第34話 ガイの会、解散の危機
報告した瞬間の騒ぎは、近所迷惑で通報されるかと思った。
高田さんが雄叫びを上げて俺を抱え上げ、宮原が無言で何かの手配を始めようとしてスマホを取り上げられ、縦山さんは「そうか」とだけ言って、湯呑みのお茶を口に運んだ。その手が少し止まって、目元がほんの少し赤かったのは、見なかったことにした。
「いやー、長かった! 三年だぞ、三年!」高田さんが俺の肩をばんばん叩いた。「できすぎだろ。漫画でも『リアリティがない』って没にされるぞ、これは。……ほんと、よかったな」
「現実なんですよ、これでも」
「祝杯だ! 今日はスイーツ十六個じゃ足りん! 三十個買ってこい宮原!」
「いや量の問題じゃないだろ」
ひとしきり騒いだあと――。
縦山さんが、すっと姿勢を正して、大学ノートを開いた。
声の温度で、三人とも分かった。座り直す音がした。高田さんが上げかけた腰を下ろし、宮原がスイーツの袋を置いた。
「静粛に。……第五十一回ガイの会、開会する」
「縦山さん?」
「議題」
縦山さんは一拍置いて、読み上げた。
「『本会の解散について』」
ローテーブルが、しんとなった。
いつかの夜、冗談で騒いだ議題が、本物になって目の前に置かれていた。喪服がどうの、解散式がどうのと、笑い話にしてきた、あれが。
「会の発足は二年前。発足の辞は議事録第一回に記録されている。読む。――『俺ら全員彼女いねぇ独身野郎じゃん。ガイの会だな(高田・発言)』。本会の会員資格は、この発足の辞に基づく。そして本日、会員茨城優也に彼女ができた」
縦山さんは顔を上げた。
「規約上、本会は存続の根拠を失った。……各員、所感を述べよ。宮原から」
宮原はしばらく黙っていた。それから、湯呑みを両手で包んで、ぽつぽつと話した。
「……バスで隣に座ってきた老け顔がさ。三日かけた俺の想定問答を全部空振りさせて、クイズやって、百二十円のコーヒーおごってきて。そいつに今日、彼女ができた。……正直に言う。寂しさより先に、誇らしさが来た。あの百二十円の男は、俺が見込んだ通りの男だったよ。世界で一番安い値段を自分につけてたやつが、ちゃんと、好きな子に好きって言えた。……うん。嬉しい。本当に嬉しいんだ、俺は」
声が最後のほうで少し滲んだ。あの宮原が、だ。
「高田」
「……俺はシンプルだ。嬉しい。めでたい。式では泣く自信がある」
高田さんはそこで一回笑って、笑いをやめた。
「ただな。……金曜のこの部屋に、あいつの席がなくなるのかって思ったら、それは、けっこう、くるもんがあるわ。二年だぜ? コンビニの新作で多数決して、ウミガメのスープやって、ばかみたいだろ。ばかみたいなんだけど、俺、ここのおかげで『元・高田剛』じゃなくて『ただの高田』でいられたんだよな。この部屋だけは、肩書きがなかった。……すまん。所感は以上だ」
「縦山、所感」
縦山さんは自分で自分の名前を呼んで、議事録を一度、手のひらで撫でた。四冊ぶんの、二年ぶんの記録を。
「このノートは四冊目だ。二年ぶん、ばかな議題ばかり書いてきた。カレーは飲み物か。最強の卵かけご飯。高田の寝癖。……記録係として言う。どのページを開いても、いい夜だった。一晩も、無駄な夜はなかった。以上だ」
短かった。短いのに、一番、効いた。
沈黙の中で、三人の視線が俺に集まった。
「では採決に移る。議案、『本会の解散』。……茨城、最後に何かあるか」
俺は息を吸った。
「あります。議長、発足の辞をもう一回読んでください」
「『俺ら全員彼女いねぇ独身野郎じゃん。ガイの会だな』」
「はい。――『ガイ』はguy、野郎って意味です。野郎に、独身も既婚もない」
三人が、顔を上げた。
「彼女ができたら卒業? 冗談じゃない。バスの百二十円も、箸の持ち方も、四冊の議事録も、俺の人生の、どこにも返品できない部分なんですよ。あなたたちがいなかったら、俺は昨日の歩道橋に立ってない。自分の値段を勝手に下げて、棚の奥で、一生『慣れてるんで』って笑ってた。……だから議長、議案の修正を要求します」
声が震えそうになるのをこらえて、言い切った。
「解散しねえよ。ずっと続けよう。じいさんになっても、この部屋で、コンビニの新作で多数決しよう。彼女ができても、結婚しても、孫ができても、たまの金曜は、ここに来る。これは決定事項だ。異論は一切認めない!」
長い、長い沈黙があった。
縦山さんが、俯いて、指で目元を押さえて、それからペンを取った。
「……修正案を受理する。議案、『本会を解散せず、永久に続行する』。賛成の者」
「賛成」
「賛成」
「賛成」
「全会一致。――議決」
縦山さんは四冊目のノートに、ゆっくりと、一字ずつ書いた。
『議決:本会は解散せず。永久に続行とする(全会一致・異議なし)』
誰も何も言わなかった。高田さんが洟をすすった。宮原が天井を見ていた。俺も湯呑みの底をずっと見ていた。お茶に、自分の情けない顔が映っていた。
その沈黙を破ったのは、当の高田さんだった。
「――ところで次の議題なんだが」
「……なんですか」
「コンビニの新作、栗のやつの後継が出た。秋限定で、紫芋とのダブルらしい」
「「「買ってこい」」」
笑い声がいつもの夜に戻っていった。
ガイの会、第五十一回。本日の決議事項、二件。一件、本会は永久に続行する。一件、紫芋ダブルは美味い。
俺たちはずっと続く。




