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波待ち。  作者: 阿部兄弟
最終章 REHARBOR

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78/84

78話 「春灯」

プレオープン当日。


空っぽだった場所に、

少しずつ人の声と笑い声が増えていく。


四月。




プレオープン当日の朝。




窓の外は、

薄く曇っていた。




春の終わり。


海沿い特有の、

少し湿った空気が部屋に入ってくる。




蒼はゆっくり目を開けた。




カーテンの隙間から入る光が、

白い天井にぼんやり広がっている。




隣を見る。




澪はもう起きていた。




キッチンから、

パンを焼く匂いがする。


コーヒーの香りも混ざっていた。




蒼は身体を起こす。




少しだけ、

胸が落ち着かない。




緊張。




でも、

嫌なものじゃなかった。




工場を辞めて。


店を作り始めて。


気付けば毎日、

何かに追われるように動いていた。




だから逆に、

今日みたいに“始まる日”が来ると、

少し実感が薄い。




本当にここまで来たのか。




そんな感覚だった。




リビングへ行く。




澪がキッチンに立っていた。




後ろ姿。


薄いグレーのパーカー。


髪を適当にまとめている。




その姿を見ていると、

蒼は少し安心した。




「おはよ」




澪が振り返る。




「おはよ」




「寝れた?」




「まぁまぁ」




「絶対嘘じゃん」




澪が笑う。




蒼も苦笑した。




テーブルには、

トーストとサラダ。


簡単な朝飯。




でも、

こういう普通の時間が好きだった。




向かい合って座る。




窓の外では、

風で電線が少し揺れている。




澪がコーヒーを飲みながら言った。




「……今日だね」




蒼も頷く。




「だな」




少し静かな時間。




トースターの音だけが響く。




「なんかさ」




「まだ実感ない」




「俺も」




澪が笑う。




「蒼側のみんな来れるって?」




「うん」




「工場長も来るし、すだけい達も昼前には来るって」




「そっかぁ……」




澪が少しだけ息を吐いた。




「緊張してきた」




「今更?」




「今更だよ!」




二人で笑う。




でも笑ったあと。




自然と静かになった。




ここから先。




もう、

夢の準備じゃない。




現実になる。




昼前。




REHARBOR。




シャッターを開けた瞬間、

海風が店の中へ流れ込んだ。




木の匂い。


新しい床。


ワックスの艶。




大きな窓から、

春の海が見える。




空っぽだったテナントは、

ちゃんと店になっていた。




蒼は店内を見回す。




信じられないな、

と少し思う。




工場で鉄を削っていた毎日。


離婚して、

人生が止まったみたいだった日々。




その全部の先に、

今この景色がある。




澪はカウンターの中で、

カップを並べ直していた。




蒼が笑う。




「それさっきから三回目」




「うるさい」




「緊張してんのバレバレ」




「蒼もしてるでしょ」




「まぁな」




その時。




扉のベルが鳴った。




「おー……」




工場長だった。




店へ入るなり、

ゆっくり中を見回す。




窓。


照明。


木のカウンター。




そして。




少し目を細めた。




「すごいなここ」




「本当にすごいわ」




蒼は少し照れ臭そうに頭を掻く。




「ありがとうございます」




工場長は、

そんな蒼を見ながら頷いた。




「よくやったな蒼」




その声は、

どこか父親みたいだった。




工場長は、

蒼の父親の後輩だった。




蒼が子供の頃から知っている人。




父親が亡くなったあとも、

ずっと気にかけてくれていた。




工場長が、

少しだけ目を潤ませながら笑う。




「萩原君も喜んでるな」




蒼は、

少しだけ目を伏せた。




父親の顔を思い出す。




不器用で。


口下手で。


でも海が好きだった人。




もし今ここに居たら、

なんて言っただろう。




そんな事を思った。




工場長が、

空気を変えるように笑う。




「んで、あんたが噂の澪ちゃんか!」




「美人だなぁ!」




「蒼にはもったいねぇ!」




「え!なんで噂!?」




澪が驚いて蒼を見る。




蒼が苦笑した。




「いやほら、写真見せろって前みんなに言われて」




「あーー……」




澪が笑う。




「そんなそんな」




「蒼がお世話になってます」




軽く頭を下げる。




工場長が嬉しそうに笑った。




「良い子だなぁ」




「蒼、泣かせんなよ?」




「澪ちゃん逃したら、お前もうあと終わりだからなぁ?」




蒼が苦笑する。




「またオヤジみたいな事言って」




みんなで笑った。




その時。




また扉が開く。




「澪〜!来たよーー!」




店長だった。




その後ろから、

しほも入ってくる。




「あ!店長!」




「ありがとうございます!」




「しほまで来てくれたの!?」




「シフト合わせるの大変だったでしょ?ありがとね〜」




しほは店の中を見回しながら、

目を輝かせていた。




「やば……めっちゃおしゃれ……」




店長も静かに店を見る。




窓際の席。


木のカウンター。


海の見える景色。




そして、

ぽつりと言った。




「澪」




「なんですか?」




「私、この場所好き」




「私も雇って」




澪が吹き出す。




「店長何言ってるんですか〜」




その横で、

しほが小声で澪に言う。




「澪?」




「あの人蒼君?」




「前、遠目で一回見た事あるけど」




「なんか澪好きそうって分かる〜」




「なにそれ笑」




しほが蒼の前へ行く。




「初めまして!」




「澪の同僚兼親友のしほです!」




蒼も少し笑って頭を下げた。




「初めまして」




「澪の彼氏の、萩原蒼です」




「あー彼氏さんね〜!」




そこへ店長も入ってくる。




「どうも〜」




「澪がいつもお世話になってます」




「どうもこちらこそ」




店長は、

並んでいる二人を見た。




そして少し笑う。




——噂通りの二人だな。




そんな事を思いながら。




しばらくして。




店長としほは、

窓際の席で写真を撮り始めていた。




「ねぇ澪!ここ立って!」




「えぇもういいですって〜」




「いいからいいから!」




しほがスマホを構える。




その横で、

工場長がコーヒーを飲みながら笑っていた。




「賑やかだなぁ」




蒼も少し笑う。




「ですね」




工場長は、

店の奥を眺めながらぽつりと言った。




「でもいい空気だ」




「こういう店は人の心に残るぞ」




蒼は少し黙って、

店内を見る。




笑い声。


コーヒーの匂い。


窓から見える海。




まだプレオープンなのに、

もうちゃんと“場所”になっていた。




その後。




店長達は夕方前に帰る事になった。




「今日は呼んでくれてありがとね」




「オープンしたら普通に来るから」




「しほ絶対常連になります!」




「いやしほ長居しそうだなぁ」




「する!」




みんな笑う。




店長は最後、

澪を軽く抱きしめた。




「頑張りな」




「はい」




「無理しすぎない事」




「……はい」




扉が閉まる。




少し静かになった店内。




そのタイミングで、

またベルが鳴った。




「お、まだ間に合った?」




すだけいだった。




その後ろには、

スーツ姿の社長。


そして内装業者の担当者。




「どうも!」




「今日はありがとうございます」




澪が頭を下げる。




すだけいは店へ入るなり、

ぐるっと店内を見回した。




「うわ〜……」




「いいなここ!」




「休みの日ここに居座るわ!」




蒼が即座に返す。




「迷惑だからやめろ」




「冷てぇなぁ!」




笑いが起きる。




でもすだけいは、

もう一度店を見回してから静かに言った。




「いやでもいいよ」




「蒼、夢叶えたんだな」




蒼は少し照れ臭そうに笑う。




「まぁ……まだ始まってもないけどな」




「いや、もう始まってるだろ」




すだけいの言葉に、

蒼は少し黙った。




海。


店。


澪。




全部、

少し前までは無かった未来だった。




「いっちゃんもすげーよ?」




澪が笑う。




「ありがとうね」




蒼は、

すだけいを見る。




「お前のおかげでもある」




「お前が社長に口聞いてくれなかったら、この場所すら無かったんだから」




すだけいは少し笑った。




「まぁそこは感謝しろ」




「調子乗んな」




社長が豪快に笑う。




「やっぱ格安で提供して正解だったな!」




「若いってだけで無敵なんだよ!」




「これからも突っ走ってくれ!」




蒼と澪が、

少し笑いながら頭を下げる。




「ありがとうございます」




「二店舗目もいったれ!」




「いやいや社長、早いですって!」




すだけいがすぐ突っ込む。




「まずここからですから!」




また笑いが起きた。




その横で。




内装業者の担当者は、

静かに店を見ていた。




「やっぱこの窓良いですね」




海の見える大きな窓。




午後の光が、

床へ柔らかく伸びている。




「最初、“海を見せたいんです”ってかなり言ってましたもんね」




蒼は少し笑った。




「まぁそこは譲れなかったんで」




担当者は頷く。




「でも良い店になりますよここ」




「なんか、ちゃんと人が帰って来る場所になりそうです」




その言葉に。




澪が、

静かに看板を見る。




REHARBOR。




再び、

帰って来れる場所。




それはきっと、

客だけの話じゃない。




自分達自身も、

帰って来る為の場所なんだと思った。




窓の外では、

夕方前の海が静かに光っていた。

店って、

物を置いただけじゃ店にならないんだなって思った。


人が来て、

笑って、

また来るねって言ってくれて。


そうやって、

少しずつ居場所になっていくんだろうな。

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