需要
「このお店、キャバクラとはちがうんですか?」
今、店長室には朱利と三宅しかいない。三宅に「なにか、仕事のことについて質問はある? メガラがいいかげんなこと言う前に、おれが説明しておくよ」と言われたので、朱利は率直に訊いてみた。
「うん。やっぱり、まずはそこだよね」
三宅は事務机の上に両肘をのせて指を組んだ。
「どう見てもキャバクラ。そう思った? 思うよね」
「まあ……」
朱利はキャバクラに入ったことがない。しかし、動画や漫画で見たことのある店内の光景。ネット上の情報で予習をした仕事の流れ。いずれも、この店のそれと大きく食いちがうものではなかった。
けれども、気になる点はいくつもあった。
「このお店……深夜営業?してますよね」
「うん。基本、夜が明けるまで。そこはまあ、そういうものだと思って」
違法なのではないだろうか。法的には灰色? 普通のキャバクラも、実はそういうものなのだろうか。
「あと、休憩室のことも気になっていて……」
この店には、客のための〈休憩室〉がある。
スタッフルームの手前にある扉。その先にあるのが休憩室だ。
テーブルについているキャストがマニュアル通りのハンドサインを送ると、スタッフが客をそこまで案内していく。
その部屋に入った客の多くは、閉店時刻の間際になるまで出てこない。高い延長料金を支払って、朝日に照らされた街へと帰っていく。
「いかがわしいことはしてないから、そこは安心して」
と三宅は言った。
「もちろん、カジノでもない。本当にただ、休憩するだけの部屋。お客様の中には、「仮眠室」って言う人もいるけど、それはちょっとアウトな表現。うちとしては「休憩室」でよろしく。飲みすぎて気分が悪くなったお客様が、静かにちょっと体を休める。店側としても、終電がないような時刻に、そんな状態のお客様に対して早く出ていけとは言えない。そういう世界」
「……はい」
「アカリさん。この店に来るのは、どういう人たちだと思う? この店が応えるべき需要は何?」
「安心に満ちた楽しい時間。安心に満ちた楽しい時間をすごしたい方に、全力でそれを提供するのが、わたしたちの仕事です」
「うん。模範解答」
マニュアルの中の「根本」のところに書いてあった言葉、ほぼそのままだ。
「でもね」と三宅は言った。「アカリさんには、もう少し踏みこんだところを話しておくよ。聞いてくれる?」
「あ……はい」
「この店——ラビットコーナーは、家に帰りたくない人たちのためにある」
その瞬間、夫の顔がいくつも目の前に浮かんだ。
時おり見せていた表情。
曇った顔。満たされないものがありそうな顔。
そして、義母が入院したころからの、重く鈍い表情筋の動き。
キャバクラ嬢と二人で去っていった夫についての記憶の中でも、なるべく思いださないようにしていた部分だ。
——家に帰りたく、なかったんだろうな。
そしてついには、永久に帰らないことを選んでしまったのだろう。
いきなり極端な行動に走りがちな人ではあったが、もれでる予兆は確かにあった。
その記憶を突きつけられた朱利の顔も曇っていたのか、
「ごめん、アカリさん」
と、あわてたように三宅が言った。
「家庭に不満があるとかそういう話じゃなくて、いや、そういうお客様もいるにはいると思うからそこは知っておいてほしいんだけど……」
「ええ、わかりました。お気づかいありがとうございます」
「いや、今のは無神経すぎた。説明するのが難しい話だから、つい、雑なまとめから入っちゃったよ。ほんとにごめんね」
「いえそんな」
そんなことよりも、その「話」の中身が気になる。
過去のことは過去のこと。今の朱利が気にしなければならないのは、この店のことだ。
三宅が気まずそうに言った。
「……アカリさん、まだ時間ある?」
「ええ」
「悪いね。ちょっと、休憩室に来てくれる?」と言って三宅は立ち上がった。「そろそろアカリさんに見てもらおうと思ってた場所だしね」




