第26話 察する
眠れない夜は、頭が勝手に時系列を並べ始める。
月曜の午後、マルベリ商事の顔合わせ。名刺交換で震えていた手。エレベーターホールの、聞こえなかった一言。手を振り返せなかった白瀬さん。香坂美玲の、あの一瞬だけ温度の違った笑顔。
火曜、水曜。灰色のままのギルド欄。
木曜の昼、匿名アカウントの投稿。『高校の同級生なんだけど』。
……同級生。
焼き鳥屋の夜の、あの一瞬の寂しそうな笑顔を思い出す。「今の私からは想像つかないでしょう」。小学生の頃はドッジボールで無双していたという人が、どこかで「想像つかない」側に変わった。変わらされた。たぶん、高校で。
そして、その高校の同級生を名乗る誰かが、香坂さんの来訪の三日後に、投稿を始めた。
三日後。
偶然って言葉で塗るには、継ぎ目が合いすぎている。マルベリの顔合わせで震えた手、エレベーターの囁き、その三日後の投稿。点と点が、まっすぐ一本の線で繋がる。回復職を三年やってると、味方のHPが減る順番には、嫌でも詳しくなる。これは、狙って削られている。
俺は布団から起き上がって、スマホを掴んだ。
【オッサン茨城】:臨時を要求します
【オッサン茨城】:今回は、俺の恋の話じゃないです
送信して三十秒で、三人分の既読がついた。深夜一時だった。誰も「こんな時間に」とは言わなかった。
【縦山】:明日二十時、うち
【高田】:おう
【宮原】:菓子はいらんな。茶だけ用意する
菓子はいらん。その一行で、三人が全部察したのが分かった。
*
翌日の縦山さんの家は、初めて見る顔をしていた。
いつものスイーツがない。いつもの炭酸水もない。ローテーブルには湯呑みが四つだけ並んで、湯気を立てていた。テレビも消えている。議事録のノートだけが、いつもの場所に置いてあった。
「話せ」
俺は話した。
SNSの件は三人とも知っていた。同じ課なんだから当然だ。だから俺が話したのは、三人の知らない部分だった。月曜の顔合わせ。香坂美玲という取引先の担当者。震えていた名刺。エレベーターの囁き。手を振り返せなかった白瀬さん。三日後に始まった「同級生」の投稿。突き放された非常階段。目の縁の赤。
それから、息を吸って、最後の一枚を置いた。
「……三年やってるネトゲの相棒の話、前にしましたよね。会社にいるって。誰かは言えないって」
「ああ」
「白瀬さんです」
誰も、驚かなかった。高田さんが「だろうな」と短く言い、宮原が小さく頷いた。縦山さんに至っては、眉ひとつ動かさなかった。
「……気づいてたんですか」
「気づかないほうがおかしいだろ。」三人の声が見事に揃った。
それで終わりだった。詮索も、冷やかしも、何もなかった。三年来の相棒が、毎日隣の席にいて、それが好きな人だった――その重さを、三人とも、一秒で受け止めて、次に進んだ。
俺は座布団から下りて、フローリングに両手をついた。
「力を、貸してください」
頭を下げた。額が、床についた。
「相手は取引先です。証拠もない。俺一人じゃ、調べることも、止めることもできない。……これは、俺の恋とかは、関係ないんです。あいつが、六年かけて積んできたものを、あんな投稿で壊されるのが、我慢できない。あいつは自分が壊れる時まで、俺に迷惑がかからないようにって、そんなことばっか考えてて。……あいつを助けたい。それだけなんです」
沈黙が、長かった。
顔を上げると――三人とも、真顔だった。
ふざけた議題で多数決をやる顔でも、解散だなんだと騒ぐ顔でもなかった。コンビニのスイーツに点数をつける顔でも、ウミガメのスープに前のめりになる顔でもない。初めて見る、三人の、本当の顔だった。
縦山さんが、開いていた議事録を、音を立てずに閉じた。
この人がノートを閉じるのを見るのは、二度目だった。一度目は、俺の優しさは武器だと言った、あの夜だ。
「茨城。一個だけ訂正しろ」
「……はい」
「『貸してください』じゃない。俺たちはお前に貸しを作る気はない」
縦山さんは湯呑みを置いて、まっすぐ俺を見た。
「やる、と言え。四人でやる、と。お前はガイの会の会員で、白瀬さんはお前の大事な人で、つまりこれは、うちの会の問題だ。会員の大事な人が泣かされてるなら、それは会の議題だ。最優先のな」
「……っ」
「返事は」
「…………やります。四人で」
「よし」
高田さんが、首をごきりと鳴らした。宮原が、スマホを取り出して何かを打ち始めた。空気が動き出した。三人の背中に、それぞれのスイッチが入るのが、見えた気がした。
「じゃあ縦山さん、何から――」
「その前に」
縦山さんは湯呑みのお茶を一口飲んで、静かに言った。
「その香坂って女の話、最初からもう一回、詳しく聞かせろ。会社名、部署、肩書き、来訪時刻、座った位置、名刺の書体、白瀬さんを見た回数、課長に振った話題の順番。お前が覚えてる全部だ」
「ぜ、全部ですか」
「全部だ。お前の覚えてないことの中にも、答えはある。だが、まずは覚えてることからだ」
俺は記憶を絞った。縦山さんは目を閉じて聞いていた。質問は鋭く、的確で、時々俺の覚えていない角度から飛んできた。投稿の文面。絵文字の種類。写真のぼかしの掛け方。アカウントの開設時期。香坂さんがどの瞬間に、どんなふうに笑ったか。
三十分後、縦山さんは目を開けた。
「……だいたい分かった」




