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波待ち。  作者: 阿部兄弟
最終章 REHARBOR

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75/84

75話 「帰港」

人はきっと、

帰る場所があるから前へ進める。



朝の海は静かだった。




波も小さい。




風も、

今日はそこまで強くない。




店の前に停めた車から降りる。




蒼は缶コーヒーを二本持っていた。




「はい」




「ありがと」




澪が受け取る。




二人で店を見上げた。




入口の上。




昨日取り付けた看板が、

朝日に照らされている。




まだ少しだけ、

ペンキの匂いが残っていた。




でも。




そこに名前があるだけで、

もう“ただの空きテナント”には見えなかった。




澪が小さく笑う。




「なんかさ」




「急に本物っぽくなったね」




蒼も看板を見る。




「やっぱり、名前付くと違うよな」




少し照れくさい。




でも、

嬉しかった。




自分達で描いた文字。




線も少し曲がってるし、

近くで見れば不格好な所もある。




けれど、

それが妙に自分達らしかった。




その時。




「おはよう」




振り向く。




澪の父親だった。




手にはコンビニの袋。




「差し入れ」




「ありがとうございます」




父親は軽く手を上げる。




それから、

ゆっくり店を見上げた。




入口の上。




新しい看板。




父親は少し黙る。




朝の光の中、

目を細めた。




「……いいじゃないか」




澪が嬉しそうに笑う。




「でしょ?」




父親は看板を見たまま聞いた。




「REHARBOR……か」




「これはどういう意味なんだ?」




蒼は少し頭を掻いた。




改めて説明するのは、

少し気恥ずかしい。




「造語なんですけど」




「“再び”って意味の“RE”と、

 “港”って意味の“HARBOR”を合わせてて」




父親は静かに聞いている。




蒼はもう一度、

看板を見る。




それから、

ゆっくり言葉を続けた。




「人生って、上手くいかない事あるじゃないですか」




「遠回りしたり」




「居場所無くしたり」




「一回全部駄目になった気がしたり」




澪は黙って蒼を見る。




蒼の横顔は、

少しだけ遠くを見ていた。




「でも」




「また帰って来れる場所があれば、

 もう一回前向けるのかなって」




「そういう場所にしたくて」




静かな朝だった。




波の音だけが聞こえる。




父親は、

看板を見る。




二人を見る。




そしてもう一度、

看板へ視線を戻した。




少し笑う。




誇らしそうに。




「……うん」




「すごく良い名前だな」




その言葉を聞いて、

澪が少しだけ笑った。




嬉しかった。




自分が好きになった人。




その人が作ろうとしている場所。




その想いを、

父親がちゃんと理解してくれている。




それが、

嬉しかった。




父親は店の中へ入っていく。




「お、かなり変わったな」




店内には、

少しずつ家具も入っていた。




木のテーブル。


カウンター。


照明。




まだ完成じゃない。




でも、

ちゃんと“店”になり始めている。




「ここ絶対落ち着く店になるよ」




澪が言う。




父親も頷いた。




「店って結局、人が作るからな」




「オシャレなだけじゃ、長くは残らない」




「ここは多分、ちゃんと人が残る店になるよ」




蒼は少し黙った。




最近、

本当に思う。




自分は、

人に恵まれている。




父親が死んだ時。


離婚した時。




あの頃は、

もう何も無いと思っていた。




でも。




人生って、

本当に分からない。




また誰かと笑える日が来るなんて、

思っていなかった。




昼過ぎ。




父親は仕事へ戻っていった。




店の中には、

蒼と澪だけが残る。




静かだった。




まだ営業前だから、

音楽も流れていない。




けれど、

不思議と落ち着く。




「コーヒー飲む?」




澪がエプロンを付けながら言った。




「まだ練習中だけど」




蒼は少し笑う。




「店主っぽいな」




「何それ」




澪が笑いながら豆を挽く。




ガリガリという音が、

静かな店内に響いた。




その音を聞きながら、

蒼はカウンターへ座る。




少し前まで、

人生を諦めかけていた自分が。




今は、

好きな人が淹れるコーヒーを、

自分達の店で待っている。




人生って、

本当に分からない。




澪が、

丁寧にお湯を注ぐ。




店の中に、

少しずつコーヒーの香りが広がっていく。




「はい」




カップが置かれる。




蒼は一口飲んだ。




少し熱い。




でも。




「……うまい」




澪が少し前のめりになる。




「本当?」




「うん」




蒼はもう一口飲む。




それから静かに言った。




「なんか安心する味」




澪は少し照れくさそうに笑った。




窓の外では、

海が静かに揺れている。




まだ誰も知らない店。




でも。




ここにはもう、

帰って来れる場所があった。

“REHARBOR”


その名前には、

二人のこれまでと、

これからが詰まっている。

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