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社交怪談 ~夜職には〈その先〉がある~  作者: 水山天気
第2章 この世のものとは思えないほど恐ろしい顔

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異変

 午前11時40分。

 朱利はようやく、埼玉県所沢市のアパートに戻った。


 22時間、一睡もしていない。洗面所で化粧を落として肌を見る。

 部屋着に着替えてから給湯器のスイッチを押し、浴室で湯船にお湯を注ぐ。

 そして体操を始めた。疲れてはいるが、今やらないと体がさびついてしまいそうだった。

 まずは目をつむって片脚で立つ。ずっと活動していなかった足の小指を目覚めさせ、股関節を通る力の流れを細かくコントロールする。


 店で借りているドレスは、それなりに体に合ってはいたが、やはり動く時には気をつかってしまう。そろそろ自分の物を買いに行かなければならない。

 このアパートへの入居契約と引越しは、驚くほど簡単に終わったが、新たな仕事と生活のための道具は、まだ整っていない。寺が所有する倉庫に預けたままになっている物もある。


 どうしても考えてしまうことに気をとられながら体を調整しているうちに15分が経った。

 風呂のお湯を止め、服をぬいで浴槽につかる。

 このまま眠ってしまいそうだ。


 ——店長は、いつ寝ているんだろう。


 店で朱利が拾った2本の煙草は、まったく同じデザインのものだった。しかし銘柄(めいがら)は不明。見おぼえがあるというスタッフはいなかった。

 店長の三宅は各所にメッセージを送ってから、作業着姿で喫煙室へ向かった。朱利が見たのはそこまでだ。


 「安心に満ちた楽しい時間」を提供する仕事。それがこれほどのものだったとは、新人用のマニュアルを読んだだけでは想像もつかなかった。


 ——野戦病院。


 ラビットコーナーという店は、菊川の言うとおり「野戦病院」のようなものなのだろうか。野戦病院で「楽しい時間」は提供しないだろうとは思うのだが、そもそも朱利は野戦病院のことをよく知らない。

 けれど、


 ——病院と似た空気は、たしかに感じた。


 あの煙草を三宅は、まるで毒物や病原体にかかわる物であるかのように取り扱っていた。

 銀色の箸のようなものでつまみ上げ、そのまま黒い小箱へ。そしてその小箱は、フグの肝を入れるような鍵付きの箱へ。

 事案の発生を寺に報告し、煙草の銘柄を特定するため「くわしい奴」にも連絡。

 そして昨夜の来店者についての記録のとりまとめを指示したあと、喫煙室の調査へ向かっていった。


 たいへんな仕事だな、と他人事のように考えながら湯船の心地よさにひたっていた朱利が突然の〈敵襲〉を受けたのは、その直後のことだった。


 浴室の光が消えた。

 何も見えない。

 扉も見えない。

 外の光も消えている。


 そして扉のほうから正面へと視線をもどした朱利の前にあらわれたのは、この世のものとは思えないほど恐ろしい顔だった。


 はっきりと見える。

 顔だけが見える。

 朱利をまっすぐにらみつけているようにも見える。

 その意味はなんだろう、と朱利は思った。

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