1.
外で一度だけ鳴り響いたクラクション。俺は眠い目をこすりながら、布団から起き上がる。時計の時間は午前5時。二度寝したくとも、もう起きる時間に、俺は舌打ちをする。
さて、今日の昼食たる弁当を作ろう。
今日のおかずは冷凍食品のごぼうサラダに、冷凍食品のほうれんそう。あと、冷凍食品の塩鮭が一切れだ。
便利なもので、サラダやほうれんそうなどは、冷凍室から出して凍ったまま弁当箱に入れておけば、時間になるころには解凍されているのだ。
ご飯は――炊飯器の予約で炊いておいた。こっちは、しばらく冷ましておく必要がある。
おかずとご飯を、弁当箱へと丁寧に詰めていく。学校がある日の毎日のことなので、特に達成感と言うモノはない。
アパートの一室である自宅の入り口の、鍵が開く音が聞こえる。
どん、どん、と。疲れ切った足音が、床を叩いて近づいてくる。
「…………」
台所に入ってきたのは派手な女。その血縁上は母親に当たる女は、酒の臭いを漂わせながら冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、ちらりと一度こちらを見てから、とっとと部屋を出て行ってしまった。
どうせ、自分の寝室にでも籠るつもりだろう。仕事で飲んで、家でも飲んで。そのうちアルコール中毒でくたばるんじゃなかろうか。
別にどっちでもいい。いや、そうなったら死人の手続きとか稼ぎとか、色々困るから、どちらかと言うと死んでもらってほしくはないか。
だが、別に帰ってきたら冷たくなっていたとて、何も思わないだろう。最後に言葉を交わしたのも、いつだったか思い出せない。そんな言葉も、「ああ」とか「おう」とかそんな感じの相槌だったような気もする。
弁当を作り終えた後、オーブントースターで食パンを焼き、インスタントコーヒーを作る。ラジオでニュースをチェックしつつ、出来上がりを待ち、完成した後はそれをいただく。
食事が終わったら、制服へと着替えを済ませて今日学校で必要な教材を確認。洗濯機の動作が終わり次第、それらをハンガーに通し、部屋の中に干しておくことにした。
家を出る際、必ず自分の財布と家の通帳は確認し、一緒に持って行く。家の中に放置すれば、いつ勝手に持ち出し使いきられるか分かったモノではない。
戸締りをして、薄暗い曇天の下をバス停へと向けて歩く。ごく普通の住宅街。朝ゆえか、大通りにはそれなりに車が走りかっている。何も変わらない日常風景。
バス亭に着き、予定通り5分後にバスが。今日の混み具合はそれなりで、俺は空いていた一番後ろの席に腰かける。どかっと、全身の力を一度に抜いて。
「――っ、はぁ~……」
なんだか、残業を終えたサラリーマンみたいな声を出してしまった。これから学校へ行くというのに、眠りこけてしまいそうだ。
妙な倦怠感。昨日は、特にこれと言って疲れるようなことはしていないハズなのに。
このだるさは何なのだろうか。まるで、何日も寝ずに歩いたかのごとく、身体が重い。足も棒のようで、ここまで来るのも千里の道を旅していたかのような気分だ。
それに、身体はあちこち傷だらけ。起きたら全裸だったとまで来た。昨夜は普通に飯を食って風呂に入り、普通に予習をだるく思いながらも終えて、それから眠りについたはずなのに。
まるでウチにいるアレのような、ヒドイ有様。未成年ゆえに酔っぱらって記憶を飛ばすことなど無いハズなのに、どことなく起きたてのあの女に似ているのは、嫌悪感を覚える。
あんな風にならないために、それなりに真面目に勉強を頑張っているつもりなのだが。
20分程してバスが目的地に止まる。危うく、寝過ごしてしまうところだった俺は、荷物の入ったスクールバッグをえっちらおっちら運んだ。
周囲には、登校中の生徒たち。疲れた顔をしている奴。友達や恋人同士で談笑しながら歩いている奴。憂鬱そうな表情をしている奴。特に何も考えていなさそうなヤツ。なぜかは知らないが妙にうれしそうな表情をしたヤツ。
そんな奴らの間を、俺は全くいつもの通りに歩きぬけていく。特に何も感じない。こんなことで喜びも悲しみも感じるわけがない。
教室にたどり着き、扉を開いても、特に誰と目が合うわけでもない。各々が各々のくだらない用事で友人たちと何事か行っている。
それは会話だったり、ゲームだったり。誰から見ても高校生にもなってやることじゃない馬鹿な行動をしていたり。そのどれもがくだらないことで、俺には全くの関係ないことだ。
一番後ろで窓際の席に着く。授業の準備を終えた俺は、時間になるまで特にすることが無いので、頬杖をついて窓の外を眺めることにした。
かといって、何か面白い何かが起こるでもなく。厚い雲に覆われた大空には、滑稽な形のもの一つ浮かんではいない。
外は、登校中や教室の中と同じく、他人たちが動いている。退屈しのぎになるようなアクシデントすらもないそこから数秒足らずで目をそらし、机の上へと目をやった。深い茶色のそれは、何年も使いまわされてきたと思わしき古めかしい傷が、いたるところにある。
朝の学活時間。このクラスに在籍する生徒たちが各々自分達の席に座るため、規則正しく頭がずらりと並んでいる。
コソコソ私語をしている男子。メモを手紙代わりにして交換している女子。それを目ざとく見つけ、辟易したように注意する教師。特に何かするでもなく、じっと話を聞く生徒たちももちろんいる。
――そんな中で。隣の席がふと空席なのが目についた。
俺の座る席と、特に大して変わった様子のない、少々古ぼけた机。ここだけが、まるで世界が違うと言ったように私物が無く、閑散としている。
気になる。何だったか。なぜか、無性にその席についていた人物のことが。確か、ここ一か月の間、登校していないような。
「…………」
そうだ、と。心の中でその気がかりの正体に気が付いた。
こいつ、そう言えば変わった苗字だった。
滅多に目にしない姓をしていた、と記憶している。そう、確か「満天須」とか言っていた。
何でも、色々な業務へと手を伸ばす満天須グループのご令嬢で、相当に頭がよく、家柄的にも成績的にもこんな辺境の公立高校にいることが謎な女子だったと思う。
名前は覚えていないが、いつも人に囲まれていた、クラスの人気者。俺なんかとは、まったく住む世界のことなる人間。
――突然、曇天の空から大粒の雨が降り注ぎ始めた。
突然のバケツをひっくり返したかのような大雨に、教室中がざわめきだす。が、教師はそんな生徒たちに飽きれたように、自分の方へと注意を促した。
別に、隣の席が誰であろうと、特に関係のないことだった。学校なんてのは、程々に勉強する程度の場所。クラスの誰がどうだとかなんてのより、スーパーで割引になっている食品の方が俺には気がかりだ。
誰とも話さない。誰もこちらを見ることは無い。そんな、いつもと変わらない日常。
雨音がひたすら鳴り響く。教師の連絡は、どこか遠くで喋っているかのように音が遠い。
続いて行く。何もなく。ただひたすらに。ひたすらに。そんな時の流れに、身を委ね――、
突如、俺の身体は落下した。




