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社交怪談 ~夜職には〈その先〉がある~  作者: 水山天気
第2章 この世のものとは思えないほど恐ろしい顔

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異状

 朱利は広い室内を歩き回った。

 初めて見る場所についての記憶がたくわえられていく。


 三宅が言った。

「これがたぶん、この部屋のいつもの状態。これがデフォルト。まずは今の状態を頭に入れておいて」

 朱利は「はい」と応えながら、背丈ほどの高さがある大きなスピーカーの陰に眼をやる。掃除は行き届いているようだ。

「ちなみに、ここにあるソファは背もたれを倒すとベッド的なものになるやつ。ピーク時は、この部屋で何人もお客様が休んでる」

 三宅の言葉を聞いて、朱利はその光景を想像してみた。

 並ぶベッド。

 横たわる何人もの男たち。


 ——「ここは野戦病院なんだよ」。


 そう菊川が言っていたのを思いだす。

「法律の問題をクリアできたら」と三宅が言う。「この部屋にガチのベッドも置いてみたい。海外の富豪やビジネスパーソンが睡眠休暇(スリープケーション)で使うような、制御AIをガン積みしたやつ」

「ああ、ベッドは大事ですよね」

 借金を返し終わったら、義母の家にすごいベッドを置くために、あともう少しだけこの仕事を続けてみようか。店の不気味さに警戒心を抱きながらも、そんな未来のことが頭に浮かぶ。


 三宅は楽しそうに言った。

「アカリさんたちががんばってくれたら、隣の土地にホテルを建てちゃったりもできるかも。あ、そこのドアも開けてみて」

 彼が指した方向に、アルミ色のノブがついた簡素なドアがある。

「はい」

 朱利はドアノブを回した。

 ドアの先。

 換気扇の音がする。

 入った瞬間、いやな気配を感じたが、それは香の匂いが薄れたせいだろう。

 そこに血まみれの大男が立っているわけではなかったし、自分の首を大切そうに抱えた女が見えたりもしない。

 ただの洗面所だ。

 いや、棚と大きな(かご)がある。

 たぶん脱衣所でもあるのだろう。

 左右に()りガラスの扉。どちらもシャワールームだった。床のタイルはまだ濡れている。


「わかりました」と朱利は言った。「こういうチェックをするのも、このお店の大事な仕事なんですね」

「そう。そのとおり。何か大きな異変が起きる時には、その前に小さな予兆があったりするものなんだけど、店の開け閉めのたびに刑事部鑑識課員(カンシキ)を呼ぶわけにもいかないからね」

 そう言って三宅は、両手首の内側をくっつけた。たぶん〈逮捕〉を意味するハンドサインだ。


「で、アカリさんにはどう見えた? 何かおかしな点はあった?」

「いえ、特に何も。とりあえず今の状態をおぼえておいて、今後、異状があったらご報告します」

「ありがとう。ほんとに助かる。出勤日にチェックしてくれたら特別ポ……イントをプラスしちゃうと、他のキャストに説明しづらいから、開店前と閉店後の時給に色をつけとく。めっちゃ濃いやつ」

「ありがとうございます。あ、それと……」

「ん?」

「この部屋ではなくホールのことなんですけど、ちょっと気になったことが」

「なに? なにかあった?」

「今日、ホールのソファの後ろとテーブルの下に、煙草が落ちていたんです。それぞれかなり離れた場所に、1本ずつ。両方とも同じデザインの煙草に見えたので、誰かがわざと置いたのかな、と思っていたんですけど」

「——それそれ! そういうの! そういうのを見逃すなって藤杜さんに言われてるんだよ。くわしく教えて」

「はい」


 朱利が煙草を見つけたのは、22時ごろにテーブルを移動した時。この時は、5番テーブルのソファと壁との間の隙間だ。わずかに違和感があったのでのぞいてみると、そこには1本の紙巻煙草(かみまきたばこ)が落ちていた。

 ホールの掃除はスタッフが念入りにしていることを知っていたので、おかしいなと思った。

 そして5時13分ごろ。トイレへ行く客に付き添った時だ。無人になっていた9番テーブルの下に、同じような煙草が落ちていた。


 朱利がそう伝えると、三宅は左の拳を自分の(あご)に当ててから言った。

「その煙草って、吸殻?」

「いえ、吸殻ではなく、新品……って言うんですか?」

「あまり言わないね。とにかく、その、吸ってないやつね。現物あるかなあ」

「どうでしょう。最初のは廣田(ひろた)さんにお渡ししましたけど。2本目は山崎(やまざき)さんに拾っていただいて……」

「わかった。ちょっと訊いてみよう。来てくれる?」

 そう言って三宅は、早足で休憩室を出た。朱利もそれについていく。


「廣田! 山崎さん!」

 三宅に呼ばれた廣田が、小走りでホールから通路へ上がってきた。

 バーカウンターでボトルを磨いていた山崎もこちらへやって来る。

 三宅が二人に言った。

「今日ホールに落ちてた煙草のことおぼえてます?」

「ええ」と山崎が答えた。「アカリさんが見つけた物ですよね。何かありましたか?」

「最悪、呪物(じゅぶつ)かもしれません」

「……そうですか。物騒になってきましたね」

「最悪の場合、ですけどね。現物、まだあったりしますか?」

 三宅にそう尋ねられた山崎は、うなずいてから通路の奥に眼をやった。

「あります。アカリさんの様子がちょっと気になったので、とりあえずスタッフルームに。店長がお一人の時に報告しようと思っていましたが、悠長(ゆうちょう)でしたか」

「いえ、充分です」

 と三宅は応じ、それから廣田に向かって言った。

「廣田、おまえのほうは?」

「すません。捨てちゃいました」

「やむなし。ゴミチェック」

「ウス」


「あとは……春矢(はるや)くん!」

 三宅は大きな声を出した。

 遠くから扉の鳴る音。「はい!」という高い声が返ってくる。

 三宅は続けて言った。

喫煙室(きつえんしつ)の掃除、いっかい止めちゃって! あとで吸殻を見たいから! あと、バックヤードのほうもストップ! 使用禁止にしておいて!」

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