Ⅰ‐6
6
のどかな田舎道を、トラックの列がゆっくりと走り抜ける。
大隊はラセイニャイ近郊まで来ていた。トラックに揺られ、田園風景を見ていると眠気にさそわれる。
近所の農夫と思われる老人が、馬車に乗って進んでいる。
「じいさん、あんたの孫娘はおれが貰ってやるからな」
追い抜きざまにはやしたてるシュミットに皆が大笑いした。
「やめとけって」
私は少し恥ずかしくなって声をかけた。
「はっ、巡査殿!」
シュミットはにたりと笑って大袈裟に敬礼した。
私は結局昇格した。
下級巡査から巡査へ昇格した。結局大した時間もかからず、昇格辞退の申請も無視されあっさりと。
「ミュラーさんと分隊長殿ばかりずるいな。おれも出世したかった」
ぼやくシュミット。
昇格したのは私だけではない。中隊において私のほか、ハンケや含む数人が昇格した。大隊全体においては、あわせて十人近くが昇格したという。表向きの理由は人それぞれだが、皆に共通していたのは開戦から二週間の間に保安部の特殊任務に召集された者たちだった。ユダヤ人を殺す任務が今後の主要な仕事になるだろうと誰もが知っていた。今回の大規模な昇格は保安警察や保安部が警察の人事に大きな影響力を持つと示していた。
大隊の兵士と輜重品を満載したトラックの段列は、今まさにラセイニャイ市内へ入ろうとしていた。
木造の壁に赤茶色の屋根、短い煙突のついた建物が密集している。カウナスからおよそ八十五キロメートルの地点にあるこの街は、想像していたよりはるかに都会だった。ところどころ、爆撃や我が軍の攻撃によって倒壊した建物が見える。目の前で教会のような建物が、廃墟となって戦闘の激しさを無言で伝えていた。
「治安の確保か」
シュミットがため息をついた。
我々に与えられた任務は、いつもと同じく治安の確保だが今回は別の意味を持っていた。この街で我が軍は苦戦したらしいが、前線は遥か先まで行っており治安は回復している。何かあるとすれば、赤軍の残党が組織したパルチザンかユダヤ人だろう。
ソ連当局の庁舎があったという建物の付近で、トラックは続々と停車して荷を下ろし始めた。どうやらここが新しい兵舎になるらしい。
「小綺麗ですね。前のとこよりいいぐらいじゃないですか。元は学校だったのかな」
シュミットの言う通り建物は校舎に見えた。まだ新しい。ソ連がやってきて庁舎に作り変え、今度は我々が接収したのか。一番の被害者はリトアニアの子供たちかもしれない。
兵舎に着いて昼食をすませると、今後についてのブリーフィングが行われた。我々のこの地での仕事は、ソ連兵の残党や、スパイ、偽装した元政治将校を捜索し、相応の報いを受けさせること、とされた。
夜になると、任務の概要が兵舎の掲示班に貼り出されていて、各分隊の具体的な動き方が載っていた。私たちはラセイニャイ近郊のアパルトマンに出動し、地元協力者の手引きに従って付近を捜索する計画だ。
「明日の早朝、早速出動ですって。人使いが荒いな」
「遊びに来たわけじゃねえからな」
ぼやくシュミットを、私は慰めた。
夜になると自由時間があって、皆はコーヒーカップを片手にチェスをしたり、カード遊びをしてくつろぐ。私は営内の酒舗で少量の酒を買って、ちびちびと飲むのが日課になっていた。昼食のパンやラスク、ビスケットのかけらを残しておいて、夕食で余ったマーガリンや蜂蜜と一緒にコーヒーを飲むのが好きだった。
新しい兵舎でも酒は容易に手に入った。わずかばかりのシュナップスをコップに注いで舐めるように飲んだ。私にとってささやかな楽しみだ。
私が窓際で一人で飲んでいるのを見て、大きなキャスケットをかぶった使用人の子供が、好奇心旺盛に大きな目を輝かせている。私と目が合うと照れ臭そうに笑う。
「お巡りさんは、みんなと遊ばないの?」
少年はなかなか達者なドイツ語で話しかけてきた。
「私は酒しか趣味がないんだ」
「僕はこれしか仕事がない。でもドイツ軍は好きさ! 世界一強いから」
「ぼうやはどこでドイツ語を習ったんだね?」
「僕のお父さんはドイツ人だ。でも今はどこにいるのかわからないんだ」
少年の表情がみるみる雲ってゆく。
「ママは?」
「ママも」
「二人はぼうやを置いてどこ行ったんだい?」
「ボリシェビキに連れてかれた」
一九四〇年にソ連の侵攻を受けたリトアニアでは、こういった子供がたくさんいる。
「孤児院に押し込まれたんだ。ひどいところだったよ」
少年の体はみすぼらしく痩せていた。気の毒になってラスクを一枚ポケットから出して、少年に渡した。
「お巡りさん、ありがとう」
少年は目を白黒させて、ラスクを受け取った。
「私はミュラー。ぼうやの名前は?」
「ミハウ」
「いくつだ?」
「十一」
少年の栄養不良の体はどう見ても、七歳ぐらいに見えた。
「ミハウ、ドイツ名はないのか? その名前よりドイツ名を名乗ったほうが有利だぞ。親父さんがつけてくれた名前はないのか?」
ミハウは困った顔をした。
「じゃあ、ミヒャエルにしよう。それがいい。バパにはそう呼ばれてたと周りには説明するんだ」
「でも、僕はこの名前が好きなんだよ」
「私はその名前で呼ぶさ。でも君の安全のためにはドイツ名があることも説明した方がいい」
「わかったよ、ミヒャエルだね。僕、あっちも掃除しなきゃなんないんだ」
「そうかい。私はもう寝るよ。おやすみ」
「おやすみ」
ミハウは歯をひんむいて最高の笑顔を見せた。
翌早朝五時半、我々はすでに目標のアパルトマンまでトラックを走らせ、整列・点呼を終えていた。連れてきた犬が待ちきれぬとばかりに猛烈に吠えたける。
《高級巡査》に昇格したハンケが、厳しい表情で任務の説明をはじめた。
「この街区周辺はもともと、ユダヤ人居住区だったらしい。ラセイニャイにはカウナス同様、既にゲットーが整備されていて、市内のユダヤ人には移住命令が出ている。だがユダ公は用心深い。ゲットーに移らないで隠れ潜んでいる奴らが必ずいる。今日はそいつらを逮捕・捕捉して、ゲットーへ連行するのが表向きの任務だ」
我々は固唾を飲んで、「表向き」という言葉の意味が説明されるのを待った。
「ここからゲットーまで、ざっと十キロメートルはあるし、正午までに我々はゲットーへ移動せねばならん。この街区だけで、ユダヤ人はおそらく数十から数百人はいるだろう。我々だけで徒歩で連行するのは不可能だ。輸送するためのトラックも足りない。よって、輸送に難儀する場合に限り、射殺許可が出ている。一体この付近だけで何人いるのかわからないが、あまりに数が多い場合は数を減らすために間引きしなくちゃならんし、歩けない病人や老人はその場で銃殺する必要がある」
ハンケの口ぶりはいつものごとく、有無を言わさぬ響きがあった。
「地元協力者に、この付近のユダヤ人家族の情報を得てもいいがちまちま聞き取りする時間はない。建物の中に突入したら部屋は片っ端から捜索し、ユダヤ人がいた場合はこの場所へ連行しろ。病人、老人、車椅子を使う者はその場で銃殺したまえ」
場は静まり返った。皆様々なことを想像したに違いない。
「質問は?」
私たちには既にこの手の任務に対する質問などなかった。聞くまでもなく、わかってしまっていた。
「では、三人一組で散開する。ブック班は右、ミュラー班はおれと一緒に左、残りは予備隊としてここで待機。予備隊はユダヤ人たちが集まってきたら、どんな手を使ってでも制圧し、奴らを静かにさせておくように。ユダ公同士の会話は固く禁止する。よろしいかな?」
隣の区画で既に別の分隊が仕事をはじめたらしい。窓を割る音、人々の悲鳴や怒号がここまで聞こえてきた。
私の班のみ分隊長を含めた四名がいて、シュミットと、一九歳のウェーバー下級巡査だ。ウェーバーは分隊の中では最年少で、体が弱くて国防軍の徴兵検査に落ちて警察官になったという話だった。丸眼鏡をかけてひょろっと痩せており、背が低い。いかにも気の弱そうな青年だ。
「ヴィゴスキ、ミーゼス、モーシェ」
現地協力者の老人がアパルトマンに一緒に入ってきて、ここに住むユダヤ人家族の姓を読み上げているのか。言葉がわからないし、通訳もいないのに先頭に立って階段を登り、角の部屋を指差した。
「ヴィゴスキ、ここ」
「爺さん、下がってな」
ハンケは老人を下がらせると、問答無用にドアを蹴破り、中に入ってルガーを天井に向けて二発撃った。
「ユダ公め、出てきやがれ!」
シュミットが叫んだ。
「ミュラーとウェーバーは階段を見張ってろ。鼠野郎が逃げ出さないようにな」
ハンケの目はぎらぎらと輝いている。私とウェーバーは階段のそばで待機していたが、老人は待ちきれないという様子で階段を登っていき「ミーゼス、ここ!」と怒鳴った。
「爺さん、ちょっと待ってろ!」
私は叫んだが、ハンケが怒鳴る声が聞こえた。
「構わん、行け」
私は老人の後を追って、ウェーバーと一緒に三階へ登った。
「ミーゼス、ここ!」
老人はそう言って扉を蹴破ろうとする。
「よせったら、爺さん!」
ウェーバーが泣きそうな顔で老人を制止しようとする。
私は覚悟を決めて、ドアノブを小銃で撃ち抜き、ドアを蹴破って中へ入った。
奥へ進むと広い居間があった。待ち構えたようにユダヤ人の一家が集まってこちらを見ていた。皆、落ち着き払っており、きたる苦難を全て受け入れる覚悟が一つ一つの瞳に宿っていた。
中心に初老の男がいて、その隣に妻、後ろに若い男の兄弟がいる。その隣に姉か妹か判然としないが、若い女が立っている。よく見ると初老の夫婦以外は幼い顔をしていて、まだ十七か十八といったところだろうか。
「ミーゼスか?」
私は小銃を突きつけて問うた。
「その通りです。私が家長です。家族は全員揃っています。紅茶でも飲まれますか、巡査殿」
「悪いがその時間はない」
私は努めて冷酷に答えた。幾許の期待さえ持たせないように。時として、期待はより深い絶望へとつながる。
「ここにいるので全部か?」
私は他に人がいないか、協力者の老人に質問した。老人は頷いた。嘘ではなさそうだ。
「身分証を持って下へ降りろ。荷物はドイツ軍が規定した通りの量しか許可されない。ゲットーで新しい住まいを探すんだな、ユダヤ人さん。ドイツ語はどこで学んだ?」
「前の大戦の直後にこの地に移住しました。私たちはドイツ人です」
「ドイツでは、ユダヤ人の公民権は既に剥奪されている」
手が震えているのを悟られまいと、冷静に答えた。
「知っていますよ。ドイツはかつて偉大な国でした。それが今やこの有様。私はユダヤ人ですが、前の大戦では陸軍大尉としてドイツのために戦いましたよ。あの頃はみんなが仲間でした。いや、そんなことはいい。参りましょう」
ミーゼス氏は威厳を持ってすっくと立ち上がった。
「ウェーバー君、聞いての通りだ。大尉殿とそのご家族を下にお連れしなさい。くれぐれも丁重に」
アパルトマンはあっという間に解体され、予備隊のもとに二、三十人の人々が集まっていた。犬がひっきりなしに吠えたけり、場は混沌としてきた。
「大したことなかったですね」
「馬鹿野郎、これからがきついんだよ」
呑気なシュミットに、ハンケが怒気をこめて言った。
ハンケの言う通りだ。たったの十人の分隊で今集めてきたユダヤ人たちを見張りつつ、別のアパルトマンに入って更にユダヤ人を連行して来なければならない。ここにいるのは五体満足のユダヤ人ばかりで、おそらく隙をついて逃げようとする者も現れるはずだ。もしそうなれば、場を制圧するために我々は過酷な処置を遂行せねばならない。
機関銃班のホフマンとベッカーが、ユダヤ人の輪の中心に向かってMGの銃口を向けている。一分間に九百発の弾丸を発射できる代物だ。この程度の人数は瞬時に制圧できるだろう。
予備隊に残ったもう一人はゲアハルトで、リードをつないだ犬を引き連れて、威圧的に輪の周囲を巡回している。いつもの優しげな様子は微塵も感じられない。
「シュミットは予備隊に残ってゲアハルトたちを支援しろ」
「了解」
「じゃあ次の建物だ。ブック班は奥、おれたちは手前だ。あまり時間をかけると、それだけ逃げようとする者が現れる。急ぐぞ!」
同じ要領で我々はアパルトマンへ突入し、一つ一つの部屋を武装解除した。空き部屋も多くあったが、ユダヤ人の家族を見つけると、大抵二世帯か三世帯以上で固まっており、連行する人数がどんどん膨れ上がった。不安を感じれば感じるほど、我々は暴力を行使せざるを得なくなった。ブック班の突入したアパルトマンでは頻繁に銃声が鳴り響き、人々の悲鳴が途絶えることなく聴こえてきた。
とある部屋の前で、私たちは例によって古い木製のドアを力づくで蹴破り中に入ると、今度はなんと四世帯ものユダヤ人が中にいて、最高齢の老人は車椅子だった。きょとんと皺だらけの顔をこちらに向ける老人。どう見ても歩けそうになかった。
初老の夫婦とその息子夫婦が、不安げにこちらを見ていて、老婆と若い女がそれぞれ小さな子供を抱いている。子供はどう見ても一人は乳児で、もう一人は二歳ぐらいの男の子に見えた。乳児だけが「だあだあ」と声を発していて、男の子は興味深そうに、目をまん丸くして、完全武装した我々の姿を見ていた。
「七人か」
「分隊長殿、こいつはきついです。まだ上の部屋もあるってのに」
私はこの状況で、ハンケがどう考えているのか知りたかった。
「やるしかねえよ」
ハンケは厳しい表情で答えた。
その直後、ハンケはMP短機関銃をユダヤ人一家に向けて、こう叫んだ。
「ミュラー、ばばあと女が抱いてるがき、どっちか分捕れ」
「赤子を?」
私は耳を疑った。
「何故ですか」
「さっさとやれ」
「分隊長殿、説明してください」
「お茶の時間じゃねえんだよ、そんな暇あるか! さっさとやれと言ってるんだよ」
私は、あっけに取られてこちらを見ている若い母親が抱く乳児と、老婆が抱く男の子を見比べた。
「どっちを?」
「さあな、軽いほうにしたら?」
「分隊長殿、説明してくれなきゃわかりませんよ!」
「人質にするんだよ、他に何がある。がきをちょっと預かって、下に行かせるんだよ。うまく行けば誰も死なねえ。ウェーバー、銃を下ろすんじゃねえ! しっかりこいつらのけつに狙いをつけてろ」
ウェーバーがびくりとして、慌てて小銃を構えなおした。
私はやむなく、男の子を老婆から引き離そうとした。老婆は案の定、奇声を上げて抵抗したので、即座にハンケが老婆の足下に向かって発砲した。男の子は私の手の中で大きな声で泣きはじめ、つられて乳児もけたたましく泣きはじめた。
ハンケは私の手から男の子をひったくり、窓の外に放り投げるようなそぶりを見せて、汚い言葉でこう言った。
「このがきを蛙みたいに死なせたくなけりゃ、さっさと下に移動するんだ。下に行けばがきは助けてやる」
半狂乱に陥ったユダヤ人一家は、すさまじい悪罵と恨みの叫び声をあげたが、やがて泣き声をあげながら自ら下へ降りていった。
初老の男が、車椅子の老人を連れて行こうとしたがハンケがそれを制した。
「こいつはここでいいんだ。さっさと行きやがれ!」
『父なんです!』
「知るか! 行っちまえ」
銃を突きつけるハンケを前にして、初老の男は
『父さん、父さん! 戻ってくるよ、戻ってくる』
と泣きながら階段を降りて行った。
残された車椅子の老人は、なおもきょとんとした顔で我々を見つめている。
「ウェーバー、こいつを銃殺しろ」
突然、ハンケがウェーバーに命じた。
「え?」
「殺しは初めてだろ。これから飽きるほど殺すことになる。今ここで筆下ろしをさせてもらえ。このじじいでな。こいつは呆けちまってる。何もわからないままあの世へ行くだけだ。心を痛める必要はねえ」
「はい」
ウェーバーは震える声で返事をすると、老人の正面から小銃を構えた。
「馬鹿野郎、まき割りじゃねえんだよ! そんな距離でまともに頭撃ったらどうなると思ってやがる。もっと離れて後ろから撃つんだ。もっと低く、肩胛骨のちょっと上を狙え。銃口を背骨にくっつけても構わねえ」
ウェーバーの全身はがくがくと震え、目は涙で潤んでいる。
「ミュラーはこのがきを連れて、下に行け。がきを奴らに返したらすぐ戻ってこい」
男の子を抱いて階段を降り、先ほどの一家を予備隊に引き渡した。男の子を取り戻した母親や父親は、我が子をひしと抱きしめ喜びの声を上げた。先ほどの初老の男だけが『巡査殿、父はどうなりますか?』と不安げに尋ねるのだった。
かわいた発砲音が聴こえた。急いで階段を駆け登ると、首筋を撃ち抜かれた老人が血だらけの床に横たわっていて、傍らに頭を抱えてうずくまるウェーバーがいた。
ウェーバーはこれ以上ないぐらい顔を歪めて奇声を発し荒い息づかいで、気が触れてしまったのかと思ったが、よく見ると顔を真っ赤にして号泣しているのだった。
ハンケは一人で上に行ったのか。既にいなかった。
私はウェーバーの肩に手を置いた。
「巡査殿、もうこんなことはしたくありません。故郷に帰りたいです、帰らせてください」そう言っていつまでも泣き続けた。
アパルトマンの解体を終え、我々がユダヤ人を引き連れて予備隊のところに戻ると、ブック班も戻ってきていて、輪の人数は百人近くに膨れ上がっていた。この人数を徒歩でゲットーまで連行しなければならない。もし誰かが逃げようとしたら街中でも発砲せねばならない。場の雰囲気は緊迫の度を増していた。
我々は、来る時に乗ってきたトラックにベッカーとホフマン、MGを乗せ、銃座を据えた。車内はどんなに詰め込んでもせいぜい十人乗るのがやっとだ。赤子を抱いた母親を優先的に乗せようとしたが、他の家族と離れたくないと拒否する者が多かった。そこで、小さな子を連れた家族と、老夫婦を二組選び出してトラックに乗せた。ホフマンとベッカーが彼らを機関銃で監視し、シュミットも一緒に乗って小銃で監視した。ゲアハルトは運転手を務めた。
分隊はたったの六人で、九十人前後のユダヤ人を連れてゲットーまでの道のりを歩かなければならず、真夏の熱線をたっぷりと浴びながら歩き始めた。
案の定、すぐに問題が明らかになった。ユダヤ人たちは歩き出すと牛のように遅く、ゲットーに到着するのは一体いつになるのか、危機感を覚えるほどだ。そこで、我々はユダヤ人の最後尾の者たちを押したり、犬で脅したりして、少しでも速く歩かせようとした。ブックやフィッシャーたちは列の横から人々を問答無用で殴りつけ、時には列から一人のユダヤ人を引き出して、罵りながら殴ったり膝蹴りを加えたりして、また乱暴に列に戻したりした。これが約二時間に渡って繰り返された。
一方でユダヤ人を守らなければならない場面もあった。というのも、我々の行進に気づいたリトアニア人の野次馬がしばしば駆けつけてきて、ユダヤ人をいきなり鉄の棒で殴りつけたり、激しく蹴りを入れたり、髪を引っ張って横面をはたいたり、女性のスカートを刃物で切り裂いたりしたのだ。その都度哀れな叫び声があがり、リトアニア人は嬉しそうに大笑いした。現地人の残虐性は、カウナス同様、ラセイニャイでも変わらなかった。現地人の暴力はしばしば行き過ぎていたので、ユダヤ人を守るためにリトアニア人に銃を向ける必要もあった。
道中逃げようとする者もおらず、大きなトラブルはなさそうだが、炎天下を緊張を強いられながら十キロメートルも行進せねばならない。我々は疲れ切って次第に無言になっていった。
距離を重ねるにつれ、体力を消耗した老人たちが次第に遅れはじめた。老人たちは荒い息をつき、汗を拭い、必死の形相でついてこようとするが、耐えられず地面に倒れこむ者もいた。
倒れこんだ老人たちを待つゆとりなどない。かといって放置もできないので殺すしかなかった。
「おいご老人、もう動けないか。もう駄目か?」
ブックが、倒れこんだ老人の横腹をちょんちょんと蹴りながら確認する。
「こいつもうだめだな」
ブックは小銃で老人の首の後ろを撃った。老人は即死した。血が路上に散らばった。私は見ないようにして、先へ先へと急いだ。
先ほどの元大尉の老人が、苦しそうに荒い息をつきながら歩いている。家族が心配そうに寄り添い、肩を貸そうとしたが、大尉は『私に構わなくてよい』と言うばかりだ。『父は心臓が弱いのです』と娘が言う。フィッシャーは面白がって犬をけしかけ、大尉の右足首に噛みつかせた。鋭い牙が元大尉の肉に食い込み、犬はなおも顎をぶん回して肉を食いちぎろうとする。老人は苦悶の表情で呻き声を上げた。家族は猛抗議をした。
『何をするんです、あなたたち正気ですか?』
悲鳴を上げた者はフィッシャーとブックによって叩きのめされ、列の前の方に無理やり引きずられていった。
元大尉は一歩一歩を苦痛に耐えながら進んだが、胸を抑えながらついに膝をついた。足からはおびただしい量の出血を認めた。家族が悲鳴をあげ、元大尉に駆け寄ろうとしたが、私とハンケがそれを制止した。これ以上列を乱すのも遅らせるのも許されない。
ハンケが命令を出した。
「フィッシャー、嬲るな、もう殺せ」
「了解」
フィッシャーはにやにやしている。
「彼はドイツ軍の大尉だったそうだ。むやみに苦しめないでくれ」
私はフィッシャーに頼んだ。
「でもユダヤ人なんだろ?」
フィッシャーは冷たい目で言い放つと、大尉の背中を蹴倒し、後頭部を全体重をこめて軍靴で踏みつけた。一度、二度、三度と踏みつけると、頭部はぐしゃりと潰れた。酷い死に方だ。家族は悲鳴を上げた。特に老婦人は狂乱状態に陥り、警官たちの静止を振り切って夫に駆け寄ろうとした。ブックが婦人の背中を撃ち、近寄ってもう一発首筋に撃ち込んだ。二人は身を重ねるようにして息絶えた。
『人殺し、人殺し!』と娘が怒鳴ったので、フィッシャーは娘も列から引きずり出して、壁に頭を打ちつけたり馬乗りになって顔や腹を何度も殴り、袋叩きにした。
「フィッシャー、それぐらいにしとけ。遅れる」
ハンケが軽蔑したように制止する。
「ユダヤ人め、思い知ったか」
興奮したフィッシャーの顔を見て恐怖を覚えた。どうしてそこまで憎いのだ? 娘はその後、結局力尽きて歩けなくなり、道端で泣きながら倒れた。ハンケが倒れ込んだ娘を道端で銃殺した。
正午頃になって、ようゆく我々はゲットーに到着した。みすぼらしい建物が並んでいて、門の横では餓死した子供が道端に倒れていた。傍らで秩序警察の警官が二人と、複数人のユダヤ警察が警備していた。門の奥はどやどやと人であふれていた。収容されたユダヤ人だ。汚らしい場所で汚らしい格好をした人の群は明らかに鼠を連想させた。
「汚ねえ奴らだ。ここもろとも焼き払っちまえばいいんだ。せいせいするだろうぜ」
フィッシャーが悪態をつく。
「やっと到着か。麦酒が飲みたいねえ」
ブックが額の汗を拭う。
先にトラックで向かっていたゲアハルトたちと門の前で合流し、わずかな休憩をとった。休憩している間にも他の部隊はゲットー内部の捜索を命じられ、ユダヤ人の男たちを狩り集める任務に従事した。この作戦はマイヤー少尉が直接指揮をしていて、労働可能なユダヤ人男性を一人でも多く集めてこいとの命令だった。
昼から天候が曇り始め、ゲットーの不衛生な環境と相まって、大変に過酷な任務となった。ひどい悪臭と蒸し暑さの中、警官たちは建物の一つ一つを襲撃し、ユダヤ人の男を見つければ片っ端から逮捕して連行した。ゲットーの中はユダヤ人評議会によるある程度の自治が認められていて、ユダヤ人たちはゲットーの中で圧倒的な数に任せ反抗的だった。否応なく警官たちは苛々とし、暴力的となっていった。
休憩を終え、中隊主力に合流する頃にはかなりの数のユダヤ人男性が門の近くに集められていた。低い声で唸る軍用犬と、武装した警察官に監視され、地べたに座り込んでいた。分隊は小隊の他の仲間たちと一緒に、狩り集められてくるユダヤ人たちを監視した。想定していた終了時刻はとうに過ぎていた。皆疲れ切っていた。ふと空を仰ぐと曇天が今にも雨を降らせそうだった。
「疲れたね」
ブックがため息まじりにつぶやいた。
「この歳になるとこういう任務は辛いですね。それにしても蒸すな」
ゲアハルトが応じた。
ハンケはいつも通りに鉄面皮で仁王立ちしている。疲れを感じないのだろうか。
「ミュラーさん、向こうで輜重隊がシュナップスを配ってるそうです。行って取ってきますよ」
シュミットが言った。嫌な予感がした。第七要塞の忌まわしい記憶が脳裏をかすめた。
しかし、蒸し暑さと喉の渇きは如何ともし難く、結局はシュミットや若い警官を行かせて多めに取って来させた。瓶を手にすると栓を抜かずにはいられなかった。喉を焼くような猛烈な辛さ。蒸し暑さには最適とはいえないが、すぐに気分が良くなってきて、体の疲れや関節の痛みも気にならなくなってきた。
「この酒はどこが配ってるんだろうな」
少し酔ってきて、シュミットに話しかけた。
「保安部の差し入れらしいですよ」
視界が大きくぐらつくのがわかった。
「保安部が?」
「それがどうかしたんですか? まったく気がきくんだかきかないんだか、何故シュナップスなんでしょうか。こんな暑い日は麦酒の方がみんな喜ぶでしょうに。もっとも、おれは水のほうが良かったです」
空は暗く今にも雲が落ちてきそうだ。ぽつりぽつりと雨が降ってきた。
「降ってきましたよ」
シュミットが手のひらで雨を受けながら毒づいた。
場がなにやら騒がしくなってきた。門の前に黒塗りのベンツがいつの間にか停まっていて、中から灰色の制服を着た親衛隊将校が降りてきて、何やら指示を出している。
「新しい命令ですかね」
将校はまたすぐにベンツに乗って、どこかへ走り去ってしまった。
直後、トラックが何台も何台も、怒涛の勢いでゲットーに入ってきて、我々の目の前で停車した。《武装親衛隊》の兵士が降りてきて、ユダヤ人たちをひどく殴りつけながらトラックへ乗せ始めた。
十分もしないうちに、トラックはユダヤ人をいっぱいに乗せて走り去っていった。
夜、自由時間になると、また酒を飲みながらミハウと話した。
「何だろうねそれ」
「働きざかりの男ばかりだった」
ゲットーの光景を思い出しながら、私は言った。
労働力にするためにどこかの工場に送ったのかもしれない。しかしこの付近に工場などあるのだろうか。KZ(強制収容所)が新たにできたのか。
今日は同僚たちの冷酷さを改めて見せつけられ暗い気持ちになったが、酒を飲んで忘れようと思った。
「ミハウは今日は何をしていたんだね?」
私は聞く。
「掃除と厨房の手伝いだよ」
「きつそうだね」
「でもこうして働かせてもらえれば、僕のような親なしでも生きていけるんだよ。ドイツには感謝してる」
ミハウの言葉を聞くと、正しい道を歩んでいるのかもと感じた。
「明日も仕事だ。早めに寝ようかな」
ミハウは、また歯をひんむいて満面の笑顔を見せてくれた。
「ゆっくり休んでね!」




