第21話 公開処刑
社内レクリエーション大会、当日。
会場の体育館は、思ったより人が入っていた。種目の目玉は部署対抗の3on3。そして初戦のカードが貼り出された瞬間、観客がざわついた。
『営業一課 対 営業企画課』
「楽しみにしてたんですよ、この試合」
コートの真ん中で、ウォームアップ中の剣崎さんが、わざわざ俺のところまで来て言った。ジャージ姿まで絵になるのが腹立たしい。袖をまくった腕に、ちゃんと筋肉の筋が通っている。
「茨城さんも出るって聞いて。いやあ、勇気ありますね(笑)。怪我しないでくださいよ、白瀬さんの教育に支障が出るんで。あ、それとも――見せ場でも作りたかったんですか? 『好きな子の前で』」
最後のひと言だけ、声を落として、俺にだけ聞こえるように言った。白瀬さんの教育係が、彼女に惚れてないわけがない――この人の中では、そういう計算なんだろう。
でも、否定はできなかった。見せ場なんて作れっこない。ただ、「好きな子」のところだけは、悔しいくらい、図星だったから。
「いえ。人数合わせで」
「またまた。謙遜も度が過ぎると嫌味ですよ」
剣崎さんは観客席の最前列に、爽やかに手を振った。プロジェクトの流れで応援に駆り出された白瀬さんが、そこにいた。完璧な姿勢で座って、完璧な無表情で、コートを見ている。あの鎧の下で何を思っているかは、たぶん俺にしか分からない。
全部、計算された舞台だった。逃げ場のない場所で、好きなだけ点差をつけて、俺を「やっぱりね」の側に沈める。それだけのために、この人は幹事に手を回して初戦を組んだ。
「茨城」
隣で屈伸していた高田さんが、立ち上がった。
「お前は二つだけやれ。走ること。俺がいない方に飛んだボールを諦めないこと」
「それ二つとも体力なんですけど。あと俺、フライ顔に当てる人間ですよ」
「バスケにフライはねえよ。安心しろ。あとは全部、俺がやる」
「全部って」
「全部だ」
その「全部」の言い方が、妙に静かだった。社食で箸の話をしてた時とも、ソフトボールで照れてた時とも違う、聞いたことのない声だった。
*
試合開始のホイッスルが鳴って、最初の三十秒で、体育館の空気が変わった。
剣崎さんの最初のドライブを、高田さんが真正面から止めたのだ。
抜けなかった。全国出場の主将の、キレのあるドリブルが、一ミリも、抜けなかった。剣崎さんが右に切り返す。高田さんはもう右にいる。左に戻す。もう左にいる。まるで、剣崎さんの行きたい場所に、先に立て看板が立っているみたいだった。
「……っ」
奪ったボールを、高田さんは無造作にコートの反対側へ放った。山なりの、ただのロングパス。のはずだった。ボールは走り込んだ俺の胸に、吸い込まれるみたいに収まった。走った先に、ボールが置いてあった。回復と同じだ。突っ込んでいく相棒の足元に、俺がいつも先回りで回復を置くみたいに――今度は、俺の走る先に、高田さんがパスを置いていた。
「えっ」
「打て!」
無我夢中で放ったシュートは、リングに嫌われて、ボードに当たって、ぐるりと回って――入った。
わ、っと観客席が沸いた。最前列で、白瀬さんが両手を口に当てて立ち上がるのが見えた。
「ナイ……っ!」
今、絶対「ナイス」って言いかけたな。会社では封印してるはずの言葉が、一個漏れた。
そこからは――正直、何が起きてるのか、コートの中にいた俺にも分からなかった。
剣崎さんは強かった。さすがに強かった。一人で十点は取った。でも高田さんは強いとかいう次元の言葉では足りなかった。跳べば誰より高く、出した手は必ずボールに届き、パスは三手先の未来に出る。しかも、手加減はしているのだ。それは分かった。点差がつきすぎて試合が壊れないよう、わざわざ調整しながら、それでもコートのすべてを支配していた。
猛獣が、子猫の前で、爪を半分だけ仕舞って遊んでやっている。そういう光景だった。
「な……んなんだよ、あんた……!」
第二ピリオド、剣崎さんの息が上がり始めた。爽やかな顔が剥がれて、苛立ちが汗と一緒に噴き出してくる。抜けない。止められる。打てば必ず前に高田さんの手がある。観客の声援が、いつの間にか全部こっち側に向いていた。最初は判官贔屓だったのかもしれない。でも、もう違う。人は、本物を見ると、声が出るんだ。
焦った剣崎さんのプレーは、目に見えて荒れた。俺へのスクリーンが体当たりになり、肘が入り、審判役の総務部長に二度笛を吹かれた。三度目に俺を突き飛ばした時、最前列の白瀬さんが、すっと真顔になったのを俺は見た。あれは、絶対殺すマンの顔だった。
そして最後のプレー。
剣崎さんの渾身のシュートを、高田さんは最高到達点で叩き落とした。パン、と乾いた音が体育館に響いた。着地して、転がったボールを拾って、ぽんぽんと突きながら、静かに言った。
「いいシュートだ。高校までなら」
「……あんた、何者だよ」
「ただの先輩だが」
ブザーが鳴った。営業企画課、まさかの初戦突破だった。
*
観客席は、高田さんの話で持ちきりだった。
「すごくなかった? ていうかあの人、なんかに似てない? ほら、昔テレビ出てた……世界獲った人。高田……高田……」
「高田剛? ばか、同姓同名だろ。なんで世界王者がうちの会社で備品の発注してんだよ」
「それもそうか。ははは」
「ですよね、ははは」
俺も一緒に笑っておいた。世の中、似てる人っているもんだなあ。実によく似てらっしゃる。
ただ一人、笑っていない男がいた。
コートの隅で、剣崎さんがタオルを噛むみたいにして、高田さんの背中を凝視していた。あの人は分かったのだ。同姓同名なんかじゃ説明のつかない高さと速さを、肌で受けた本人だけが。「似てる」じゃない。「本物」だと。
その顔は、もう、社内報の表紙の顔ではなかった。
「茨城、ナイスラン」
高田さんが、タオルを投げてよこした。
「俺、二点しか入れてないですよ。あとの全部、高田さんじゃないですか」
「ばか。お前が最後まで走るから、パスの出し先があったんだよ。走らないやつには、パスは出せねえ。お前は走った。それだけで十分仕事だ」
ぽん、と頭に手を置かれた。でかい手だった。
「な? 諦めねえやつが、いちばん使えるんだわ。コートでも、どこでもな」
その言い方が、バスケの話だけをしていないことくらい、さすがの俺にも分かった。
最前列を見ると、白瀬さんがこっちを見ていた。目が合うと、慌てて視線を逸らして、それから――もう一度、ちらっとこっちを見た。
その頬がほんの少し、赤かった。




