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波待ち。  作者: 阿部兄弟
最終章 REHARBOR

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81/84

81話 「筋目」

夢だった場所が、

少しずつ現実になっていく。


でも、

人生は店を作って終わりじゃない。


大事な人と、

どう生きていくか。


その答えを、

蒼は静かに考え始めていた。


午前十一時過ぎ。


⸻


⸻


「行ってきまーす」


⸻


⸻


玄関でスニーカーを履きながら、

澪が言った。


⸻


⸻


今日は久しぶりに、

前の職場へ顔を出すらしい。


⸻


⸻


プレオープン以降、

店長やしほから何度も連絡が来ていた。


⸻


⸻


“オープン前に顔見せなよ”


“澪不足なんだけど”


“ちゃんと生きてる?”


⸻


⸻


そんな他愛ないメッセージ。


⸻


⸻


蒼はソファに座ったまま、

コーヒーを飲んでいた。


⸻


⸻


「店長泣くんじゃね?」


⸻


⸻


「泣かないでしょ笑」


⸻


⸻


「いやあの人すぐ泣くじゃん」


⸻


⸻


「確かに」


⸻


⸻


澪が笑う。


⸻


⸻


その笑い方を見て、

蒼は少しだけ思う。


⸻


⸻


昔より、

自然に笑うようになったなって。


⸻


⸻


離婚した直後の澪は、

もっと無理していた。


⸻


⸻


明るくして。


平気そうにして。


⸻


⸻


でも、

ふとした瞬間だけ、

全部終わったみたいな顔をしていた。


⸻


⸻


それは多分、

自分も同じだった。


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だから最初から、

少し分かってしまった。


⸻


⸻


この人も、

ちゃんと傷付いて来た人なんだって。


⸻


⸻


「ちゃんとご飯食べなよ?」


⸻


⸻


澪が言う。


⸻


⸻


「分かってる」


⸻


⸻


「怪しいなぁ」


⸻


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「子供じゃねぇんだから」


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⸻


「はいはい」


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⸻


澪は笑いながら扉を開けた。


⸻


⸻


でも、

出る直前に振り返る。


⸻


⸻


「……蒼」


⸻


⸻


「ん?」


⸻


⸻


「なんかあったら電話してね」


⸻


⸻


澪はそう言って笑った。


⸻


⸻


扉が閉まる。


⸻


⸻


部屋が静かになる。


⸻


⸻


その静けさに、

蒼は少しだけ息を吐いた。


⸻


⸻


昼過ぎ。


⸻


⸻


REHARBOR。


⸻


⸻


プレオープンを終えた店は、

少しだけ空気が変わっていた。


⸻


⸻


まだ完璧じゃない。


⸻


⸻


でも、

ちゃんと“始まる場所”の空気になっている。


⸻


⸻


蒼はカウンター席へ座り、

ぼんやり店内を見る。


⸻


⸻


木の匂い。


コーヒー豆。


少し潮の混じる風。


⸻


⸻


静かな店だった。


⸻


⸻


夢だった。


⸻


⸻


本当に。


⸻


⸻


でも、

数年前の自分に、

こんな未来を話しても絶対信じないと思う。


⸻


⸻


離婚した頃。


⸻


⸻


蒼は、

人生が終わったと思っていた。


⸻


⸻


蓮と会えなくなって。


家へ帰っても静かで。


⸻


⸻


何食べても味しなくて。


⸻


⸻


海だけだった。


⸻


⸻


海に入ってる時だけ、

少し頭が空っぽになった。


⸻


⸻


だから毎日のように海へ行った。


⸻


⸻


前を向きたいとかじゃない。


⸻


⸻


ただ、

何も考えたくなかった。


⸻


⸻


そんな時。


⸻


⸻


海で澪と再会した。


⸻


⸻


そこから、

全部変わった。


⸻


⸻


海へ行って。


飯食って。


くだらない話して。


⸻


⸻


気付けば、

一緒に居る時間が増えていた。


⸻


⸻


この先も、

澪と居たい。


⸻


⸻


家族になりたい。


⸻


⸻


その時。


⸻


⸻


扉が開いた。


⸻


⸻


「こんにちはー」


⸻


⸻


澪の父親だった。


⸻


⸻


「あ、お疲れ様です」


⸻


⸻


父親は、

封筒を軽く持ち上げる。


⸻


⸻


「外観工事の請求書、持って来たんだ」


⸻


⸻


「あぁ、すいませんわざわざ」


⸻


⸻


「いやいや」


⸻


⸻


父親は店内を見回す。


⸻


⸻


昼間のREHARBORは、

どこか穏やかだった。


⸻


⸻


「やっぱりいい店だなぁ」


⸻


⸻


「ありがとうございます」


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「コーヒー、貰っていい?」


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「もちろんです」


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⸻


蒼はカウンターへ入る。


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⸻


豆を挽く音。


お湯を注ぐ音。


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⸻


静かな時間だった。


⸻


⸻


父親は、

コーヒーを一口飲む。


⸻


⸻


「美味いな」


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「澪作った方が上手いですよ」


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「はは」


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⸻


少し沈黙。


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⸻


蒼は、

カップを見ながら口を開いた。


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⸻


「……俺、一度結婚で失敗してるんです」


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⸻


店の中は静かだった。


⸻


⸻


昼過ぎの光が、

窓からゆっくり差し込んでいる。


⸻


⸻


父親は、

何も挟まず蒼の言葉を待っていた。


⸻


⸻


「子供も居るし」


⸻


⸻


「正直、今でも後悔する事あります」


⸻


⸻


「もっと出来たんじゃないかとか」


⸻


⸻


「父親として、ダメだったんじゃないかとか」


⸻


⸻


少し笑う。


⸻


⸻


でも、

その笑い方は寂しかった。


⸻


⸻


「……未だに考えますね」


⸻


⸻


父親は、

静かにコーヒーを置いた。


⸻


⸻


「そりゃ考えるよ」


⸻


⸻


「親だから」


⸻


⸻


その言葉が、

蒼の胸に静かに落ちる。


⸻


⸻


蒼は、

少し視線を落とした。


⸻


⸻


「でも、もう会えてないんです」


⸻


⸻


「だから余計に、父親って言えるのかなって思う時もあります」


⸻


⸻


父親は、

すぐには答えなかった。


⸻


⸻


海の方を見る。


⸻


⸻


その横顔は、

どこか穏やかだった。


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⸻


「俺さ」


⸻


⸻


「澪が離婚した時、正直かなり心配してたんだ」


⸻


⸻


蒼は顔を上げる。


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⸻


「表面上は普通だったけど」


⸻


⸻


「なんか、ずっと気張ってる感じでさ」


⸻


⸻


「家でも、気使って笑ってたんだよ」


⸻


⸻


父親は少し笑った。


⸻


⸻


「親ってさ、そういうの分かるんだよな」


⸻


⸻


蒼は、

静かに聞いていた。


⸻


⸻


「でも、蒼君と居るようになってからかな」


⸻


⸻


「澪、ちゃんと疲れるようになったんだよ」


⸻


⸻


「……え?」


⸻


⸻


「前は、無理して無理して、倒れないようにしてた感じだった」


⸻


⸻


「でも今は、疲れたら疲れたって言うし」


⸻


⸻


「機嫌悪い日もあるし」


⸻


⸻


「実家に帰って来たらソファ占領して寝たりするし」


⸻


⸻


父親が笑う。


⸻


⸻


蒼も少し笑った。


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⸻


「……しますね」


⸻


⸻


「だろ?」


⸻


⸻


「でも、それって安心してるって事なんだと思う」


⸻


⸻


「ちゃんと、素で居られる相手が出来たっていうか」


⸻


⸻


蒼は、

何も言えなかった。


⸻


⸻


父親は続ける。


⸻


⸻


「だからね、話を戻すけど」


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⸻


「さっき言ってた過去が、今の蒼君を形成してるんだろうね」


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⸻


「離婚した事も」


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⸻


「子供が居る事も」


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⸻


「苦しかった時間も」


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⸻


「全部含めて、今の蒼君なんだと思う」


⸻


⸻


蒼は、

静かに下を向く。


⸻


⸻


父親は、

コーヒーを一口飲んでから続けた。


⸻


⸻


「そして、今の蒼君じゃなきゃ」


⸻


⸻


「今の澪を、形成する事は出来なかったんじゃないかな」


⸻


⸻


「……」


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⸻


「二人とも、一回人生で転んでるからさ」


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⸻


「だから、今ちゃんと人の痛み分かるんだと思う」


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⸻


「若い頃みたいな、好きだけじゃ一緒に居られない事も知ってるし」


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⸻


「でも逆に、それでも一緒に居たいって思える相手なんだろ?」


⸻


⸻


蒼は、

ゆっくり頷いた。


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⸻


「……はい」


⸻


⸻


「澪が居ないと、多分俺」


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⸻


「またどっかで、人生諦めてたと思います」


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⸻


父親は、

静かに笑った。


⸻


⸻


「うん」


⸻


⸻


「じゃあもう、答え出てるじゃない」


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⸻


店の中に、

穏やかな空気が流れる。


⸻


⸻


蒼は、

少し迷ってから言った。


⸻


⸻


「……俺、ちゃんと幸せに出来るか分かんないですけど」


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「でも、澪と居たいです」


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⸻


「この先も」


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⸻


父親は、

その言葉をゆっくり聞いていた。


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⸻


そして。


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「うん」


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「娘を…よろしくね」


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たったそれだけだった。


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でも、

その言葉が妙に胸へ残った。


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⸻


父親は、

ふと封筒へ目を落とす。


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そして、

請求書を閉じた。


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⸻


「……んじゃ、これは俺からのお祝いね」


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「え?」


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「いや、

 でも——」


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「いいんだよ」


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父親は少し笑う。


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「こういう時くらい、父親っぽい事させて」


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その瞬間。


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蒼は、

少しだけ言葉に詰まった。


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⸻


実の父親じゃない。


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⸻


でも今、

確かに家族になろうとしてる気がした。


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⸻


父親は立ち上がる。


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帰る前に、

店をゆっくり見回した。


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「いい店だね」


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「……ありがとうございます」


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「澪、昔から頑張りすぎるから」


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「たまに休ませてあげて」


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⸻


蒼は少し笑った。


⸻


⸻


「はい」


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⸻


扉が閉まる。


⸻


⸻


店の中に、

また静けさが戻った。


⸻


⸻


でも、

もうその静けさは寂しくなかった。

父親になるって、

多分ずっと途中なんだと思う。


正解も無いし、

後悔もし続ける。


それでも、

誰かを大事にしたいと思う事だけは、

やめなくていいのかもしれない。

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