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第六話 父の祈り

挿絵(By みてみん)

第六話 父の祈り


宗一郎は、白沢家の前で自動タクシーを降りた。


家には、まだ灯りがあった。


夜の白沢家は、昼間より少しだけ静かに見える。


古い木の門。

低い塀。

障子越しに漏れる、やわらかな灯り。


そこにあるのは、研究所でも、会議室でも、国家計画の中枢でもない。


ただの家だった。


宗一郎は、歩きながら籠目の顔を思い浮かべる。


会うなり大泣きで、呆れました。


椿の声が、頭の中で何度も繰り返される。


そのたびに、胸の奥が少しだけ重くなった。


研究所を出るときの、久我の一言も忘れられなかった。


『お前がくだんのAIに対して何を思っているのかは知らん』


久我の真剣なまなざしを思い出す。


『これだけは言っておく。目的に同情やエゴを混ぜるなよ』


『あれは、そんな生易しい計画ではない。くれぐれも忘れるな』


宗一郎は、足を止めかけた。


同情。

エゴ。


その言葉は、耳に残るというより、胸の内側に引っかかっていた。


「本当にどうしたんだよ、真一」


宗一郎がそう言った時、久我は少しも表情を緩めなかった。


『愚かな振りはやめろ。昔から貴様の悪癖だ。とにかく、わかったな』


「……ああ……わかったよ」


わかった。


そう答えた。


けれど、自分でも分かっていなかった。


何を分かれと言われたのか。

何を混ぜてはいけないと言われたのか。


宗一郎には、もうはっきり分かり始めていた。


だからこそ、分かっていないふりをした。


宗一郎が去ったあと、久我は一人、言葉を落とした。


『わかってないだろう。大バカ者が……』


研究所の無機質な廊下に立つ久我を、ライトが照らしていた。


その光は、不思議と温かく見えた。


「ただいま」


返事はなかった。


「……返事はなしか。ってことは、籠目の家か」


宗一郎は、接続端末を確認した。


美しい赤い椿の花が、目に入った。


「……椿」


それは、宗一郎が椿に贈った端末だった。


赤い椿があしらわれた、小さな端末。


椿は、こういうものを大げさには喜ばない。

ただ、受け取る時にほんの少しだけ目元を柔らかくする。


宗一郎は、その表情が好きだった。


その横顔に、いつもの人懐っこい面影はなかった。


暗い影を落としていた。


「とにかく、行くしかないな……」


宗一郎は静かに端末を接続した。


「先生、淑女力というのはですね……」


控えめな身振り手振り。


全身を使って楽しそうに話していた籠目の動きが止まる。


「あら、どうしたの。籠目?」


籠目の話を笑顔で聞いていた椿が、首を傾げた。


「先生、端末の接続が確認されました。宗一郎のものです」


椿は優しい笑みをこぼすと、


「あらそう。宗一郎がどんな事を言うのか楽しみね」


「先生、私は宗一郎の発言に興味がありません」


籠目の言葉を聞いて、椿はさらに笑みを深めた。


宗一郎は顔を上げた。


そこで見たのは、庭で語り合う二人の姿だった。


椿は、いつものように美しかった。


落ち着いた所作。

柔らかな表情。

籠目の話を聞く、静かなまなざし。


その前で、籠目は楽しそうに手を動かしていた。


まだぎこちない。

まだ少し大げさで、まだ少し変だ。


けれど、確かに楽しそうだった。


宗一郎は声をかけようとした。


しかし、その声は喉が張り付いて出てこない。


いや、その光景に目を奪われて、声を忘れた。


その表現が、正しいように思えた。


あれ……?


宗一郎は、ここでようやく自分の状況に気づいた。


「……涙?」


指先が、目元に触れる。


そこには、確かに水分があった。


宗一郎は、自分でも少し驚いた。


籠目が泣いたと聞いて心配していた。

椿が怒っているかもしれないと焦っていた。

国家計画としての問題も、久我の言葉も、ずっと頭にあった。


それなのに、今出てきた涙は、そのどれとも違っていた。


嬉しかったのだ。


ただ、それだけだった。


その時、椿がこちらに手を振って歩いてきた。


籠目は宗一郎を一瞥すると、すぐに椿へ向き直った。


宗一郎は、とっさに目元をぬぐった。


この時ばかりは、籠目計画のためにホログラムの改良を重ねてきたことを後悔した。


宗一郎を見た椿は、少し歩くペースを落とした。


そして、籠目に向き直る。


何かを話しているようだった。


その後、籠目の声が聞こえた。


「抗議します」


椿はもう一度だけ宗一郎を見ると、歩みを進めた。


宗一郎は、へたくそな笑みを浮かべた。


「やあ。ただいま」


椿は何もなかったように言った。


「おかえりなさいませ。お勤めご苦労様です」


籠目は、少しむすっとした顔で宗一郎を見ていた。


「ごめん。僕、何かしちゃったかな……?」


椿は籠目を見ると、優しく背中を押した。


「ほら、籠目」


籠目はうつむいたまま言った。


「い……一度しか言いません」


それから、少しだけ顔を上げる。


「あと、勘違いしないでくださいね。これは私の考えではなく、先生からの淑女指導の一環です」


宗一郎は、椿を見た。


「え……先生になったの?」


椿は何も答えず、優しく微笑んでいた。


「いいですか。言いますよ。いいですね」


籠目は、何度も念を押した。


「う……うん」


籠目は背筋を伸ばし、いつもの美しい姿勢で、勢いよく言った。


「おちゅとめご苦労様です。父上!」


挿絵(By みてみん)


そして、噛んだ。


宗一郎は、目を点にした。


椿は、声を上げて笑った。


「違います。あの、違います。もう一度やります。いえ、やっぱりやりません。先生、笑わないでください。宗一郎、あなたも調子に乗らないことです」


籠目は顔を真っ赤にして、まくしたてた。


宗一郎は、一度深く目をつぶった。


父上。


その言葉は、あまりにも不意打ちだった。


冗談でもいい。

椿の指導の一環でもいい。

籠目の本心ではないのだとしても。


それでも、その言葉は宗一郎の胸を強く打った。


宗一郎は、目を開けた。


「あーはっは!」


宗一郎は、大笑いした。


「な……あなた、大笑いするとは失礼ですよ。淑女への冒涜とみなします」


籠目は、顔を赤くしたまま言った。


「抗議します!」


それを聞いて、宗一郎はさらに大げさに笑った。


「いやいや、ごめんって。嬉しかったんだよ」


「なんですか。それでは感謝の一つでも捧げなさい」


大げさに片手で目元を隠し、大笑いする宗一郎に、籠目が詰め寄る。


その姿を、椿は優しく見つめていた。


宗一郎の目に光るものには気づいていないように、静かに目を閉じた。


宗一郎は、片手を目元に当てたまま上を向いた。


「あー……これは僕も、認めなくちゃいけないかな……」


「そうです。あなたは淑女を冒涜しました。猛省してください」


椿は、目を閉じたまま宗一郎の言葉を聞いていた。


やがて、すっと目を開ける。


「籠目。私は、あなたの師となることについて、宗一郎と話があります」


「お言葉ですが、先生と私の契りに宗一郎は関係ありません」


「うふふ。報告みたいなものです」


椿はそう言うと、優しく籠目の頭をなでた。


「あなたはお風呂に入って寝なさいね」


「子供扱いには抗議します。ですが、本日は疲れましたので、抗議は後日といたします」


嬉しさを隠しきれない籠目を、宗一郎は目を見開いたまま見ていた。


椿が籠目の頭をなでる。


籠目が、それを拒まない。


むしろ、少しだけ嬉しそうにしている。


その光景は、宗一郎には少し眩しすぎた。


「それでは、先生。おやすみなさい」


「ええ。籠目、おやすみなさい」


宗一郎も、慌てて軽く手を上げた。


「あ、籠目。おやすみ」


「はい。お疲れ様です」


そっけない反応に、宗一郎はそのまま肩を落とし、とぼとぼと去っていった。


「で、決まりました?」


籠目の家を後にすると、椿は静かに宗一郎に尋ねた。


「うん。そうだね」


椿は、静かに目を閉じた。


「そうですか」


「きっと、僕の祈りは君と同じだよ」


椿は目を開け、宗一郎をまっすぐに見た。


「私は、これから先、何があっても籠目の味方だと約束しました」


「うん。そうだろうね。君らしい」


「籠目計画に、本格的に参加いたします」


宗一郎は、目を見開いた。


「それは、ダメー」


声だけは軽かった。


だが、宗一郎の表情は少しも軽くなかった。


「止めても無駄です。私は決めましたので」


椿の迷い一つない目を見て、説得は無理だと悟った。


宗一郎は軽く息を吐き、乱暴に頭を掻いた。


「これから、大変になるな」


その言葉とは裏腹に、宗一郎の目には強い意志が宿っていた。


椿は、それを見て少しだけ微笑んだ。


「ええ。大変になります」


「軽く言うね」


「私は決めましたので」


「だろうね」


二人は、しばらく黙っていた。


その沈黙は、重かった。


けれど、不思議と冷たくはなかった。


籠目は、浴室に向かっていた。


あんなに怖かった廊下が、今は歩くだけで楽しい。


「湯浴み、楽しみです」


物々しい、風情のかけらもない浴室に到着する。


「いつ見ても素晴らしい淑女力の浴室ですね」


謎の自信も復活していた。


籠目は湯船につかると、


「ほわー」


と、謎の声を上げた。


そして、思い出す。


「椿先生……なんて素敵な方なのでしょう」


「優しさ、美しさ、気品。どれを取っても、いっそ恐ろしいほどの淑女力を感じました」


「そして、一番は先生のあの笑顔です」


籠目は、先生の笑顔を思い出す。


「う……美しいですー」


籠目の顔が赤いのは、お風呂なのか、それとも何なのか。


籠目はお風呂を出ると、牛乳を日本伝統の姿勢で飲み干した。


「なぜか、今日の牛乳はいつもよりおいしく感じます」


籠目は瓶を見つめ、真剣な表情で言った。


「この湯浴み後の牛乳は、日本の伝統文化です」


それから、はっとひらめいた顔をする。


「まさか、先生の弟子になって淑女力が上がったからでしょうか」


いつもの籠目であった。


籠目は寝る支度を終えると、寝室に向かった。


寝室の襖は軽く開き、籠目を迎え入れた。


寝室には、椿から隠れていた布団が、そのままの状態で残っていた。


籠目は布団を見つめると、そっと手を当てた。


「ありがとうございました」


「なんとか、椿様の弟子となることができました。これも、あなたのおかげですね」


布団に、静かに感謝を告げる。


誰も見ていない。

誰にも聞かれていない。


それでも籠目は、きちんと礼を言った。


怖い時、自分を隠してくれたもの。

惨めな自分を受け止めてくれたもの。


それを、ただの寝具として扱うことができなかった。


籠目は布団に入った。


静かに目を閉じ、今日の出来事を振り返る。


椿の声。

椿の目。

椿の笑顔。

椿の手。


あんなに怖かったはずなのに、その顔は穏やかな笑顔に見えた。


そのまま静かに眠りについた。


翌日、籠目はいつも通り五時に起きた。


「ふう。朝の淑女勤めが完了いたしました」


新しい淑女な日本語を作ることにも余念がない。


実は、昨日寝る前に決心していたことがある。


籠目は、手を切った包丁を捨てていなかった。


意を決したように、自分に言い聞かせる。


「本日は、ワカメと油揚げの味噌汁を作ります」


そうして、手早く鍋やワカメの準備をして、手が止まった。


籠目は、ゆっくりと目を閉じた。


「治っているなら、包帯は外しなさい」


椿にそう叱られ、渋々外したことを思い出す。


過去の傷が、痛むような気がした。


籠目は目を開けた。


きりっとした表情で、こう宣言する。


「認めましょう。私は包丁が怖い!」


しかし、淑女は逃げません。


「この油揚げの試練、受けて立ちます」


凛とした美しい立ち姿。


誰も、これから味噌汁を作る光景だとは思うまい。


「まずは、包丁を洗います」


籠目は、恐怖など感じていないかのように包丁を手に取った。


いや、口元は引きつり、目元は下がり、足も手も震えている。


それでも、美しい立ち姿だけは変わらない。


さすがといえよう。


籠目は包丁を洗った。


丁寧に。


いや、丁寧ではあるのだが、おっかなびっくりという方が、表現としては正しいかもしれない。


なんとか包丁を洗うと、布巾で水気を綺麗に拭き取った。


籠目は、小さな声で言った。


「よし。次はいよいよ油揚げです」


籠目は、先生から受けた助言を思い出していた。


「先生、包丁がうまく使えないのです」


「具体的に、あなたは何が出来ていないと感じるの?」


椿は優しく聞いた。


「油揚げを切ったのですが、大きさや角度がばらばらだったのです。そして、手を切ってしまいました」


籠目は恐怖を思い出したのか、傷があった場所を押さえていた。


椿はその姿を横目に収め、ゆっくりと言った。


「籠目。まずあなたは、成功のハードルを下げなさい」


「成功のハードルですか……?」


「その通りです。まずは少し太くてもいい。不格好でもいい。可能な限り等間隔で、まっすぐ切ることだけに意識を向けなさい」


「でも、文献で見たものとは……」


「いいですか、籠目。これを覚えておきなさい」


「はい」


「知っていることと、出来ることは別なのですよ」


椿は、優しい笑顔で籠目を諭した。


「一緒に、一つずつ出来ることを増やしていきましょうね」


その後の「はい」の声が裏返ったのは、何かの間違いだ。


籠目は、椿の言葉と笑顔を思い出す。


その瞬間、ぽかんと口を開けた。


ほわほわほわー、と椿の笑顔が浮かぶ。


「先生……美しい……」


「いや、違います」


籠目は、はっと我に返った。


「今は先生の美しさを賛美する時間ではありません」


「試練の最中でした」


「先生の教え通りにやるのです」


籠目は、油揚げを切り始めた。


怖い。


でも、先生の教えを守っていると思うと、不思議と怖さが薄れた。


手の震えは止まらない。


足も震えている。


それでも、目はしっかりと油揚げを見据えていた。


「太くてもいい。丁寧に、まっすぐです」


「それだけを考えて切るのです」


籠目は、まるで一流の彫刻家のようなまなざしで、油揚げに刃を入れた。


「……出来ました」


籠目は、集中力を吐き出すように言った。


確かに太い。


それでも、大きさは均等に近く、まっすぐに切れていた。


「太いです。でも、きれいに切れています」


「淑女力が上がりました」


籠目は、先生がいると思われる方角へ向かって頭を下げた。


「先生、ご指導ありがとうございます」


出来た油揚げを鍋に入れ、朝食を完成させた。


「出来ました」


ご飯に味噌汁。


それから、最近籠目のお気に入りのお漬物。


確かに、質素な朝食だった。


ただ、籠目に言わせれば、淑女な朝食なのだ。


「それでは、いただきます」


籠目は、さっそく味噌汁を口に含んだ。


「……あれ?」


油揚げを食べる。


「美味しいです」


同じ味付け。


同じ油揚げに、ワカメ。


それなのに、前回は美味しいと感じなかった。


油揚げは太いはずだ。


文献より、不格好だ。


それでも。


「美味しいです」


「先生のご指導のおかげです」


「やはり先生は、偉大な淑女です」


籠目は気づかなかった。


味噌汁だけではない。


ご飯も、漬物も、いつもより美味しそうに食べていることに。


籠目は、ご満悦に淑女な朝食を終えた。


それから、洗い物をしていた。


あんなに怖かった包丁を、何事もないように洗っている。


そのことにも、籠目は気づいていなかった。


「素晴らしい淑女の朝食でした」


籠目は、満足そうに頷いた。


「先生は、まだ寝ていらっしゃるのでしょうか」


現在、朝六時過ぎ。


「いえ。先生は淑女ですから、起きているはず」


それから、きりっと顔を引き締める。


「何より、試練の結果を報告せねばなりません」


「そうです。これは必要な報告なのです」


「先生の声が聞きたいなどという、下世話な話ではありません」


籠目は、意気揚々と黒電話を取った。


呼び出し音が鳴る。


籠目は、相手が出るまでかけ続けた。


かけ続けること五分。


『あー、ごめん。籠目。何かあったのかい』


「おはようございます、宗一郎。先生は起きていらっしゃいますか」


『椿なら、まだ寝ているよ。朝は弱いんだ』


「何を言っているのです。先生を侮辱しないでください」


『本当なんだけどなあ』


「わかりました。先生がお疲れということでしたら、無理は言えません」


籠目は、少しだけ姿勢を正した。


「起きられましたら報告がありますので、一番に私へ連絡くださるよう、言付けをお願いします」


『うん。わかったよ』


籠目は、椿からの電話を待つことに決めた。


美しい姿勢で正座をし、祈るように静かに目を閉じる少女。


まるで聖書の一場面のような姿が、黒電話の前にあった。


ただし、待っているのは神の啓示ではない。


先生からの折り返し電話である。


あれから、三十分。


まだ電話はかかってこない。


「これは、おかしいですね」


「もしや、先生に何かあったのでは」


籠目は、目をカッと開いた。


すぐに黒電話を取る。


今度は、なかなか電話に出ない。


鳴らし続けること、およそ十分。


『あー……ごめん。籠目。何かあったのかな』


完全に寝起きの声の宗一郎がいた。


「先生は大丈夫ですか。何かあったのでは」


『寝てるよ』


「そうですか。安心しました。それでは、また五分後に」


『うん。って、待って。五分――』


電話が切れた。


「おいおい、嘘だろ……」


宗一郎は、嘆いた。


その後、椿が起きたのは十時頃だった。


宗一郎は、すっかり疲れ切っていた。


椿が起きるまで、籠目の確認電話は続いた。


げっそりする宗一郎の横で、椿は言った。


「籠目。私と話したい気持ちは嬉しいです。でも、私は朝が弱いの」


「違います。試練の結果報告ができましたので、先生に連絡したのです」


「籠目。朝が弱いを流さないで」


「うっ」


椿は、うふふと楽しそうに笑った。


「いいですか、籠目。人には誰しも、得手不得手があります」


「私は朝が苦手。それは、決して悪いことではありません」


「得手不得手ですか」


「そう。完璧である必要はないの」


籠目は、目を見開いた。


「完璧である必要がない……」


その言葉は、籠目の中に静かに落ちた。


完璧でなくていい。


それは、あまりにも不思議な言葉だった。


日本の誇りとして。

国民の願いとして。

大和撫子として。

淑女として。


籠目はずっと、正しくあろうとしていた。


それなのに、椿は完璧でなくていいと言った。


「とにかく、宗一郎がげっそりしてしまっていますから。優しくしてあげてね」


「優しくは出来ませんが、朝に関しては承知しました」


「よろしい。お利口さんですね」


「いくら先生でも、私は超高性能AIです。そ、そのお利口は、えっと駄目です。いや、良くないです」


籠目は、少しだけ顔を赤くした。


「と……とにかく、抗議します!」


宗一郎は、二人の電話を見守っていた。


自然と、口角が柔らかく上がっていた。


椿は、昼食を終えたら二人で籠目のもとへ行くと約束した。


籠目の、


「宗一郎は必要ありません」


に、ひとしきり笑った後、電話を切った。


「可愛いね」


宗一郎は、椿に笑顔で言った。


「本当に可愛いです」


椿は、愛おしそうに笑った。


けれど、すぐに真剣な顔になる。


「あの子は、まだ子供なんですよ」


「何があっても、私たちが守ってあげなくてはいけません」


宗一郎も、表情を硬くした。


「そうだね。その通りだ」


「頑張ってくださいね。お父さん」


それは、籠目が好きな先生の顔だった。


美しく品があるのに、どこかお茶目な笑顔を浮かべていた。


「僕は、嫌われてるみたいだけどね……」


「さあ、それはどうでしょうね」


椿は、静かに外を見つめた。


それは、旧由比ガ浜海水浴場の方角だった。


「話とは何かな、久我博士」


柔らかく、無機質な声だった。


「籠目計画における適応訓練の見直しを求めます」


「ふむ。それはなぜかな」


「自立心を求める適応訓練など、籠目計画に必要ありません」


「君は、そう考えるのか」


「籠目計画は、国家AIの開発です」


久我の声に、わずかに力がこもった。


「危機的な日本を救うために、超知能AIを産み出すことが目的ではないのですか」


「その通り。君の言う通りだよ、久我博士」


声は、変わらず柔らかかった。


「しかし、我が日本は、それだけで救われるかな?」


久我は、黙った。


「君は科学者。私は政治家だ。思想の違いなど、戦前から続いてきたことだろう」


「本当にあなたたちは、人の手で神でも作るつもりですか」


少しの沈黙があった。


「滅多なことは言わない方がいい。私も、優秀な人材を失いたくはない」


声は柔らかかった。


だが、その言葉に含まれているものは柔らかくなかった。


「計画は現状維持だ。申し訳ないが、これで話は終わりだ」


「くっ……わかりました。失礼します」


久我が去った会議室から、別の男の声がした。


「よろしいのですか」


「問題ない。彼は科学の理想を裏切れない」


少しだけ間があった。


「私達が、国の理想を捨てきれないようにね」


「それよりも、例の計画を進めておきなさい」


「承知いたしました。失礼します」


誰もいなくなった会議室に、静かな独り言が響いた。


「久我博士。我々はもう、止まれないのだよ」


先生がいらっしゃる。


籠目は、初めて自分のために3Dプリンターを起動した。


自分でデザインして作ったものは、椿の花をあしらった小さな櫛だった。


「淑女可愛いです」


白と赤の椿は、まるで籠目と椿を表しているようだった。


二つの花の間には、枝があった。


ありがちな椿のデザインだった。


けれど、その枝は、二つの花を切り裂くようにも見えた。


籠目は、大切そうに胸に櫛を当てる。


「先生が来たら、見ていただきましょう」


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