71話 「礎石」
今まで生きてきた時間は、
ちゃんと未来の土台になっていく。
冬の朝。
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テナントの前には、
工事車両が停まっていた。
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店の扉は開けっぱなしになっている。
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中から工具の音が聞こえた。
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まだ何もない空間。
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剥き出しの床。
白い壁。
脚立。
木材。
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それでも。
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少しずつ、
未来の形にはなってきていた。
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食品衛生責任者の資格も取った。
保健所の許可も通った。
自治体への申請も終わった。
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やる事を一つ終えるたびに、
本当に後戻り出来なくなっていく感じがした。
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「おはようございます」
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澪が店へ入る。
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その後ろから、
父親も入ってきた。
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「おぉ……」
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父親が店内を見回す。
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「始まってんなぁ」
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蒼は少し笑った。
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「まだ全然ですけどね」
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壁際には図面。
床にはサンプル材。
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生活感はまだない。
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でも、
ここに人が集まる未来だけは、
少し見え始めていた。
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父親が窓際へ歩く。
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「ここ、かなり光入るな」
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「はい」
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蒼も窓の方を見る。
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冬の海が遠くに見えた。
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「海帰りの人だけじゃなくて」
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蒼がゆっくり言う。
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「街の人も普通に入りたくなる場所にしたいんです」
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「なんか、理由なく来れるような」
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「コーヒーだけでもいいし」
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「疲れてボーッとするだけでもいいし」
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「そういう場所にしたくて」
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父親は少し黙る。
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まだ何もない店の中を見る。
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それから、
静かに頷いた。
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「……いいね」
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「そういう店、今減ったからな」
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澪も店の奥を見る。
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頭の中には、
もう景色が見えていた。
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窓際の席。
湯気の立つコーヒー。
静かな音楽。
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笑う人達。
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蒼がカウンターに立っている。
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その景色を想像すると、
少しだけ胸が熱くなった。
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父親がふっと笑う。
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「人が長く残る店になりそうだな」
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その言葉が、
蒼は妙に嬉しかった。
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昼過ぎ。
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工場。
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鉄の焼ける匂い。
火花。
機械音。
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何年もいた場所。
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朝早く来て。
汗かいて。
怒鳴られて。
笑って。
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気付けば、
人生の一部みたいになっていた。
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「蒼」
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先輩が声をかける。
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「今日夜空いてるか?」
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「ん?」
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「一足先にやろうぜ」
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「送別会」
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蒼は少し止まった。
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「いや、まだ一週間いますけど」
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「細けぇんだよ」
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先輩が笑う。
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「どうせ最後バタつくだろ」
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「今日くらい付き合え」
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夜。
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居酒屋。
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暖簾をくぐると、
もうかなり集まっていた。
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「おー来た来た!」
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「主役遅ぇぞ!」
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「仕事終わりなんだから仕方ないでしょ」
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蒼が笑いながら座る。
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ビール。
焼き鳥。
煙草の煙。
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いつもの空気。
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工場長がジョッキを持ち上げる。
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「じゃあ」
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「蒼の新しい門出に」
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「乾杯!」
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「乾杯!!」
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ジョッキの音が重なる。
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最初は、
いつも通り騒がしかった。
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「お前入ったばっかの頃やばかったよな!」
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「生意気も生意気!」
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「喧嘩しょっちゅうだったし!」
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「いやあれはそっちが悪いでしょ」
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蒼が笑いながら返す。
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「人の話全然聞かなかったもんなぁ」
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「今もそんな変わってねぇけどな」
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「確かに」
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店に笑い声が広がる。
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蒼も笑っていた。
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でも。
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その笑い声を聞きながら、
少しだけ寂しさもあった。
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この場所で、
長い時間を過ごしてきた。
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楽しい事ばかりじゃなかった。
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辞めたい日もあった。
逃げたくなった日もあった。
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それでも。
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ここで生きてきた。
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工場長が、
静かにジョッキを置く。
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「蒼」
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「はい」
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「本当に、ここまでよく頑張ったな」
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蒼は少し目を伏せる。
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「萩原君…いや、親父さんも誇らしいと思うぞ」
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胸の奥が少し熱くなる。
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工場長は続けた。
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「これからは、今までより厳しいかもしれねぇ」
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「自分でやるってのは、そういう事だからな」
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「でも」
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工場長は少し笑った。
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「お前なら大丈夫だろ」
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「何かあったら言え」
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「店出来たら行くからな」
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「俺も行きます!」
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「俺も!」
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「コーヒータダにしろよ!」
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また笑いが起きる。
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蒼はその景色を見ながら、
ゆっくり頭を下げた。
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「ありがとうございます」
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「でも」
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「後一週間いるんで、
よろしくお願いします」
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一瞬静かになる。
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それから。
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「おいおい!」
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先輩が吹き出した。
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「そこは言わなくていいだろ!」
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「せっかく別れっぽい空気だったのによぉ!」
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「まだ普通に明日も会うんだぞ!」
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店に笑い声が広がる。
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蒼も笑った。
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その笑い声が、
なんだか少しだけ愛しかった。
別れの前に気付く。
居場所は、いつの間にか出来ている。




