第37話 最強の裏方たち
結婚式の朝、控室の窓から会場を見下ろして、すずが言った。
「ねえ。うちの式、何かおかしくない?」
「今さらですか、奥さん」
おかしいのだ。何もかも。
会場は、誰もが名前を知っている、あの宮原グループの最高級ホテルだった。
「……宮原グループって、お前と同じ名字だけど」
「日本に宮原が何人いると思ってる」
「……それもそうか」
「知り合いの式場なんだ。安くしてもらった」と宮原は言ったが、料金表を見せてもらえたことは一度もない。担当プランナーは三人つき、支配人が毎回打ち合わせに同席した。一般人の式に、だ。下見に行った日は、なぜか駐車場に車を停めた瞬間からスタッフが整列していた。
段取りは縦山さんが全部組んだ。招待状の文面から、親族の席次の機微、当日の進行の秒単位の調整まで。プロのプランナーが「この進行表、うちの新人研修で使わせてください」と本気で頭を下げていた。縦山さんは「前に読んだ本に書いてあった」と答えていた。どの本だ。
余興と来賓は高田さんの担当で――これが一番おかしかった。受付に並ぶ顔ぶれに、テレビで見た顔が三割混ざっている。メダリストが普通に祝儀を出している。すずの親戚が「あの人、オリンピックの……」とざわついて、写真を撮っていいものか迷っていた。
「俺の人脈、全員ただの友達だから安心しろ」
安心できる要素が、ひとつもなかった。
*
乾杯の時間、給仕さんが俺の前にだけ、そっと小さなグラスを置いた。
シャンパンの隣に、見覚えのある、細い缶。
自販機の、百二十円の缶コーヒーだった。
顔を上げると、来賓席の宮原と目が合った。あいつは素知らぬ顔でシャンパンを掲げて、口の形だけで言った。
――利子だ。
五年分の、利子。あのバスの百二十円が、こんな形で返ってきた。俺はこみ上げてくるものを誤魔化すのに、乾杯の挨拶の間じゅう、ずっと天井のシャンデリアを数えていた。数えきれないくらい、でかいシャンデリアだった。
*
披露宴の中盤、余興の時間が来た。
「新郎新婦はゲームで出会われたということで! 本日はスペシャルゲストをお呼びしています!」
司会の声とともに入場してきたのは、揃いのユニフォームの五人組だった。会場の若い世代から悲鳴が上がる。プロゲーミングチームの、現役選手たちだった。世界大会常連の、ガチのプロだ。すずが「えっ、嘘、本物!?」と立ち上がりかけて、ウェディングドレスなのを思い出して座り直した。
「高田さんの紹介で! 新郎新婦チームと、エキシビションマッチです!」
巨大スクリーンに映し出されたのは、FPSだった。体験用のカジュアルモードとはいえ、れっきとした対戦だ。新郎側はすずと、ギルドから駆けつけたメェさん(さすがに着ぐるみは脱いでいた。私服だと普通の優しそうなお兄さんだった)とロッソさん、それに俺。
「優也、FPSできるの? あなたMMO専でしょ」
「……まあ、なんとかなるだろ」
試合は、和やかに始まった。プロたちは見事な手加減で場を盛り上げ、すずの大剣魂あふれる特攻に会場が沸き、メェさんが開始三十秒で倒されて盛大に笑いを取った。「羊は接近戦に向いてないんだよ!」という叫びが、誰にも理解されないまま会場に響いた。
俺は後ろの方で、味方の足りないところを埋めて回った。倒されかけたすずをカバーして、ロッソさんの死角を消して、回り込んできた敵の進路を先に塞いで。地味な動きだ。派手なキルは一つもない。誰も気づかない、はずだった。
でも、プロの目は、ごまかせなかった。
「――タイム。タイム!」
プロチームのキャプテンが、突然ヘッドセットを外して立ち上がった。
会場が静まった。
キャプテンはスクリーンと俺を三回見比べて、震える指でこっちを指した。
「その、カバーの入り方……仲間が死なない位置取り……味方の被弾を、撃たれる前に消す動き……嘘だろ。絶対そうだ。間違えるわけがない。九年前の、ストライクライン世界大会……優勝チームの司令塔で、決勝の翌日に、引退も発表せず忽然と消えた……『ユーレイ』選手、ですよね!?」
……あー。
ばれた。
「俺、あの決勝、千回見ました! 味方の生存率百パーセントの世界一です! あなたの動きを研究して、俺はプロになったんです! なのに、大会のあと、何も言わずにいなくなって……界隈じゃ伝説で、引退の理由も誰も知らなくて……なんで、こんなところに、新郎で……!」
「えーと……昔ちょっとやってたんだ。大したことないよ、チームが強かっただけで」
会場が爆発した。
最初に立ち上がったのは、来賓席の三人だった。
「「「お前も大概じゃねえか!!」」」
高田さんが叫び、宮原が叫び、縦山さんまで叫んでいた。あの、何があっても眉ひとつ動かさない縦山さんが、立ち上がって叫んでいた。
「待て待て待て! 世界!? お前が!? いつ!? なんで黙ってた!?」
「学生の頃にちょっと……いや本当に、チームのみんなが強かっただけで」
「『ちょっと』で世界獲るか!!」高田さんが頭を抱えて天を仰いだ。
「いや、ちょっとはちょっとだし……」
なぜあなたが一番動揺してるんですか。
騒ぎの真ん中で、ふと、隣を見た。
すずが固まっていた。
口を両手で覆って、目を限界まで見開いて、ウェディングドレスのまま、わなわなと震えていた。
「……うそ」
「すず?」
「うそ、うそ、待って。ストライクラインの、九年前の世界大会の…………私、その試合、見てた」
声が震えていた。
「高二の冬。眠れなくて、たまたま配信を見て。……画面の向こうに、味方を一人も死なせない人がいて。倒すんじゃなくて活かして勝つ人がいて。私、その人に憧れて、ゲームの世界に来たの。あの人みたいになりたくて。私の、原点で――」
すずの目から、メイクさんが三十分かけた何かが、決壊した。
「それが、あんただったの!? 私の旦那だったの!? 六年も隣で回復してた、あのオッサンだったの!? ……っ、私が逃げ込んだ世界の入り口に、最初から、あんたが立ってたってこと!? なんで言わないの、そういうこと、大事なことを、いっつもいっつも黙って……っ」
「いや、だって……大したことないし……」
「大したことある!!! 私の人生まるごと、あんたが始めたんだよ!! あの夜、あんたのプレイを見てなかったら、私、ゲームも始めてないし、グランデルにもいないし、おまえにも会ってない!!」
笑いながら泣いて、泣きながら俺の胸を叩いて、会場はもう、拍手と笑い声と誰かの号泣で、何も聞こえなかった。九年前、教室で透明だった女の子が憧れた光が、六年間、毎晩隣で回復を置いていた相棒で、今日、夫になった男だった。そんな話、誰が信じる。でも、本当の話だった。
*
宴もたけなわの頃、来賓席の三人のところに、お礼を言いに行った。
「三人とも、今日は、本当に……何から何まで」
「やめろって。礼は」
「でも、会場も、段取りも、余興も、全部」
三人は顔を見合わせて、それから、声を揃えて笑った。
「茨城のためなら、これくらい当然だろ」
バスの隣で。社食の昼で。古本屋の倅の議事録で。三人がそれぞれ拾ってくれた俺の何かが、今日、最高級ホテルの宴会場で、利子をつけて返ってきていた。
俺は結局、最後まで、三人がどれだけすごい人間なのか、正確には知らないままだった。それでよかった。俺は三人を、肩書きで知り合ったんじゃない。バスのクイズと、箸の持ち方と、議事録を通じて、知り合ったんだから。




