63話 「行動」
何かが始まる時って、
大きな音がするわけじゃない。
いつもの夜の中に、
少しだけ違う匂いが混ざるだけだった。
夜。
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仕事終わりの澪は、
少し疲れた顔のまま部屋に入ってきた。
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「ただいま」
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キッチンから声が返る。
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「おかえり」
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蒼はエプロンもせずに、
フライパンを振っていた。
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「今日なに?」
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「焼きそば」
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「またそれ?」
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「簡単だろ」
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澪は笑いながらコートを脱ぐ。
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キッチンから、
油の音とソースの匂い。
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もうその光景が、
当たり前になっていた。
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澪はソファに座る。
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少しだけ息を吐いた。
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「今日さ」
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蒼がフライパンを振りながら言う。
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「ん?」
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「テナント見に行ってた」
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その言葉で、
澪の動きが止まる。
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「……1人で?」
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「うん」
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澪は呆れたように笑う。
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「いや早すぎない?」
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「行きたいって思ったから」
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「思ったからって普通行く?」
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「行く」
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蒼は淡々としている。
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でも手は止めない。
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フライパンの音だけが、
部屋に響いていた。
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「で、どうだったの」
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蒼は少しだけ間を空ける。
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「悪くなかった」
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「それ感想として弱いんだけど」
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「でも想像はできた」
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その言葉で、
澪の表情が少し変わる。
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キッチンの音。
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油の跳ねる音。
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その中に、
まだ形になっていない未来が混ざっている。
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「そこでさ」
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蒼が続ける。
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「すだけいに会ってさ」
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「あぁw」
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澪は普通に頷く。
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「番屋にいて」
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「うん」
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蒼は少し笑う。
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「で、そのテナントさ、
すだけいの社長の物件らしい」
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澪の目が少し丸くなる。
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「え、そうなんだ」
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「一応、話通してみるって言ってた」
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少し間。
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フライパンを振る音だけが続く。
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「まぁどーなるかわかんないけどな」
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その言葉は、
期待と現実の間にあった。
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澪は少し笑う。
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「でもさ」
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「ん?」
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「ちゃんと動いてるじゃん」
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蒼の手が一瞬だけ止まる。
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それからまた、
普通にフライパンを振る。
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「別に、まだ何も決まってない」
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「でも止まってはない。でしょ?」
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その言葉に、
部屋の空気が少しだけ変わる。
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蒼は小さく息を吐く。
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「……まぁな」
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焼きそばの湯気。
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生活の音。
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その中で、
確かに“これから”が少しずつ形を持ち始めていた。
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夜は静かに流れていく。
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でももう、
ただの日常だけでは終わらなくなっていた。
ちゃんと進んでるのかどうかは分からないけど、
止まってないことだけは分かる。
それだけで、
少し安心できる夜もある。




