第12話 蓋をする
蓋をする、と決めた俺の作戦は、シンプルだった。
業務は今まで通り丁寧に。ゲームも今まで通り潜る。ただし、必要以上に近づかない。雑談を一往復で切り上げる。昼休みの屋上に誘わない。「今夜二十二時」に頷くだけ頷いて、よけいな一言を足さない。
距離を、相棒の定位置まで戻す。それだけだ。
我ながら、うまくやれていると思っていた。
三日目までは。
*
最初に異変を察知したのは、向こうだった。
月曜、俺の机の端に、個包装のクッキーがひとつ、そっと置かれた。「頂き物のお裾分けです」と完璧な敬語つきで。火曜は飴だった。水曜はチョコだった。
あとから思えば、あれは偵察だった。差し入れへの俺の返事が「ありがとう」の五文字で終わるかどうかを、毎日測られていたのだ。
三日連続で五文字で返した俺は木曜の夕方、会議室の備品チェックに呼び出された。
呼び出された、という表現が正しい。「茨城さん、会議室の備品の確認、お手すきでしたらご一緒に」――断る理由が存在しない、完璧な業務連絡だった。
会議室に入ると、後ろで扉が閉まった。
振り返ると、白瀬さんが立っていた。資料の束を胸に抱えて、完璧な姿勢で、完璧な敬語で、彼女は言った。
「茨城さん。業務外の私語にあたりましたら申し訳ないのですが、一点、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「ど、どうぞ」
「ここ数日の茨城さんのわたくしへの対応について、率直に申し上げてよろしいでしょうか」
「……どうぞ」
「控えめに申し上げて、塩対応がすぎるのではないでしょうか」
来た。実質「は???」だ。
「そ、そうかな。普通だと思うけど」
「昨日、わたくしの質問への回答が最短記録を更新しました。『合ってるよ』。五文字です」
「ご、五文字……」
「以前の茨城さんでしたら、合っている理由と、間違えやすい箇所と、昔ご自身が間違えた話まで添えてくださいました。平均九十六文字です」
「数えてるの!?」
「数えるでしょ、そんなの」
敬語が、一瞬だけ剥がれた。
白瀬さんはハッとして、資料の束を抱え直し、敬語をかぶり直した。
「……数えます。教わる側は、教えてくださる方の温度に、敏感ですので」
「温度」
「はい。温度です。それから、差し入れのお菓子への御礼も三日連続で五文字でした。あのチョコ、限定品なんですけど」
「えっ、そうなの。ごめん、ちゃんと美味しかっ……」
「今さら感想を述べられましても」
完全に怒っている。怒っているのに、目だけが怒っていなかった。目だけが、心配の色をしていた。それが一番、効いた。
「ごめん。ちょっと、その、仕事が立て込んでて。それだけだよ」
「……そう、ですか」
白瀬さんは数秒、何かを言いかけて、やめて、頭を下げた。
「お忙しいところ、失礼いたしました」
扉が閉まる。
俺は会議室に一人残されて、長机に両手をついた。
仕事が立て込んでて、だって。三年付き合ってきた相手に、その場しのぎの嘘が通じると思ってるのか、俺は。事実、通じてなかった。あの目は、嘘を聞いた時の目だった。
でも、じゃあ、なんて言えばよかった?
本当のことなんて、口が裂けても言えない。「君の隣に並ぶと俺が絵にならないから、好きになる前に距離を取ってます」なんて。そんなもの、告白の百倍たちが悪い。
これでいいんだ。少し気まずくても、これが正しい距離で、時間が経てば馴染む。あいつは大事な相棒で、それ以上を望まなければ、誰も傷つかない。
そう自分に言い聞かせて、会議室を出た。
*
その夜のグランデルは、静かだった。
いつも通り潜って、いつも通り勝った。ただ、ボイスの向こうの口数が、いつもの半分だった。俺の口数も、たぶん半分だった。「今日の私は無敵なんだよ」は、なかった。
ログアウトの間際、ぽつりと声がした。
『なあ、オッサン』
「ん」
『……いや。なんでもない。おつかれ』
通話の切れる音が、やけに大きく聞こえた。
*
翌日の昼、屋上に一人で上がると、先客がいた。
宮原だった。フェンスにもたれて、缶コーヒーを片手に、こっちを見ていた。
「よう」
「……おう。珍しいな、一人で」
「お前を待ってた」
宮原は缶を一口あおって、世間話みたいな声のまま、言った。
「茨城。お前最近、変だぞ」
「は? 別に普通だけど」
「白瀬さんへの態度がぎこちない。飯の誘いを三回断った。差し入れの礼が五文字。あと――」
「待って、なんで五文字の話知ってるんだよ」
「うちの課、狭いんでな」
宮原は缶を下ろして、まっすぐ俺を見た。
同期のこいつの、こんな目を見るのは、初めてかもしれなかった。
「お前、なんか諦めようとしてるだろ」




