如是我聞 (第1章最終節)
メイクを終えてキャストルームへ戻る途中の通路で、菊川とメガラが楽しそうに話をしていた。居酒屋の廊下で立ち話をしている学生たちのようだった。
「おー、アカリー」
メガラは朱利のほうを見て両手をふった。
あいかわらず、デニムのパンツが半壊している。そのままの服装でホールに出るのだろうか。ホールではもう、スタッフが掃除を終えて開店前のミーティングをしている。
メガラは言った。
「アカリ、顔面の火力がすっごいね。顔ゲーオブザイヤー受賞した?」
「……ん?」
ほめられているような感じだが、言葉が独特すぎてわからない。
メガラと菊川、会話が成り立っているのだろうか? いったいどんな話を。少しだけ興味がある。
菊川が言った。
「いまちょうど、顔面の話をしてたんだよ。おまえの顔面、化粧なしだと100点満点で何点だ? 自分の顔に点数つけてみろ」
「採点の基準がわかりませんが」
「普通の奴が50点だよ。謙遜したら殺す」
「でしたら、35点」
ざっくり中の下か下の上だと思ったので、いいかげんに点をつけた。むりやり細かく数値化して計算するような話ではないだろう。
菊川は朱利の顔を見ながら、大きく三回うなずいた。
「やっぱ橋本治は今でも強えのか? つうか、まだ半周もしてないだけか?」
「……ハシモト、さん?」
この店に関わりのある人だろうか。いや、たしかその名前は図書館の棚でも、
「昔の作家だ。知ってるか? 本を百冊以上書いてる」
「名前だけは見たことがあるかもしれません」
たしか、美術関連の大型本が置かれている棚だった。
「おれも全部は読んでねえよ。だから今から言うのは、オヤジに聞いたのを文脈抜きでおぼえてるだけのやつなんだけどな」
「はい」
「オヤジいわく、「橋本治いわく、「私は、多くの女が「自分は美人ではない」と思っていると思っている。もしかしたら、女の90パーセント以上が、「自分は美人ではない」と思っているのかもしれないと思う」」」
それデータとかあるのか?と朱利は思ったが、なんとなく現実に近いような気もする。
「あと、これもだ。「もしかしたら、男の70パーセント以上が、今でも「自分は美男だ」と思っているのかもしれない」」
「あー……」
「かもしれない、の話だけどな。この店で接客してる時は、そのつもりでやれよ」
「はい」
「よし。行ってこい」
結局、菊川はどういう立場の人だったのだろうか。彼はホールにいた三宅に声をかけ、「来てほしくなかったら、おれともっと遊ぶようテンカにゆっといて」と言い残して帰っていった。
その後、キャストたちを集めたミーティングが行われ、ラビットコーナーは開店時刻をむかえた。軽やかなガーシュウィンの曲がホールに流れる。
さっそく、ナンバー3のメガラを指名していた客が来店。さらに次々と男たちが訪れ、スタッフとキャストの案内で各テーブルへ向かっていく。
店の景気は、とてもよさそうだ。
さまざまなシャンパンのラベルが視界に入る。メガラのテーブルへ、大吟醸の日本酒と干し貝柱が運ばれていく。
朱利が最初についたテーブルでは、年配の客が粒子加速器の建設計画についての噂話をしていた。
眼と耳から入ってくる情報量が多すぎる。
その後も、あちこちのテーブルに回され、そのたびごとに頭を切りかえなければならなかった。
朱利はこれまで、こういう店やにぎやかなパーティーとは縁のない暮らしをしてきた。
まずは、客の名前と顔をおぼえる。首から下の体の動きを記憶に残すと、頭がパンクしそうだった。
いろいろな話題。
客の社会的立場。
頻出単語。
メモの持ち出しは禁止されている。
店内のBGMがゆったりした曲へと変わるころには、すっかり疲れ果てていた。
それでもまだ、仕事は終わらない。
0時を回っても、3時を過ぎても終わらなかった。
この店は、おかしい。
その実態は、キャバクラではなく、ガールズバーでもなかった。
風営法から逃れ、旅館業法も適用されず、宗教法人法とも関係がない何か。
この店の営業は、すべての客が〈夜〉を越えるまで続く。




