令を受けています。先生は、特にご用がなければ部屋から出ていただくのが懸命かもしれない」

「ここまでくるのにも、随分時間がかかりました」

 長白衣の男は、私の言葉をまったく意に介さず言った。

「症状が再燃したり、また寛解したり、その繰り返しの中で、この劇を演じられるまでになったのです。この者たちも」

 男は机上で作業している者たちを指し示した。

「今では何も手伝わなくても、こんなに立派に仕事ができる。出来上がった物はまだまだ雑ですがね。それも繰り返しの中で克服するでしょう」

「悪いがお喋りする時間はない」

 私は腕時計を見やり、背後の警官たちに合図した。

「巡査殿、貴方がたはこの者たちをどう思いますか? 最後にそれだけ聞かせていただきたい」

「出来損ないさ」

 シュミットがせせら笑った。

「皆そう言います。でもね、こうは考えたことはありませんか? 彼らはむしろ我々より優れていると。彼らは確かに我々が作ったルールには適応できません。しかし、その代わり誰とも争いません。誰にも危害を加えません。誰も迫害しません」

「先生、あんたユダ公じゃないだろうな」

 シュミットが殺気立った目で問うた。

「これは精神療法ってやつだろ。フロイトだ。フロイトはユダ公だ」

「これは精神療法とは違います。フロイトは患者が無意識に抱える葛藤を表出させ、カタルシスを得ることで治療効果があると考えました。ここで私たちが行っているのは、患者を治療することではなく、適応的に生きるための訓練なのです」

 言い終えるのが早いか、シュミットが長白衣の男をいきなり撃った。「ユダ公が偉そうに言うんじゃねえ」腹を撃たれた男は苦痛の表情でその場でうずくまった。「ドイツはいつか報いを受けるでしょう。善良に生きている人々の存在を認めず、可能性をむげに踏みにじったことを。数百年先まで呪われるでしょうな」

 シュミットは、眉ひとつ動かさずもう一発、今度は肩に撃ち込んだ。私は「やめろ」と言った。「病院職員は撃つなと言われたろ」

「ユダ公ですからいいんですよ。ユダ公だったと報告すればいいんです」

 シュミットは振り返りもせず吐き捨てた。

 男は血まみれになって床の上で這いずり回った。なおもシュミットは男の胸を撃ち、肺を撃たれた男は、荒い息をつきながら、壇上の上できょとんとこちらを見る少女たちを見やり、口をパクパクさせた。もう声は出なかった。

 私は仕方がないと観念した。こうなったからには早く楽にさせようと思い、男の心臓を撃ちぬいた。男の胸の中心にぽっかりと穴が開き、血が噴き出した。しかし、なおも男は死ななかった!

 皆が呆気にとられた。腹を撃たれ、肩を撃たれ、肺を撃たれ、心臓を撃ち抜かれたはずなのに、男は立ち上がって、金魚のように突き出した瞳をこちらに向けたのだ。皆が叫び声をあげた。恐ろしくて恐ろしくて、叫ぶしかできなかった。シュミットもがくがくと震え「化け物、化け物」と繰り返した。私は小銃を構えなおし、更に男の腹を撃った。それを皮切りに皆が撃った。弾丸の一発が男の頭部をとらえ、頭蓋骨が破裂し脳漿や血液があたりにばら撒かれた。

 頭を失った男はその場に倒れ、ようやく動かなくなった。しばし男の死骸を見つめ、今度こそ本当に動かなくなったことを確認すると、我々は壇上で黙っていた少女たちを順番に狙撃した。次に机上で作業する患者たちを一列に並ばせて、後ろから首筋を撃ち抜いて殺した。患者は驚くほど従順で、黙って殺された。微笑みを浮かべる者さえいた。机上には、まだ作成途中の造形物が虚しく並んでいた。

 シュミットが壇上に上がって、撃たれた少女たちが全員絶命したことを確認し振り向いた。

「ミュラーさん、みんなくたばりました」


 病院の中の全患者を殺すのに要した時間は、わずか一時間半ほどであった。中隊は実に効率的に、首尾よく処刑任務を遂行できるようになっていた。その後我々はゲットーに戻って、ユダヤ人の狩り集めに従事した。もはや女も男も子供も老人も区別なく《武装親衛隊》のトラックに乗せられ、近郊の森の中に連れて行かれた。そこで自らの墓穴を掘らされ銃殺された。

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後半の不思議なエピソードは、理不尽に対してわずかに一矢報いたような感覚がある。
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