67話 「岐路」
変わっていく時って、
嬉しさより先に不安が来るのかもしれない。
昼休憩。
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バックヤードには、
コーヒーの匂いと暖房の音が混ざっていた。
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澪は紙コップを持ったまま、
椅子に座る。
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「疲れたぁ……」
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「年末前だからねぇ」
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しほが笑いながら隣に座った。
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店内は昼時で少し忙しい。
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でもバックヤードだけは、
少し空気が緩んでいた。
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「そういえばさ」
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しほがジュースを飲みながら言う。
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「最近なんか楽しそうだよね」
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「え、そう?」
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「うん」
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澪は少し笑う。
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「まぁ……ちょっと色々あって」
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「なになに?」
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少し迷ってから、
澪は口を開いた。
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「まだ全然先の話なんだけどさぁ」
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「うん」
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「海の近くで店やりたいねって話してて」
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しほの顔が一気に変わる。
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「えー!!」
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「なにそれ!」
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「カフェ?」
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「まぁそんな感じ」
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「え、絶対いいじゃん!」
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周りにいたスタッフも少し反応する。
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「海の近くとかめっちゃオシャレ」
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「サーフショップも少しやろうかなって」
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「えーすご!」
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最初は、
そんな空気だった。
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でも。
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しほがふと止まる。
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「……え、てことは」
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「ん?」
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「店やめるの!?」
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一瞬、
澪の動きが止まる。
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「あー……」
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「いや、まだ決まってないよ?」
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「えー嫌だ〜」
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しほが本気で嫌そうな顔をする。
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「普通に寂しいんだけど」
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澪は少し笑った。
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「まだ全然先だから」
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「でもそういう事でしょ?」
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「まぁ……実現したらそうなるのかな」
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その言葉を口にした瞬間。
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急に現実味が増した。
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辞める。
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今の仕事を。
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今の生活を。
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今まで積み上げてきたものを。
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「でもすごいよね」
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先輩スタッフが言う。
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「勇気いるじゃん」
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「今の安定捨てるって怖くない?」
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悪意は無い。
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だからこそ、
その言葉は妙にリアルだった。
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澪は少しだけ笑う。
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「怖いですよ、普通に」
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「だよねぇ」
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しほが頷く。
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「でも澪なら似合いそう」
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「海の近くの店とか!」
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「えー行く絶対」
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また空気が少し明るくなる。
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でも澪の胸の奥には、
さっきの言葉が残っていた。
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安定。
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辞める。
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怖くない?
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夜。
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仕事を終えて部屋へ帰る。
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玄関を開けると、
カレーの匂いがした。
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「ただいまー」
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「おかえり」
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蒼が鍋を混ぜながら振り返る。
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「今日カレー」
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「最高」
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澪はコートを脱いで、
ソファへ座る。
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少しだけ、
ぼーっとしていた。
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蒼はその空気に気付く。
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「……なんかあった?」
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澪は少し迷う。
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でも隠すほどでもなかった。
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「今日さ、職場で店の話ちょっとして」
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「うん」
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「そしたら、やめるの?って言われて」
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蒼は少し黙る。
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「まぁ……そうなるよな」
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「しほに、嫌だ〜って言われた」
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蒼が少し笑う。
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「言いそう」
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澪も少し笑った。
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でも。
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笑ったあと、
少し静かになる。
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蒼は火を弱めながら、
小さく聞いた。
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「……怖いか?」
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澪はすぐには答えなかった。
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怖い。
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それは本当だった。
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でも。
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「……うん」
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小さく頷く。
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蒼は少しだけ黙る。
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それから、
静かに言った。
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「澪があれなら、考え直してもいいんだぞ」
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その言葉は、
押し付けじゃなかった。
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ちゃんと、
澪の人生として考えてくれている声だった。
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澪は蒼を見る。
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「違うの」
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「?」
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「怖いけど、嫌じゃないの」
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蒼は黙って聞いている。
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「むしろ、ちゃんと蒼と一緒に進んでる感じがして」
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「……うん」
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「前の私だったら、怖いって思った時点で逃げてたと思う」
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でも今は。
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ちゃんと未来を考えている。
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その隣に、
蒼がいる。
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「だからまぁ」
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澪が少し笑う。
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「たぶん大丈夫」
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カレーの湯気が、
静かに上がっていた。
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怖いままでも、
前に進める夜があった。




