第29話 総力戦②
日曜の昼、高田さんに連れて行かれたのは、駅裏のスポーツバーだった。
「証言してくれる二人と、顔合わせだ。ついでに援軍も来る」
援軍、というのは、高田さんの昔の仲間たちのことだった。先に来ていた三人が、軽く手を挙げる。
「おー、高田! 久しぶり!」
「世界の高田に呼ばれちゃ、来るしかねえだろ」
「お前が頼み事なんて珍しいからな!」
聞けば、高田さんが声をかけて、ほんの二日。全国に散らばった伝手をたどって、この三人が六年前の白瀬さんの同級生を探し当て、証言者の二人を連れてきてくれたのだという。
「世界の高田ってなんですか、それ」
「昔ちょっと、な」
高田さんはいつものように、はぐらかした。高田さんが昔どんな人間だったのか、俺は結局よく知らない。どうせ訊いても、「昔ちょっと」としか返ってこないんだろう。ただ、今、白瀬さんのために動いてくれている。分かるのは、それだけだった。
肝心の証言者は、白瀬さんと同い年の、静かな目をした女性が二人だった。六年前、香坂のやり口を間近で見ていた、当時の同級生だという。
「香坂さんが、人をどんなふうに追い詰めるか。知ってるんです。間近で、見てましたから」
「白瀬さんには、借りがあって。私たちが香坂さんに目をつけられかけた時、間に入ってくれたのが、彼女だったんです」
「当時は怖くて動けなかった。でも今なら、今度こそ助けたいんです。私たちに話をさせてください。六年、ずっと、その機会を探してたんです」
二人は深く頭を下げた。
俺は何も言えなかった。あいつが昔、誰かのために間に入って、何かを引き受けたらしいこと。その相手が、六年経って、こうして恩を返しに来ていること。詳しいことは、知らない。知らないけど――あいつが昔どこかに蒔いたものが、ちゃんと、こんなところで芽を出していた。
*
決戦は、翌週の水曜、うちの会社の第一会議室だった。
長机の片側に、マルベリ商事の営業部長と香坂美玲。こちら側に、別所課長、人事部長、そして「アドバイザー」として同席した、あの白髪の弁護士さん。俺は末席で議事録係をしていた。縦山さんの根回しの賜物だった。「当事者の関係者として、記録のために同席を」――誰も不自然に思わなかった。
「本日は、両社の取引に関わる重要な確認事項がございまして」
弁護士さんは、穏やかな声のまま、書類の束を一枚ずつ、長机に置いていった。
匿名アカウントの全投稿の記録。発信者情報開示の手続きを経て特定された、契約者情報。投稿時刻と、マルベリ商事の営業車の運行記録の照合表。三年前の「前例」に関する調査資料。そして、六年前の出来事についての、二名分の陳述書。
一枚増えるごとに、会議室の温度が、一度ずつ下がっていった。
香坂さんの完璧な営業スマイルが、途中で固まって、動かなくなる。それを俺は、末席から見ていた。
*
◇香坂美玲視点
呼ばれたときは、まだ笑えた。
どうせ、あの子が誰かに泣きついた。泣いたところで、空気には指紋がつかない。アカウントは匿名。わたしの顔は、いつだって完璧に「いい人」だった。
負けたことなんて、一度もなかった。誰を笑い者にして、誰を味方につけるか。その配分さえ握っていれば、よかったのに。
白髪の弁護士が、書類を一枚ずつ置いていく。契約者情報。投稿の時刻と、営業車の記録。三年前の、あの女。六年前の、二人。
顔の筋肉に、いつもの笑みを命じた。動かなかった。困り顔をつくろうとした。それも、どこにも引っかからずに、すべっていった。この人たちは、こちらの顔を見ていない。紙だけを、見ている。
「……これは、その、名義を悪用された、というか」
自分の声が、知らない高さで震えた。
「原本には、投稿された端末の固有番号が残っており、発信時の位置情報も残っておりました。投稿の時刻は、いずれも営業車が現場周辺に停車していた時間と、分単位で一致します。」
膝の上で、手が止まった。
出口を探す頭が、もう、回らなかった。
*
マルベリの営業部長が、青い顔で立ち上がって、頭を下げた。担当の即時交代、社内調査委員会の設置、本人の処分の検討、損害への誠実な対応。弁護士さんは頷いて、最後に一枚だけ付け足した。
「なお、被害者ご本人への接触は、今後一切、控えていただきます。次は、この場では済みませんので」
香坂さんは最後まで一度も、こちらを見なかった。
怒鳴り声は、一つもなかった。紙のめくれる音だけで、一人の人間の安全圏が、音もなく解体されていった。香坂さんは、たぶん今日まで、自分の世界が、どれだけ狭かったのか、知らずにいたんだと思う。
縦山さんの言った通りだった。
*
その夜、縦山さんの家で、四つの湯呑みが鳴った。打ち上げというには静かな、お茶の祝杯だった。
「……あの、三人とも。なんて言えばいいか」
「やめろ」高田さんが先回りした。「礼を言われる筋じゃねえ」
「でも、時間も、金も、人脈も、あんなに」
「茨城」
宮原が、湯呑みを置いた。
「お前のためなら、当然だろ」
それで、この話は終わりだった。三人とも、本当にそれで終わりにした。かかった費用の話も、貸し借りの話も、誰一人、二度と口にしなかった。当然のことに、礼はいらない。三人の態度は、全部、そう言っていた。
帰り際、玄関で靴を履く俺に、縦山さんが言った。
「茨城。俺たちの仕事は、ここまでだ」
「……はい」
「外の火は消した。証拠も、囲みも、全部こっちで片付けた。だがな、本人の中の火事は、外からは消せん。六年間燃えてるやつだ。書類じゃ消えない」
縦山さんは俺の肩に手を置いた。古本屋の倅の、紙の匂いのする手だった。
「ここから先は、お前の仕事だ。誰にも代われない。――行け」




