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波待ち。  作者: 阿部兄弟
最終章 REHARBOR

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74/84

74話 「屋号」

名前を付けるという事は、

そこに想いを置いていく事なのかもしれない。


三月中旬。




朝の海沿いは、

まだ少し冬を引きずっていた。




潮風が冷たい。




けれど、

空だけは少し春っぽい。




薄い青。




柔らかい日差し。




「うわ、今日風強ぇな」




蒼が車を降りながら言う。




隣で澪が髪を押さえた。




「海沿いだから仕方ないでしょ」




「看板飛ばされないかな」




「縁起悪い事言うな」




二人で笑う。




店の前には、

澪の父親が先に来ていた。




外壁を見上げながら、

何かを考えている。




「おはようございます」




蒼が頭を下げる。




「あぁ、おはよう」




父親は笑って振り返った。




「かなり形になってきたな」




店を見る。




数週間前まで、

ただの空きテナントだった場所。




今はもう違う。




白っぽい外壁。


木の窓枠。


海沿いの景色に馴染む色。




派手じゃない。




でも、

ちゃんと目を引く。




そんな店になり始めていた。




「この色良いですね」




蒼が外壁を見ながら言う。




「だろ?」




「新品っぽすぎると、逆に入りづらいんだよ」




「ちょっと使い込まれた感じがある方が、人って安心するからな」




蒼は頷いた。




最初は、

正直よく分からなかった。




店のデザイン。


色。


空気感。




でも最近、

少しだけ理解出来る。




店って、

ただオシャレなら良い訳じゃない。




そこに、

人の温度が必要なんだ。




「看板はやっぱ大きめにここかな」




父親が入口の上を指差す。




「海側からも見えるし、道路からもちゃんと視界入る」




「うん、良いかも」




澪が店を見上げる。




まだ名前のない店。




でも今日、

そこに名前が付く。




「なんか不思議だね」




澪が小さく呟く。




「夢だったのに、普通に現実になってる」




蒼は少し笑った。




「まだ完成してねぇけどな」




「でもここまで来たじゃん」




その言葉に、

蒼は少しだけ黙った。




本当に、

色んな人に助けられた。




自分一人じゃ、

多分ここまで来れていない。




その時。




「おーい」




軽トラが店の前に停まる。




すだけいだった。




窓から腕を出しながら笑っている。




「ほらよ」




車のキーを投げる。




蒼が受け取った。




「ありがと」




「ぶつけんなよー」




「分かってるって」




「お前昔俺の車バック駐車で電柱擦っただろ」




「……あれは若かった」




「今もそんな変わんねぇだろ」




澪が笑う。




すだけいは煙草を咥えながら、

店を見上げた。




「しかし本当にやるんだな」




「昔海で語った時は、半分冗談みたいだったのによ」




蒼も店を見る。




「あの時は俺もこんな早くやると思ってなかった」




「色んなタイミング重なったし」




「周りにも恵まれた」




すだけいは少し笑った。




「まぁお前、昔から人には恵まれてるよな」




「その代わり不器用だけど」




「余計だ」




ホームセンター。




頼んでいた巨大な木板を、

蒼と澪で運ぶ。




「重っ!」




「そっちちゃんと持てって!」




「持ってるし!」




板。


刷毛。


ペンキ。


軍手。




必要な物をカートに入れていく。




澪がペンキ缶を持ちながら言う。




「さ」




「ちょっと緊張してきた」




「何が?」




「名前描くの」




蒼も少し笑った。




「まぁな」




店の名前。




それは、

ただの文字じゃない。




きっと、

これからの人生そのものだった。




夕方。




店の前。




ブルーシートを敷く。




その上に、

真っ白な木板を置いた。




海風が吹く。




「寒っ」




澪が肩をすくめる。




蒼は缶コーヒーを渡した。




「ありがと」




二人でしゃがみ込む。




何も書かれていない板。




少し前の自分達みたいだった。




「描くか」




蒼が筆を持つ。




少し止まる。




それから、

ゆっくり筆を走らせた。




白い板に、

文字が乗っていく。




澪はその文字を見て、

静かに笑った。




「やっぱ良い名前」




「そうか?」




「うん」




「なんか、私達っぽい」




途中、

澪も筆を持つ。




「あっ」




「うわ曲がった!」




蒼が吹き出す。




「ははっ」




「味だ味」




「絶対誤魔化してるじゃん」




手にペンキが付く。


服にも付く。




でも。




その不格好さが、

妙に嬉しかった。




既製品じゃない。




ちゃんと、

自分達で作っている。




日が落ち始める。




空がオレンジ色になる。




「よし」




蒼が脚立を立てる。




「持つぞ」




「うん」




二人で看板を持ち上げる。




思ったより重い。




風も強い。




「右!右ちょっと上!」




「お前そっち持てって!」




「持ってる!」




笑いながら固定していく。




最後にネジを締める。




蒼が脚立を降りた。




二人で店を見上げる。




入口の上。




そこには、

新しい看板が掛かっていた。




潮風の中、

静かに揺れている。




まだ誰も知らない店。




でも。




そこには確かに、

二人の人生があった。

夢に名前が付き、少しずつ二人の人生が形になっていく。

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