第15話 見えない力
週末を空けとけと言われた、その週の金曜。宮原が俺の机に置いたのは、二枚の紙だった。
「『グランデル・オンライン三周年記念カフェ 夜の部・ペア招待券』……は?」
二度見した。三度見した。
それは、ギルドチャットが先月から大荒れになっていた、あの伝説のチケットだった。応募総数は非公表、当選報告はSNSでも数えるほど。ゲーム内の装備や原画が展示されて、コラボメニューが出て、限定グッズがつく。
【メェさん】:記念カフェ、全員応募しろ。当たったら着ぐるみで行く
【ロッソ】:やめろ
【絶対殺すマン】:通報されるからやめろ
【メェさん】:羊が羊のカフェに行って何が悪い
【絶対殺すマン】:羊のカフェじゃないんよ
という不毛なやりとりを先週見たばかりだ。ちなみにギルド全員落選した。
「なんでお前がこれを持ってるんだよ」
「抽選、当たったわ」
「お前グランデルやってないだろ」
「興味があって応募した。したら当たった。が、よく考えたら俺は行っても分からん。やる」
「いやいやいや」
「やる。二枚あるから、誰か誘え。ゲーム仲間とか」
宮原は「じゃ、そういうことで」と自分の席に戻っていった。あまりにもあっさりした背中だった。恩着せがましさが、ゼロだった。
……ゲーム仲間。
俺のゲーム仲間で、このカフェに行きたい人間といえば、一人しかいない。いや、正確には羊もいるが、あれは連れて行ったら出禁になる。
*
「い……」
昼休みの非常階段で、招待券を見た白瀬さんは三秒固まった。
「行く。行きます。行かせてください」
「食い気味だなあ」
「夜の部ですよ!? 夜の部は展示の照明が変わるんですよ!? 限定コースターは夜の部だけなんですよ!? ……っ、こほん。同行の儀、謹んでお受けいたします」
「敬語が変な方向に丁寧になってる」
「これはメェさんには黙っておいてください。あの人、泣くので」
「だろうな……」
というわけで翌日の土曜、約束の夜。俺たちは並んで電車に乗った。
会社の外で二人、というのは初めてで、お互い最初の十分は無言だった。つり革を持つ位置が近いのか遠いのか分からなくて三回持ち替えた。先に観念したのは白瀬さんの方で、「……今日は無礼講でいい?」と小声で言った。
「どうぞ」
「よし。――楽しみすぎて昨日三時間しか寝てない」
「子どもか」
「持ち物も三回確認した。ハンカチ、モバイルバッテリー、限定グッズ用の緩衝材」
「緩衝材!?」
「コースターは消耗品じゃない。資産なんだよ」
*
カフェは、想像の三倍すごかった。
入口で名前を告げると、店員さんが「伺っております」と最高の笑顔で個室に通してくれた。個室。カフェなのに。壁には初期レイドの原画が飾られ、テーブルには「ようこそ、夜ふかしのお二人さま」と手書きのカードが置いてあった。
「個室って、当選者は全員こうなの……?」
「知らない……SNSだと、相席で一時間制って書いてあったけど……」
コラボメニューを頼むと、なぜか「シェフからです」と頼んでいない皿が二つ増えた。夜の渓谷の焚き火を模したデザートだった。限定コースターは「お席のぶんと、予備でございます」と束で来た。緩衝材が役に立った。帰りには紙袋を渡された。中身は完売したはずのぬいぐるみだった。
「当選者って、すごいんだな……」
「すごい……運営の本気を見た……」
俺たちは何も知らずに感動していた。白瀬さんは原画の前で十五分動かなくなり、「この構図はね」と早口の解説を始め、途中で素に戻っていることに気づいて、もう諦めたのか、そのまま最後まで早口で喋った。楽しそうだった。ずっと、楽しそうだった。
――その頃、店の奥で何が起きていたかを、俺が知るのはずっと先のことになる。なんでも、系列の偉い人が「お連れ様がいらしてるなら、ぜひご挨拶を」と個室に向かいかけて、電話一本で「出るな。名前も出すな。皿だけ増やせ」と必死の声で止められていたらしい。
*
帰り道、白瀬さんは紙袋を抱えて、ずっと機嫌がよかった。
「今日の私は無敵なんだよ」
「それ、ゲームの外でも言うんだ」
「言う。……あのさ、オッサ……茨城さん」
「どっちでもいいよ、今は」
「……オッサン。今日、その」
白瀬さんは紙袋に顔を半分埋めて、早口で言った。
「楽しかった。最近ちょっと、変な距離だったから。……今日ので、チャラにしてやる」
変な距離。
ちゃんと、ばれていた。俺の下手くそな塩対応は、最初から全部。
「……うん。ごめんな」
「謝るな。チャラって言っただろ」
駅で別れて、一人になった帰り道、俺は紙袋の取っ手を握り直した。胸の奥の蓋が、今日一日で、だいぶ緩んでしまっていた。まずい。まずいんだけど、今夜くらいは、いいことにした。
それにしても、と思う。
あの招待券、本当になんだったんだ。個室に、頼んでもいない皿。完売したはずのぬいぐるみ。宮原のやつは「抽選当たったわ」と言っていたけど――そういえば店員さん、最初に「伺っております」と言っていた。抽選で当たっただけの客を、店があんなふうに迎えるか?
……謎だ。




