Ⅰ-2
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夜になって我々はようやく兵舎に落ち着いたが、警官たちはあまり口をきかなかった。外は昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていて、木枠の窓から空を眺めていると、雲ひとつない夜空に星が瞬いていた。星をひとつひとつ眺めていると、今が戦争中だと信じられず昼間の地獄のような光景が嘘のように思えてくる。故郷が恋しくなった。
私は昔、ルール地方のレックリングハウゼンで教師をしていたのだが、ヒトラーが政権をとって以来、教育の現場も狂気じみてきたものだった。私は当時からあまりナチには関わりたくなかったので、機を見つけて教師を辞めた。その後は紅茶の輸入業をしていた。生来から騒がしいことが嫌いで、世俗からは距離を置いていたかった。そうやって長いこと勝手気ままな生活を送っていたが、収入は不安定だったし、結婚を考えたことはなかった。教師を続けていれば、あるいは縁談の話が持ち上がったのかもしれない。あまり興味はなかった。父は第一次大戦で戦死し、母も心臓を悪くして亡くなっていた。
今はむしろ、国に帰っても家族がいないことに安堵した。もし、私に息子や娘がいたら、今日見たような光景を子供たちにどうやって説明できるだろうか? 帰りをねぎらう妻に、誇りを持って接することができるだろうか? まったく自信がなかった。私が直接危害を加えたユダヤ人はまだ一人もいない。にもかかわらず、心は罪悪感で重くなっていたのだ。
物思いにふけっていると、ハンケが軍靴の音をゴツゴツと鳴らしながら早歩きでやってきて、我々を一通り見渡して次のように述べた。隣には親衛隊の制服を着た背の高い将校がいる。
「九人全員いるな。第一五分隊はこれより親衛隊と協働でパトロールに向かう。こちらは親衛隊少尉のプリュッツマン殿だ。保安部の特殊部隊を率いておられる。今夜我々はプリュッツマン殿の指揮下に入る」
「よろしく。人手が足りないものでね」
少尉の顔を見て、要塞でカメラクルーを連れて撮影していた将校と同一人物だとわかった。分隊の皆の顔がこわばっている。悪い予感がして動悸を抑えられなかった。
少尉の顔はおよそ親衛隊らしくなかった。のっぺりとしていて鼻が低く、ほおがこけている。目は細く、髪は黒く、アジア人のように見えた。薄笑いを浮かべているかのように口の右端だけがわずかに吊りあがっている。楽しいことでもあったのか、それともこれがこの男の無表情なのか、いまいち判断がつかない。声は低いようでも高いようでもある。何とも事務的で抑揚のない話し方だ。年齢はおそらく二十代後半ぐらいではないだろうか。それも自信がなかった。
「街外れの民家に赤軍の残党が隠れているという情報が入った。国防軍からトラックを借りたから、リトアニア人の自警団の連中と君たちで付近を捜索して、不穏分子は逮捕してほしい。夜遅くの任務で恐縮だが、本当に人手不足でね。ご協力願いたい」
「願いたい」などといっているが、少尉の口ぶりは断固とした異論を許さぬもので、結局のところこれは命令であった。なぜ突然親衛隊が我々のところに来て、指揮下に入れなどと言うのか、上は承知のことなのか。
「君たちの中隊長には話してあるから、早速準備にとりかかってほしい。リトアニア人が現地で手引きしてくれる手筈になっているんだ」
見透かしたようにプリュッツマンが付け加えた。
兵舎の前にはトラックが待機していて、ちょうど十人ぐらいなら乗れそうに思えた。我々はトラックに乗り込み、幌を下げた。視界が外界から遮断され、トラックが走り始めると、各々が喋り始めた。無理もない。あまりにも急だったし、疑問や納得いかないことがたくさんあったのだから。
「驚いたね。おれたちいつから親衛隊員になったんだ?」
「あんな胸の悪い任務をやらなきゃならないのですか?」
「赤軍の残党なら武器を持ってるだろう。戦闘になるかもしれないのに、一個分隊とリトアニア人だけ? 重火器もないのに!」
「中隊でなぜ我々だけが選ばれたんでしょうか」
「任務中にべらべら喋るんじゃねえ」
ハンケが不機嫌に会話を遮った。
「しかし、わからないことが多すぎます!」一人の警官が抗議した。
「命令に従うのがおれたちの仕事だ」
皆おし黙った。ハンケの言う通りだった。どんなに理不尽な命令でもわけがわからない状況でも、命令に従う以外に選択肢はない。
我々は確かに警察ではあったが、秩序警察はもともとベルサイユ条約の陸軍の保有制限をかわすために創設された、《警察軍》を前身とする準陸軍組織だ。一九三六年以降、《ライヒスフューラー(親衛隊全国指導者)》のヒムラーが全ドイツ警察長官に就任してからは、保安警察と秩序警察がドイツの治安の二本柱と呼ばれるようになった。
我々は軍人としての教育を受けているし、現に秩序警察の警察大隊が、国防軍や武装親衛隊に抽出されるという動きが開戦以来活発に為されていた。国防軍や親衛隊の人的補充プールとしての役割が警察に期待されていたのだ。同時に、末端の警官たちは秩序警察が国防軍や親衛隊に順次吸収されていくのではないか、と感じている。今回の件で不安はより高まりそうだ。
トラックはいつしか市街地を抜け、暗闇を走り続けている。どこへ向かってどこを走っているのか、我々には何も知らされない。ハンケにいさめられて以来、会話もなかった。タイヤが砂利を噛む音だけがいつまでも鳴り続けた。
そうやって二十分も走り続けただろうか。宴会でもやっているかのような、賑やかに騒ぐ声が聞こえ始めた。弦楽器が聞きなれないメロディを奏でている。現地民謡だろうか。やがてトラックが止まった。
幌をめくると男たちが酒盛りをしていた。二十人はいただろうか。楽器の演奏にあわせて歌ったり、何かを話し、手を叩いて大笑いするものもいた。古い軍服を着た者もいれば、平服の者もいたが、全員が銃を持ちベルトに弾薬ポーチを通して武装していた。
プリュッツマンがトラックから降りてくると、「アーハトン(気をつけ)!」と号令がかかり、リトアニア人も我々もプリュッツマンに注目した。
「ハイルヒトラー! 夜分の集合ご苦労。この地域は大昔からユダヤ人がたくさんいることで悪名高い場所である。赤軍が隠れるとしたらこの付近は最も疑わしいといえる。今夜はリトアニア人の現地自警団も、義憤にかられ駆けつけてくれた。彼らは昼も我が軍に協力してくれた。ドイツ軍はこの勇気ある協力に、心より敬意を表する。我々はこれより民家を全て捜索し、不審な人物がいないかを調べ、もしも明らかに赤軍兵士やユダヤ人と見られる者がいた場合は、自警団に引き渡すか、抵抗する者や歩けぬ者はその場で射殺することも考えねばならない」
プリュッツマンはそこでいったん区切り、周囲を見渡した。
「保安部が入手したリストによれば、この村には五世帯が住んでいて、いずれも家系的にアシュケナジム系ユダヤ人であると確実視されている。こいつらは長いこと近親交配を繰り返し、生来的に犯罪者である場合が多く、放置すれば我が軍の後方で反乱の狼煙を上げるのは確実である。ここで相応に処置し、地域を浄化することは、治安維持の観点からも必須だと言えるだろう」
プリュッツマンは、のっぺりとした顔を我々の方に向けた。
「秩序警察隊員の諸君も、《フューラー》と国民が進める人種戦争に参加していただかなければならない。これは聖戦である。ライヒ(国家)とフォルク(民族)を、忌まわしい共産主義とユダヤ人から防衛するためのね」
そして、最後にこう付け加えた。
「よって、今朝君たちがもめていたように、我が民族の宿敵を打倒することを、そんなにためらってはならないのだよ」
私はそこで全て理解した。今回の件はこの男なりの陰険な報復なのだ。今朝、カウナスに着いてすぐ見かけた婦人たちへの暴力。確かに我々はあそこで動揺し、保安部隊員の眼前で《民族の宿敵》を助けなければならない、と声をあげてしまったのだ。奴は全て聞いていた。あの時見かけた親衛隊将校はプリュッツマンだったのだ。確かに奴はあの時我々を見ていた。あの喧騒の中で、我々のやり取りを耳を澄まして聞いていたのだ。
分隊の皆も即座に理解したらしかった。あの時唯一冷静だったハンケが、そら見たことかと我々を嗤っているような気がした。しかし、ハンケは何も言わず直立不動を保っている。はじめから知っていたのかもしれない。
五つの民家は我々の位置から星型に散らばっていて、北西の二軒を我々が、南東の二件をリトアニア人たちが担当する。残った南西の一軒はプリュッツマンと部下の保安部隊員、リトアニア人数名が担当する。
広場を離れて歩き出すと、少しの明かりも見えなくなった。真の暗闇だ。懐中電灯だけが頼りだ。砂利道を我々は黙って進んだ。
月夜の晩、目が闇に慣れてくると、ぼんやりと二件の家がそれぞれ東と西にたたずんでいるのが見えてきた。それまで黙って先頭を歩いていたハンケが振り返った。
「いいか、こうなった以上は任務に集中しろ。めそめそと泣き言は言うな」と警告するように言った。
「分隊を更に二つに分ける。シュミット、ミュラー、ゲアハルトはおれと一緒に東の家を、分隊長補佐のブック並びに残りの隊員は西の家だ。中に踏み込んだら、とりあえず中にいる人間は合流地点、つまりここに戻ってきて、分隊の残りと合流し、その後さっきの広場に戻ってリトアニア人たちに引き渡す。機関銃班のベッカーとホフマンの二名はこの場で射撃準備をして待機。逃げてくる者がいたら射殺しろ。いいか、ためらうなよ。これ以上恥をかかせるな」
機関銃班の二十歳になったばかりのベッカーが不安げに問うた。
「この闇の中を……。味方とどうやって見分けるのですか?」
「おまえ馬鹿か?」
「は?」
「相手はおれたちを振り切って走って逃げてくるユダ公だ、見りゃわかるだろ!」
ハンケは苛立っているのではなくいつもこんな調子だ。部下に質問されるのがあまり好きではないようだ。彼は一九一二年生まれで、ポーランド戦に従軍した時には二十六歳だった。それまでは運送業者だったということぐらいしか知らない。ハンケは自分についてあまり語らなかったし、質問されるのが嫌いだからだ。なぜ国防軍ではなく警官に志願したのか、その経緯を知る者はいなかった。そして、その質問はどの警官にとってもあまり触れられたくない部分なのだ。
私はシュミットと顔を見合わせ、ハンケとゲアハルトの後に続いた。二人は「アクティオーン(作戦)」がはじめてではないのだろう。
「動けない老人や病人はその場で射殺する。少尉の命令の解釈は以上でよろしいですな?」
「ああ」
「赤子はどうします?」
「母親に抱かせて連れてくればいい。あとはリトアニアのくそどもが片付けてくれるさ」
私は二人の会話を聞きながら、子供は自らの手を汚さなくても良いのだと安堵した。シュミットはといえば、張り詰めた表情で終始無言だった。私と目があうとじっと見つめ返してきたが何も言わなかった。ひょっとしたら、今夜私は生まれてはじめて人を殺すのかもしれない。ソビエトに侵攻すると聞かされた時から、いつかその瞬間が来るだろうと覚悟はしていたのだが、昼間の地獄を思い出すたびまだ自分が一人も殺しておらず、それどころか誰一人殴ってさえいないのが奇妙に思えた。
私はなんの主体性もなく、なにひとつ自分では意図せぬまま、《総統》とナチが掲げた人種戦争に足を踏み出そうとしていたのだった。
「現在時刻は二二◯五。十五分でかたをつけろ。二二二◯までには住民を連れてここに集合。逃げる奴は撃ってかまわん。もし取り逃がしたら追わなくてよい。が、絶対に逃がすな」
「ツーベフェール(かしこまりました)」
ハンケが分隊長補佐のブック巡査に指示した。
「では、健闘を祈る」
ブック班と別れた我々は目標の家へと向かう。
私の心臓は、これから起こる出来事を予測して早鐘のように鳴っていた。ハンケとゲアハルトはためらう様子もなく、早歩きでどんどん進んで行く。私とシュミットは慌ててそのあとを追う。緊張のあまりもよおしてきたが、もうそんなことを言っている暇はなかった。目的の民家はもう目の前だったのだ。
「シュミットは家の裏口で、ミュラーは正面の玄関前で待機。おれとゲアハルトが奴らを連れ出すから、逃げ出そうとする者がいたらすぐ撃て」
ハンケが腰のルガーP08をホルスターからひき抜いて囁いた。
「ヤヴォール(了解)!」
シュミットは小声で応じると、小走りで闇の中に消えた。
私はまた手先がふるえはじめるのを感じていた。無意識に小銃の肩紐を握りしめた。手のひらが湿っているのがわかる。
ゲアハルトが玄関の木製のドアを蹴り破った。続けてハンケが家の中へと入り天井に向けて拳銃を発砲した。
「全員動くな! この地域に赤軍が潜伏しているとの情報がある。住民はただちに身分証を携帯して村の広場へ集合せよ!」
「きびきび動きやがれ!」
普段は柔和な印象だったゲアハルトも猛獣のように吼えた。
二人の警官に銃床で殴られながら、家の中で夕げを囲んでいたであろう一家が、泣き声を上げながら出てきた。その数は五人。
老夫婦と若い女、そしてその子供達と思われる兄妹。二人とも年の頃はまだ四歳か五歳か。
「貴様はこいつらを見張ってろ。逃げようとする奴がいたら撃ち殺せ。容赦するな」
そう言い残してハンケとゲアハルトは、家の中にまだ隠れている者がいないか、捜索に家の中に入ってしまった。子供も? 子供も殺すのか? 質問しなかったことを後悔したが、おそらくハンケはまともに答えてくれなかっただろう。
私はたった一人で銃を構えて五人を見張らなければならなかった。彼らは私が怒鳴ったり殴ったりしないのをみて色々と訴えかけてきた。
『私たちは何もしていない。何も隠していない。身分証もある。見てほしい』
家長とみられる老人や、その妻とみられる老婆が、このような内容のことをひっきりなしに喋り続けていた。とりわけ、若い母親だけは『子供たちだけでも見逃してもらえないか』と私に訴えかけた。
言葉はイディッシュ語で、ユダヤ人なのは明らかだ。イディッシュ語はドイツ語から派生した言語らしく、なんとなく理解できる。
『これからどうなるのか。私が行くからほかの家族は容赦してほしい。自分はドイツ人は歓迎している。だからリトアニア人には引き渡さないでくれ』
老人は激しく身振り手振りしながら、まくし立てた。少しも息つく間もないほど、延々と以上のような言葉を繰り返した。それはそれは耳触りで、私の張り詰めた神経には刺激が強すぎた。
「ルーエ、ビッテ(静かにしてください)!」
私は努めて冷静であろうとなるべく穏やかに注意しようとしたが、つい声が大きくなった。しかし老人は少しも黙る様子はなく、同じような言葉をまくし立て続けた。
頭が混乱してきて、どうにかこの老人を黙らせなければならないと感じた。
「ハルツマウル(静かにしろ)!」
銃床で殴る素振りを見せながら、より強い言葉を叫ぶと、老人は手を上げて一歩後ずさった。しかし、またすぐに同じようにつめよってきた。老婆や若い母親も同じように騒ぎはじめ、子供たちは泣き始めた。
もはやこの場を納めるには一人か二人撃ち殺さなければならないとさえ感じた。だがそこで老人を後ろから蹴り飛ばした男がいた。シュミットだった。
「シュリースデンムント(黙りやがれ)! このユダ公が、叩き殺すぞ!」
老人は動物のような声をあげて、派手に前のめりにすっ転んだ。顔が泥まみれになってすぐに立ち上がれなかった。老婆や若い母親が闇夜をつんざくような悲鳴をあげ、子供たちの泣き声もいっそう激しくなった。老人は倒れたまま『私の息子たちは昨日既にリトアニア人に逮捕された! ここにいるのは女や子供だけだ』と叫んだ。哀願するような口調だった。シュミットは「黙れと言ってるんだ、この豚野郎が!」と銃床でしこたま老人を殴り始めた。老人は泣き叫び、シュミットはさらに殴り続けた。何発殴ったかわからない。老人の頭は血まみれになり、泥の中に顔を突っ伏したまま、やがて動かなくなった。
老婆はその様子を見て半狂乱で泣きわめき、骸となった夫の体にしがみつき、激しく身振り手振りをしながら何事か抗議を始めた。その言葉はヘブライ語かなにかだったのか……まったく理解できない言葉だが、激しく罵っているのは鬼気迫る表情からうかがえた。私とシュミットは荒く息を吐きながら老婆の姿を呆然と見ていた。その刹那、銃声がして、老婆の後頭部が赤く弾け飛んだ。見るとハンケがルガーを構えていて、ゲアハルトもその後ろにいた。
「家の中は空っぽだ」
ハンケはこの惨状をみてすっかり静かになった若い母親と子供たちを確認すると、ルガーをホルスターにしまい、肩にさげていたMP短機関銃を構えなおした。
「村の広場まで歩くんだ」
『大丈夫。きっと大丈夫よ』
若い母親が子供に言い聞かせている。その顔は今にも泣き出しそうで、子供は母親の太ももにすがりつき、嗚咽を漏らし泣きながら歩いている。母親は自分も泣きたい状況だったに違いないが、気丈にも我が子を励ましていた。私はなんともいたたまれない気持ちになった。このユダヤ人の母子をリトアニア人に引き渡せば、ただでは済まないのは明らかだ。
他の警官たちがどう考えているのかはわからない。シュミットでさえ今ではもうわからない。ハンケはなぜ老婆を撃ったのだろうか。確かに老婆の精神状態は普通ではなかったが、言って聞かせてみる猶予ぐらいあったのではなかろうか。いきなり撃つなんて。ポーランドでどんな任務についていたのだろう。ハンケの鉄面皮を見ていると初めての殺人とは思えなかった。
集合場所に戻ると、機関銃班のホフマンとベッカーが、MG機関銃の射撃体制で定位置についていた。
「分隊長殿、ご苦労様です。首尾はいかがですか?」
「問題ない。ブックたちは?」
「もうそろそろでしょう。虫が照明に集まってきてたまりません。早く移動したいですよ」
「そりゃ難儀だったな。ひでえ田舎だからな」
時刻は二二時十五分を回っていた。我々が家に踏み込んでまだ十分程度しか経っていないのだ。
「ミュラー見てこい」
ハンケが命じた。
私はとぼとぼとブックたちが向かった家の方角へ歩いた。大した距離ではなかったので、すぐブックたちの姿を認めた。捕虜たちを囲むように移動していた。異様な光景で、輪の中には七人ぐらいいただろうか。いずれも子供たちで、十五歳ぐらいの大きな子もいれば、どう見ても五歳ぐらいの子供もいた。男の子も女の子も混ざっていて一様に下を向いて黙って歩いている。いや、一人だけにこにこと唄いながら楽しげに歩く太った十歳ぐらいの女の子がいて、どうみても蒙古症であった。その横をユダヤ嫌いで有名な元肉屋のフィッシャー下級巡査が並んで歩いていて、子供と一緒に楽しげに手を叩きながら唄っているのだ。私は再度胸のむかつきを覚えた。ブックは私より階級が二つ上なので、慇懃に軍隊式の敬礼をして声をかけた。
「巡査殿。ご苦労様です。首尾はいかがですか」
「まあまあだね」
ブックは三十九歳の元古書店の店主だ。分隊の中では年長なほうであり、ハンケに次いで階級が高かったので、自然と分隊長補佐のような役回りをしていた。ハンケとブックが会話しているところはあまり見かけない。だいたいハンケが不在の折にブックが分隊長の代理を務める、せいぜいそんなところだ。
「それで、そっちはどうかね」
「こちらも特に問題はないと思いますが」
刹那、射殺された老夫婦が頭をよぎったが、私はこう返答した。
「頑固なジジイがいてね。あまりにぎゃあぎゃあと騒ぐものだからつい、ね……。どうも街から逃げてきた子供たちを匿っていたようだね。あのじいさんが一人で産ませたのでなければね」
ブックは皮肉と悪意をにじませた言い方をした。
「それで、ミュラー君は見てこいと言われたのかね? 分隊長殿に」
「その通りであります」
「心配性だね分隊長も。もう少し時間があるじゃないか」
なんともあっけらかんとしている。今人を殺してきたとは思えない。
話しながらもハンケたちの姿が見えてきて、分隊は無事に合流した。
ブック班が戻るといよいよ場は混沌としてきた。我々が連れているのはほぼ全員子供で、大人は若い女がただ一人だけ。これのどこが赤軍の残党狩りなのか。放っておいても問題にもならないだろう。まったく滑稽だ。
広場に戻ると、プリュッツマンたちとリトアニア人たちが酒盛りをしていて、その脇で帽子をかぶった初老の男たちがスコップで穴を掘っていた。
『ラバイ・マローノ(お会いできて光栄です)!』
銃を提げたリトアニア人がにこやかに我々に近づいてきてナチ式の敬礼をした。子供たちの中でも年長に見える一五歳ぐらいの少年の胸ぐらをひっつかんで引き寄せたあと、尻に蹴りを入れて穴の方へ歩かせた。その後少年はスコップを渡され、初老の男たちと一緒に穴を掘るよう命じられた。他の家に向かった者たちも何事もなかったように戻ってきて、捕らえた戦利品を穴の前に並ばせた。
トラックの照明に照らされたユダヤ人の姿を改めて見ると、穴を掘っている三人以外は全て女性と子供で、見た目はごく平凡なスラブ人種か、あるいはリトアニア人にしか見えなかった。金髪の者もいれば、肌が透けるように白く、美しい外見の女もいた。よく見ると先ほど連れてきた幼い子を励ます母親も、金髪で鼻が高く、色が白く、相当な美人で、アーリア人種と比べても何が劣るのかわからない。
分隊とリトアニア人たち、保安部の二人、連行してきた捕虜たちは一様に穴が十分に深くなるのを待っていた。リトアニア人の小男がプリュッツマンに対して卑屈な笑みを浮かべ、つたないドイツ語で話しかけた。
「将校どの、娘っ子の服をひっぺがしたいんだが、許可してもらえねえですか? 兵隊たちを楽しませてやりたいんです」
そうやってリトアニア人の小男は乱杭歯をむいて笑った。
「どうせ殺しちまうんだし構わねえでしょう。なあ、ビッテ(お願い)!」
プリュッツマンはそれを聞いて「この田舎もんが」
と吐き捨てた。心底軽蔑したような目で小男を見据え唾を吐いた。小男は照れ笑いを浮かべながら、少しばつが悪そうな顔をしたがなおも食い下がり、我々にも話しかけてきた。
「なあ、いい女もいるしお巡りさんたちも見たいだろ?」
「ユダヤの女は恐ろしい魔女だ。こいつらはこのまま服を着た状態で殺す。文句があるなら貴様も一緒に埋めてやるぞ、この野郎」
フィッシャーが小男にすごんだ。
「よしたまえ」
プリュッツマンが間に入った。
「まあそうだな。ウンターメンシェ(下等人種)の裸を見て興奮しようだなんて非文明的だが、こいつら田舎もんの馬鹿どもが、それでよりいっそうがんばって仕事してくれるというなら、いいじゃないか。ユダヤの娘の一人や二人、ひんむいても」
プリュッツマンが更に口の端を持ち上げるようにしてサディスティックに笑った。
「いや、それはどうかと思います」
私はたまりかねて抗議した。
「それは軍人の名誉を汚すものです。本官は反対であります」
プリュッツマンが心底心外そうに問い返した。
「口を慎みたまえ。下級巡査ごときが親衛隊少尉に抗議だと?」
「申し訳ありません、少尉殿」
代わりに答えたのはハンケであった。
「この者は対ユダヤ人作戦の経験がほとんどないもので。今回の任務にまだ適応できておらず、混乱しているのであります。本官からきつく言い聞かせます。今回はご容赦いただけないでしょうか?」
「ふむ」
プリュッツマンは顎をさすりながら、私とハンケを交互に見て、何事か考えはじめた。
「まあ、いい。確かにその下級巡査の言うことも一理ある。ユダヤを脱がして下卑た好奇心を満たそうとは我が軍の名誉を汚すものだ。私も最初は君と同じ考えだったのだよ。だからこの蒙昧な田舎者の相手などはじめはしなかったのだ。だが、勇気ある警官がこうして私の過ちを正そうと意見してくれた。礼を言わねばならんかもしれん」
プリュッツマンは実際はもっと長々と遠回しで、皮肉たっぷりな言い方だったのだが、まとめると以上のようなことを言った。
「しかしだ。最下級の警官に諌められて命令を撤回するというのは、私も部下の手前ばつがわるい。こうしようじゃないか。ユダヤの娘たちの処刑は君たちに任せよう。君たちがやってくれるなら、服を着たまま死なせることを許可しよう。女や子供を殺すのは胸の悪い辛い任務だ。だからこそ《総統》への忠誠を見せる好機でもあるし、私の顔も立つ。もしもこの命令を拒否するなら、私はこのごろつきどもが娘たちに何をしようがまるごと許すつもりだ」
私は激情にかられて抗議したことを激しく後悔していた。しばし重苦しい沈黙が流れたが長い時間ではなかった。沈黙を破ったのはハンケだった。
「問題ありません。我々が処刑します。大人の女だけで良いのですか?」
「それで問題ない。子供の処理はリトアニア人に任せよう。我々の戦いはまだ先が長いのだから」
プリュッツマンとの交渉が成立した。
大人の女たちが選ばれて穴の淵に並ばされた。女たちは全部で四人で、先ほど子供を慰めていた若い母親も含まれていた。子供と母親が離れる時、母親は子供たちに何かを言い聞かせていた。子供たちは目に涙をいっぱいに浮かべ、母親の言葉を黙って聞いていた。それはわずかな時間だったが、愛溢れる感動的なシーンで、宗教画のモチーフにしたいぐらい美しい、慈愛に満ちた名場面であった。しかし、愛はこの状況に対して何一つ役には立たなかった。
「アーハトン(気をつけ)!」
ハンケが号令をかけ、我々は一列に並び、小銃に弾を込めた。
「レークト、アン(構え)!」
ハンケの号令が遠くに聞こえた。私の手の震えは、今や全身に波及し、視界はぼやけ、歯が鳴るのを抑えられない。耳鳴りがし、眩暈がし、耐え難い頭痛に襲われた。吐き気がして立位を保持することができず、その場に膝をついてしまった。
「ミュラーは外れてよい」
ハンケがそう言うのが聞こえた。プリュッツマンがそれに対して何かを言ったようだが、もう私には聞こえなかった。ただ、ハンケが「この男は私の部下ですから」と言っているのは、はっきり聞こえた。
「フォイヤ(撃て)!」
一斉射撃の炸裂音がし、女たちは穴の中になぎ倒された。ハンケが腰のルガーを抜いて、女たちの頭部に一発一発弾丸を撃ち込み、死に切れなかった者たちにとどめを刺した。私のひきつけはおさまらず、それを見たゲアハルトが、「こりゃ芝居じゃなさそうだ」と、心配したように言った。
ゲアハルトとシュミットに肩を支えられ、私はトラックに乗せられた。その後にわかに意識を失ったようで、次目を覚ました時にはトラックは走り出していた。同僚たちが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
ユダヤ人に冷酷になれなかったことを仲間たちに責められるのだろうと危惧したが杞憂だった。誰も私を責めなかった。それどころか、シュミットなどは道中私を慰め続け、私のことを勇敢だとさえ言うのだった。
「御国の為とはいえ、今日は辛い任務だった。偉かったぜ、おまえたち」
分隊長補佐のブックが、皆を見渡して言った。
「保安部の将校殿に口ごたえする奴がいるのには驚いたがな」
きつく言い聞かせると言っていたのに、ハンケは黙って幌に寄り掛かるのみで何も言わなかった。私の長い長い戦争のうちの、ようやく一日目がこうして終わった。




