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社交怪談 ~夜職には〈その先〉がある~  作者: 水山天気
第2章 この世のものとは思えないほど恐ろしい顔

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12/16

残業

 〈休憩室〉は三十畳ほどの広さの部屋だった。

 白い光の下に、高級そうなソファが八つも並べられている。

 洋間だが、白い壁には幾つもの掛軸。書かれている文字は、「安心」「天寿」「無有恐怖」など。


 ——いい匂いがする。


 (こう)()かれていたのだろう。

宮間(みやま)。休憩室、音出して」

 ドアを閉める前に、三宅が部屋の外へ向かって言った。

 少し間をおいて、室内に配置された大きなスピーカーから、お経をよむ声と木魚の音が流れ出した。


 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子——


 よく響く声。

 この声は、

藤蚕寺(とうさんじ)住職、藤王(ふじおう)さんのヒーリング般若心経(はんにゃしんぎょう)だ」と三宅が言った。「当店のスペシャルコンテンツ。昭和の暗黒街で破壊の化身と呼ばれた和尚(おしょう)が、一切衆生(いっさいしゅじょう)に穏やかな眠りをもたらすために緊急レコーディング。こんなありがたいお経が聴けるキャバクラは、日本のどこを探しても見つからないよね」

「なんだか落ちつく感じはします」

「追いつめられた人たちにとっては、落ちつくていどの効き目じゃないから。死に近づけば近づくほど()みてくる。そういうお経」

「……その、追いつめられた人たちというのが」

「うん。自分の家に帰りたくない、いや、帰れなくなっちゃった人たちだよ。もう、この部屋でしか眠れない人たち」

 三宅の声音(こわね)が、だんだんと変わってきた。

 これまでのように軽快なものではなくなっている。

 そして彼は言った。

「アカリさんは、幽霊を見たことある?」

「……幽霊……ですか」


 朱利は即答できなかった。

 掛軸に眼をやってから、もういちど三宅の顔を見た。

 真面目な、というか、深刻そうな表情だ。

 朱利は困惑した。

 デリケートな質問だ。

 近頃は、〈そういう話〉を気軽にしにくい空気になっている。

 そもそも幽霊とは?というところから始まった議論が、あっというまに、もう絶交しよう付き合いをやめようという話になりかねない。実際に、幽霊観の不一致で別れた夫婦もいるそうだ。


 朱利は慎重に言葉を選んだ。

「寝起きの時などに、いるはずのない人が見えてしまったことはあります」

 現在の環境に、過去の動画が重なってしまう現象。

 今ここにあるはずのない光景。

 今ここで聞こえるはずがない音。

 はず。

 はず。

 スマホの誤操作のようなものだと朱利は考えているが、その現象をどう解釈するかは人によってちがう。

 幽霊。

 化物。

 怪奇現象。

 そういう何かについての体験談を書き記した「実話怪談」の本は、朱利が子供だったころから月に何冊も出ていたようだが、今では大型書店の棚をいくつも埋めつくす勢いだ。その一方で、ネット上の情報はすぐに消えてしまうようになった。


 そして〈僧兵〉。

 一時(いっとき)は「過去の遺物」とまで言われた僧兵たちが、ふたたび社会で存在感を示すようになったのも、やはりそういう時勢と関係があるのだろう。彼らの活動について報じる「実話雑誌」も、紙の世界では大きなシェアを占めているらしく、朱利の視界にも頻繁に入ってはいる。


 朱利の返答に対して三宅はうなずき、

「うん。そういう何かを見ちゃった人。そしてそれを怖がっている人。それがこの〈休憩室〉を必要としているお客様なんだよ」

 と言った。

「自分の家で、そういうものを見ちゃった人。それだけじゃなくて、なにか身におぼえがある人。誰かに恨まれている自覚がある人。夜、独りになりたくない人。そういうお客様には、休憩室の利用をおすすめしてる」

「……自分の家に、帰りたくない人、ですか」

「自分にしかわからない何かで怖がってる人は、孤独だからね。この店のお客様は、仲間や友達と純粋に楽しむために来ている人も多いけど、そういう人もいつ怖い目にあってしまうかわからない。きつい仕事をしてたりするから。ラビットコーナーは、そんな人たちにも安らいでもらえるような、それで落ちついたらもういちど、楽しいパーティーに戻ってもらえるような、縁起のいい店を目指してる。よろしくね」

「……なんと言っていいのか、ちょっと……」

「だよね。でも、そういう仕事だから。アカリさんはまず、自分のことを大事にして。その次に、この店の理想とお客様のことを考えてくれると嬉しい」

「はい……」

「大丈夫。うちは藤蚕寺がバックについてるから。何かあったら、藤杜さんたちが守ってくれるよ」


 その藤蚕寺に借金を返すために、朱利はこの店で働いているわけだが。


 怪談。

 僧兵。

 自分の家で眠ることもできなくなった人たち。

 そんな人たちのためにある店——ラビットコーナー。


 ——この店は、


 思っていたよりずっと危険な場所だったのかもしれない。


「アカリさん、時間はまだ大丈夫?」と奇怪な店の店長が言った。

「仕事でしたら、喜んで」と朱利は答える。

 三宅は笑った。

「じゃあちょっと、この部屋をチェックしてもらおうか」

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