81話 「筋目」
夢だった場所が、
少しずつ現実になっていく。
でも、
人生は店を作って終わりじゃない。
大事な人と、
どう生きていくか。
その答えを、
蒼は静かに考え始めていた。
午前十一時過ぎ。
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「行ってきまーす」
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玄関でスニーカーを履きながら、
澪が言った。
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今日は久しぶりに、
前の職場へ顔を出すらしい。
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プレオープン以降、
店長やしほから何度も連絡が来ていた。
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“オープン前に顔見せなよ”
“澪不足なんだけど”
“ちゃんと生きてる?”
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そんな他愛ないメッセージ。
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蒼はソファに座ったまま、
コーヒーを飲んでいた。
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「店長泣くんじゃね?」
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「泣かないでしょ笑」
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「いやあの人すぐ泣くじゃん」
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「確かに」
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澪が笑う。
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その笑い方を見て、
蒼は少しだけ思う。
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昔より、
自然に笑うようになったなって。
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離婚した直後の澪は、
もっと無理していた。
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明るくして。
平気そうにして。
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でも、
ふとした瞬間だけ、
全部終わったみたいな顔をしていた。
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それは多分、
自分も同じだった。
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だから最初から、
少し分かってしまった。
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この人も、
ちゃんと傷付いて来た人なんだって。
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「ちゃんとご飯食べなよ?」
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澪が言う。
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「分かってる」
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「怪しいなぁ」
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「子供じゃねぇんだから」
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「はいはい」
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澪は笑いながら扉を開けた。
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でも、
出る直前に振り返る。
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「……蒼」
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「ん?」
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「なんかあったら電話してね」
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澪はそう言って笑った。
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扉が閉まる。
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部屋が静かになる。
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その静けさに、
蒼は少しだけ息を吐いた。
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昼過ぎ。
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REHARBOR。
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プレオープンを終えた店は、
少しだけ空気が変わっていた。
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まだ完璧じゃない。
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でも、
ちゃんと“始まる場所”の空気になっている。
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蒼はカウンター席へ座り、
ぼんやり店内を見る。
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木の匂い。
コーヒー豆。
少し潮の混じる風。
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静かな店だった。
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夢だった。
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本当に。
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でも、
数年前の自分に、
こんな未来を話しても絶対信じないと思う。
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離婚した頃。
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蒼は、
人生が終わったと思っていた。
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蓮と会えなくなって。
家へ帰っても静かで。
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何食べても味しなくて。
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海だけだった。
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海に入ってる時だけ、
少し頭が空っぽになった。
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だから毎日のように海へ行った。
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前を向きたいとかじゃない。
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ただ、
何も考えたくなかった。
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そんな時。
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海で澪と再会した。
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そこから、
全部変わった。
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海へ行って。
飯食って。
くだらない話して。
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気付けば、
一緒に居る時間が増えていた。
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この先も、
澪と居たい。
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家族になりたい。
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その時。
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扉が開いた。
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「こんにちはー」
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澪の父親だった。
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「あ、お疲れ様です」
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父親は、
封筒を軽く持ち上げる。
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「外観工事の請求書、持って来たんだ」
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「あぁ、すいませんわざわざ」
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「いやいや」
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父親は店内を見回す。
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昼間のREHARBORは、
どこか穏やかだった。
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「やっぱりいい店だなぁ」
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「ありがとうございます」
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「コーヒー、貰っていい?」
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「もちろんです」
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蒼はカウンターへ入る。
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豆を挽く音。
お湯を注ぐ音。
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静かな時間だった。
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父親は、
コーヒーを一口飲む。
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「美味いな」
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「澪作った方が上手いですよ」
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「はは」
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少し沈黙。
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蒼は、
カップを見ながら口を開いた。
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「……俺、一度結婚で失敗してるんです」
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店の中は静かだった。
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昼過ぎの光が、
窓からゆっくり差し込んでいる。
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父親は、
何も挟まず蒼の言葉を待っていた。
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「子供も居るし」
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「正直、今でも後悔する事あります」
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「もっと出来たんじゃないかとか」
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「父親として、ダメだったんじゃないかとか」
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少し笑う。
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でも、
その笑い方は寂しかった。
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「……未だに考えますね」
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父親は、
静かにコーヒーを置いた。
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「そりゃ考えるよ」
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「親だから」
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その言葉が、
蒼の胸に静かに落ちる。
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蒼は、
少し視線を落とした。
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「でも、もう会えてないんです」
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「だから余計に、父親って言えるのかなって思う時もあります」
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父親は、
すぐには答えなかった。
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海の方を見る。
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その横顔は、
どこか穏やかだった。
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「俺さ」
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「澪が離婚した時、正直かなり心配してたんだ」
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蒼は顔を上げる。
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「表面上は普通だったけど」
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「なんか、ずっと気張ってる感じでさ」
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「家でも、気使って笑ってたんだよ」
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父親は少し笑った。
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「親ってさ、そういうの分かるんだよな」
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蒼は、
静かに聞いていた。
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「でも、蒼君と居るようになってからかな」
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「澪、ちゃんと疲れるようになったんだよ」
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「……え?」
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「前は、無理して無理して、倒れないようにしてた感じだった」
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「でも今は、疲れたら疲れたって言うし」
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「機嫌悪い日もあるし」
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「実家に帰って来たらソファ占領して寝たりするし」
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父親が笑う。
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蒼も少し笑った。
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「……しますね」
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「だろ?」
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「でも、それって安心してるって事なんだと思う」
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「ちゃんと、素で居られる相手が出来たっていうか」
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蒼は、
何も言えなかった。
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父親は続ける。
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「だからね、話を戻すけど」
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「さっき言ってた過去が、今の蒼君を形成してるんだろうね」
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「離婚した事も」
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「子供が居る事も」
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「苦しかった時間も」
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「全部含めて、今の蒼君なんだと思う」
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蒼は、
静かに下を向く。
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父親は、
コーヒーを一口飲んでから続けた。
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「そして、今の蒼君じゃなきゃ」
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「今の澪を、形成する事は出来なかったんじゃないかな」
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「……」
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「二人とも、一回人生で転んでるからさ」
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「だから、今ちゃんと人の痛み分かるんだと思う」
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「若い頃みたいな、好きだけじゃ一緒に居られない事も知ってるし」
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「でも逆に、それでも一緒に居たいって思える相手なんだろ?」
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蒼は、
ゆっくり頷いた。
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「……はい」
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「澪が居ないと、多分俺」
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「またどっかで、人生諦めてたと思います」
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父親は、
静かに笑った。
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「うん」
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「じゃあもう、答え出てるじゃない」
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店の中に、
穏やかな空気が流れる。
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蒼は、
少し迷ってから言った。
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「……俺、ちゃんと幸せに出来るか分かんないですけど」
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「でも、澪と居たいです」
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「この先も」
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父親は、
その言葉をゆっくり聞いていた。
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そして。
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「うん」
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「娘を…よろしくね」
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たったそれだけだった。
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でも、
その言葉が妙に胸へ残った。
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父親は、
ふと封筒へ目を落とす。
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そして、
請求書を閉じた。
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「……んじゃ、これは俺からのお祝いね」
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「え?」
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「いや、
でも——」
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「いいんだよ」
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父親は少し笑う。
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「こういう時くらい、父親っぽい事させて」
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その瞬間。
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蒼は、
少しだけ言葉に詰まった。
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実の父親じゃない。
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でも今、
確かに家族になろうとしてる気がした。
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父親は立ち上がる。
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帰る前に、
店をゆっくり見回した。
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「いい店だね」
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「……ありがとうございます」
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「澪、昔から頑張りすぎるから」
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「たまに休ませてあげて」
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蒼は少し笑った。
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「はい」
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扉が閉まる。
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店の中に、
また静けさが戻った。
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でも、
もうその静けさは寂しくなかった。
父親になるって、
多分ずっと途中なんだと思う。
正解も無いし、
後悔もし続ける。
それでも、
誰かを大事にしたいと思う事だけは、
やめなくていいのかもしれない。




