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社交怪談 ~夜職には〈その先〉がある~  作者: 水山天気
第1章 夜の店、ラビットコーナー

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試練の鏡

 菊川に連れていかれたのは、ホールに隣接している部屋だった。

「化粧はここでしろ」

 菊川が照明器具のスイッチを押した。

 ホールにあるものと同じ型のシャンデリア。

 そして天井に埋めこまれた電球。

 トップ3との顔合わせの時に見たホールの光——掃除が終わって照明が絞られたホールの光とほとんど同じ光だった。


「ここは一瞬だけVIPルームだったんだよ」と菊川が言った。「けっきょく今は、下の階でVIPの相手をしてるんだけどな」

 この地下の店には、さらに下があるのか。初級キャスト用のマニュアルには書かれていなかった。

 気になる。

 しかしそんなことよりも、


 ——すごい。


 朱利を驚かせたのは、部屋の奥に置かれている三面鏡だ。

 フレームのつくりが普通のものではなかった。

 鏡をはめておければいいというような簡素な枠ではない。黒地に金をあしらった、日本の蒔絵(まきえ)を連想させるミラーフレーム。しかしそのモチーフに花鳥風月のやさしさはなく、幾何学的な模様の密度は威圧すら感じさせる。彫り。磨き。細工(さいく)のために注がれた力の波が押しよせてくるようだった。


「その顔、テンカに見せてやりたかったな」

 と菊川が言った。彼は得意気な顔をしている。

「これがあいつのご自慢の一品。〈試練の額縁(がくぶち)〉で有名な、天人額装(てんにんがくそう)の社長に作らせたフレームだ。藤蚕寺の首座(カシラ)が二度も頭を下げに行ったんだよ。安くねえぞ」

「……試練の額縁」

 聞いたことがある。

 「急に仕事がイヤになった」という凄腕の額装職人が、そのあと3年間だけ「自分のために」作り続けていた額縁だ。もう国内には数点しか残っていないと聞いた。

「その額縁に負けない絵が描ければ一流の証、とかいう話を真に受けた絵描きが何人も絶望して引退してる。どっかの金持ちの息子の美大生は、額の前でノドを切った。おまえは鏡を血で汚すなよ。テンカが泣いちゃうからな」


 ——そんな額縁を作った職人に、鏡の枠を依頼したのか。


 僧兵というのは、酔狂(すいきょう)なことをする人が多いのだろうか。

 そういえばこの店のホールには、いくつもの名画が掛けられていた。

 もちろん模造品(レプリカ)なのだろうが、その出来はとても良いように見えた。

 そして、ホールの中でも一段高いところにある異質な一角——東洋風の(あずまや)が設けられたコーナーは、背後の壁面が金唐紙(きんからかみ)のようなもので飾られていた。

「藤杜さんは、美術にくわしい(かた)なんですか?」

「あー、まあ、近頃はやけに()ってるな。いや、この場所を手に入れたころからか? もともとはテンカの専門じゃねえんだけどな」

「専門……」

「いいから座れ」

 菊川にうながされ、朱利は鏡の前に腰をおろした。

 いわくつきの器物から押しよせるプレッシャーを受けて、感覚が麻痺してしまったのか、気持ちは不思議と落ちついていた。


 ——バカバカしい。


 鏡の向こう側で、あきれたような笑みをうかべている自分の顔。

 どう転んでも、顔だ。

 名画にはなりようもない。

 その顔をただ、額縁が示す〈方向〉へ進めていけばいい。


「よし。始めろ」

 と菊川が言った。

「はい」

 朱利はバッグから化粧道具を取り出し、作業にかかる。

「いいか。店では自分のために化粧をするな。男のためだ。男を殺せ。おまえオーラなめてんのか? 会ったら0.2秒で殺せ。ためらうな。死ぬ気でやるな。殺せ。よし。いいぞ。落ちついてるな。その眼があれば一発だ。殺せ」

 後ろでは菊川が何やらゴチャゴチャ言っているが、それほど気にはならなかった。

 塗る。

 ぼかす。

 尖らせる。

 あきらめる。

 ひたすら手仕事に集中する。

 そのうち菊川は飽きたのか、ドアを開けて行ってしまった。

 あとには静かにまっすぐ進んでいく時間だけが残った。

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