第32話 自分の価値
「第五十回ガイの会、開会。記念すべき五十回目の議題は――『茨城の告白について』」
「打ち合わせなしで議題にするのやめてもらえますか」
「顔に書いてあるんだよ、お前は」
縦山さんは議事録に日付を書き込みながら、こともなげに言った。図星なので、それ以上の反論はやめておいた。五十回。二年と少し。コンビニのスイーツと、ウミガメのスープと、俺のことばかり書いてきた、四冊目のノート。
そう。決めたのだ。今度の金曜、ちゃんと伝える。
そのことを正式に報告した瞬間、ローテーブルは沸騰した。久々のスイーツも、久々の炭酸水も戻ってきた。あの静かな湯呑みだけの夜は、もう終わったのだ。
「よし、プランだ」宮原が身を乗り出した。「クルーザーを押さえる。夜景の見える湾内コース、貸切で。シャンパンはこっちで手配する」
「却下で」
「なら屋形船」
「水辺から離れろ。なんで水上にこだわるんだよ」
「逃げ場がない方が成功率が上がると、データにある」
「監禁の発想なんだよなあそれ」
「じゃあ俺からいいか」高田さんが手を挙げた。「武道館」
「何する気ですか」
「告白」
「武道館で!?」
「知り合いに頼めばステージと照明くらいは。スモークも焚けるぞ」
「観客は!? 誰が見るんですかそれ!」
「俺ら」
「最悪の三人組なんだよなあ! 告白を観戦するな!」
ぎゃあぎゃあと三十分。クルーザーは沈み、武道館は解体され、ヘリコプターは墜落し、花火大会の貸切は縦山さんの「季節を考えろ」で却下された。途中、宮原が真顔で「では水族館を一晩貸切に」と言い出し、高田さんが「魚の前で告白する意味とは」と返し、議論は迷宮に入った。
その縦山さんが、最後にぴしゃりと言った。
「お前ら、茨城を何だと思ってるんだ」
「「大事な弟分」」
「気持ちは分かるが、答えになってない」
縦山さんはノートを置いて、俺を見た。さっきまでの騒ぎが嘘みたいに、静かな目だった。
「茨城。お前、白瀬さんとの三年半で、一番よかった時間はどれだ。クルーザーか? 武道館か?」
「……いや」
思い浮かんだのは、深夜の渓谷の焚き火と、焼き鳥屋の煙と、非常階段の夕暮れと、コピー機の前の笑い声だった。どれも、なんでもない場所だった。金も、照明も、スモークも、何もない場所だった。なんでもない場所で、あの人はいつも、一番ちゃんと笑っていた。
「……いつもの、なんでもないやつです」
「だろ。なら結論は出てる」
縦山さんは議事録に、一行だけ書いた。
『議決:いつもの茨城で行け(全会一致)』
「飾るな。盛るな。お前の取り柄は、お前が思ってるより、ずっと強い。コートを無様に走って、メモを待って、回復を置き続けた、いつものお前で行け。それで駄目なら俺たちの目が節穴だったってことだ。――責任は会で取る」
「告白の責任を会で取らないでください」
笑いながら、俺は胸の奥が静かに凪いでいくのを感じていた。
*
帰り道、夜のコンビニのガラスに、俺が映った。
百六十八センチ、八十キロ。二十四歳に見えない二十四歳。半年前の俺なら、目をそらしていた。食堂の「納得」を思い出して、勝手に値札を書いて、勝手に棚の奥に下がっていた。
今は、まっすぐ見られる。
別に、顔が変わったわけじゃない。痩せてもいない。来月もたぶん課長に間違われる。変わったのは、たぶん、値札を書く係だ。あの夜のローテーブルで、三人が俺の値段に文句をつけて、書き直して、全会一致の判子を押した。バスの隣で缶コーヒー一本に救われたという男がいて、箸の持ち方が綺麗なスポーツマンがいて、議事録に二年分の俺を記録し続けた人がいる。
そして、非常階段の夕暮れに、俺の袖を掴んだ手があった。
あの手が掴んだのは、ハイスペックの誰かじゃない。クルーザーの上の俺でも、武道館のステージに立つ俺でもない。この、コンビニのガラスに映ってる、なんでもない俺だ。
「……よし」
声に出して、俺はコンビニで栄養ドリンクを一本買った。百五十円。武道館もクルーザーもいらない。俺の戦場はいつだって、こういう値段の場所でいい。
金曜。いつもの焼き鳥屋。いつもの帰り道。
ちゃんと、言葉で伝えたい。
助けるためじゃなく、慰めるためでもなく、俺が、俺の人生で初めて、自分の値段に自信を持って差し出す言葉として。




