69話 「節目」
失くしたものがあるから、
今度こそ大事にしたい未来がある。
数日後。
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朝の空気はまだ冷たかった。
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車のフロントガラスが少し白く曇っている。
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蒼はコンビニのコーヒーを片手に、
エンジンをかけた。
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助手席には澪。
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そして。
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「……なんでお前いんの?」
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バックミラー越し。
後部座席。
楓。
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「は?」
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楓が即座に返す。
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「いや、こっちの台詞だけど?」
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「呼んでねぇし」
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「澪ちゃんに呼ばれたの。澪ちゃんいなきゃ何も知らなかったし。」
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蒼の視線が助手席へ向く。
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澪は少しだけ肩をすくめた。
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「だって絶対後から楓ちゃん怒るじゃん」
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「怒るじゃんそれは」
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楓はシートに深く座り直す。
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「なんで私には何の報告もないわけ?」
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「いや、まだちゃんと決まったわけじゃ……」
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「焼肉の時から何ヶ月?」
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「……三ヶ月ちょい」
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「早すぎるだろ普通に」
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その言い方がおかしくて、
澪が少し笑う。
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蒼は前を向いたまま言った。
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「色々重なったんだよ」
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「運も良かったし」
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「周りにも助けられた」
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それは本当だった。
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すだけい。
大家。
澪の両親。
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色んな人間に、
少しずつ背中を押されて、
ここまで来た。
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楓は窓の外を見ながら、
小さく言う。
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「へー……」
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「兄貴もちゃんと考えてんだね」
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「当たり前だろ」
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「いや昔だったら、“なんとかなるべ”で終わってたじゃん」
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蒼は少しだけ笑った。
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否定は出来なかった。
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車は山道へ入る。
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冬の木々。
冷たい空。
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昔から変わらない景色。
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墓地へ着く。
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風が強かった。
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蒼は無言で線香を取り出す。
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ライターの火が、
風で何度か揺れた。
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「風強っ」
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楓が髪を押さえながら言う。
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「お父さん絶対笑ってるじゃん」
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澪が少し笑った。
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蒼は線香を置いて、
静かに手を合わせる。
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目を閉じる。
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鉄工場。
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父親の病室。
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高校を辞めた日。
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離婚した日。
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蓮。
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海。
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色んな景色が、
一瞬だけ頭を過ぎっていく。
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(親父)
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(俺、やりたい事やるよ)
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(ちゃんと、一緒にやりたいって思える人も出来た)
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(だから、見ててくれ)
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風が吹く。
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遠くで木が揺れる音。
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その時。
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“楽しめよ”
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そんな声が、
聞こえた気がした。
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蒼はゆっくり目を開ける。
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「……行くか」
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誰に言うでもなく、
そう呟いた。
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帰り道。
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車の中は少し暖かかった。
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楓がスマホを見ながら言う。
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「で?」
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「いつからやんの」
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「まだ先」
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蒼はハンドルを握ったまま答える。
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「資格も取らなきゃだし」
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「まぁ受講日はもう予約したけど」
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「早っ」
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「あと保健所も行くだろ」
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「内装も決めなきゃだし」
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「なんか色々あんだよ」
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楓が少し感心した顔をする。
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「へぇー……」
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「ちゃんとしてるなぁ」
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「だから当たり前だろ」
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澪が横で笑う。
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そのあと数日。
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本当に、
毎日が早かった。
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食品衛生責任者の講習。
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保健所への相談。
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内装業者との打ち合わせ。
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テーブル。
照明。
床材。
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決める事が山ほどある。
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でも不思議と、
嫌ではなかった。
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夜。
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アパート。
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ローテーブルの上には、
資料やメモが散らかっている。
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澪はソファに座りながら、
ぼーっと天井を見ていた。
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「疲れた?」
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蒼がコーヒーを置く。
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「んー……」
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「なんかさ」
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「うん」
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「急すぎてまだ頭追いついてない」
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蒼が少し笑う。
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「俺も」
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少し静かになる。
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でもその沈黙は、
悪いものじゃなかった。
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ちゃんと、
同じ方向を見ている感じがした。
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そして。
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その週。
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蒼は工場長へ話をした。
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「ずっと前から言ってた件。やっと実現しそうなので、2ヶ月いっぱいで辞めます。」
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工場長はしばらく黙っていた。
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「……本気なんだな」
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「はい」
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「そうか」
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それ以上、
強く引き止められる事はなかった。
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澪も同じだった。
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バックヤード。
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店長へ話す。
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「二ヶ月いっぱいで辞めようと思ってます」
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少しの沈黙。
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それから、
小さくため息。
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「そっか」
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「寂しくなるね。でも遊びに行くからね?後、飲み会もやるからね?ね!?」
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澪は少し笑った。
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帰り道。
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冬の夜。
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コンビニの明かりが流れていく。
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助手席で澪が呟く。
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「ほんとに、ここまで来たね」
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蒼は少し間を置いた。
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それから前を見たまま言う。
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「まだ途中だろ」
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その声は、
少しだけ前より強かった。
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背中を押してくれる声は、
もう聞こえないはずなのに、風が吹いた。




