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波待ち。  作者: 阿部兄弟
6章 夢と生活

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62話 「番屋」


“いつか”なんて、

ずっと遠くにある言葉だと思ってた。


日曜日。




朝から、

空気が冷たかった。




カーテンの隙間から入る光も、

どこか白っぽい。




澪は仕事の日だった。




いつもより少し早めに起きて、

鏡の前で髪を整えている。




蒼はソファに座りながら、

ぼんやりテレビを眺めていた。




「今日混みそう?」




「日曜だからねぇ」




澪がリップを塗りながら答える。




「クリスマス近いし」




「あー」




蒼が頷く。




街はもう、

冬の色になり始めていた。




コンビニも、

スーパーも、

ショッピングモールも。




どこへ行っても、

赤とか緑とか、

そんな色が増えている。




「蒼は?」




「んー……」




蒼が缶コーヒーを飲む。




「特に決めてない」




「海行かないの?」




「寒ぃ」




澪が笑った。




「この前人のこと根性なしって言ってたじゃん」




「今日はそういう日」




「なにそれ」




静かな朝。




こういう時間にも、

少しずつ慣れてきていた。




誰かがいる部屋。




生活音。




何気ない会話。




それがちゃんと、

日常になっている。




澪がコートを羽織る。




「じゃ、行ってくるね」




「はいよ」




玄関まで見送る。




「夜なんか食う?」




「なんでもいいー」




「一番困るやつ」




澪が笑う。




「蒼決めていいよ」




「了解」




少しだけ沈黙。




澪がふっと笑う。




「なんかさ」




「ん?」




「普通に見送られるの、

まだちょっと不思議」




蒼が少し笑う。




「今さら?」




「うん」




澪は小さく頷いた。




「……いってきます」




「いってらっしゃい」




ドアが閉まる。




静かになった部屋。




蒼はしばらくそのまま立っていた。




窓の外。


曇り空。




冬の海の色みたいだった。




昼前。




蒼は車を走らせていた。




特に行く場所を決めていた訳じゃない。




ラジオが小さく流れている。




海沿いの道。




冬の海は静かだった。




サーファーも少ない。




空も低い。




信号を曲がる。




そのまま、

前に通った道へ入った。




道路沿い。




古いテナント。




『テナント募集』




貼り紙が、

風で少し揺れている。




蒼は車を止めた。




エンジンを切る。




静かだった。




外へ出る。




潮風が冷たい。




煙草に火をつけながら、

テナントを見る。




古い建物。




ガラスも少し曇っている。




でも。




不思議と嫌じゃなかった。




中を覗く。




狭い。




でも、

なんとなく想像出来てしまう。




壁に並ぶサーフボード。


コーヒーの匂い。


澪が笑いながら接客している姿。




常連客。


海帰りの人間。


濡れた髪。


冬の湯気。




蒼は煙を吐いた。




でも同時に、

頭のどこかで別の事も考える。




家賃。


金。


生活。


失敗した時。




簡単な話じゃない。




だからこそ、

誰にもまだ言っていなかった。




「おーい」




後ろから声が飛ぶ。




振り返る。




少し先。


番屋の前。




ニット帽にジャンパー姿の、

すだけいが立っていた。




「珍しいな!何してんだ蒼」




「……別に」




「いや絶対別にじゃねぇ顔してるわ」




すだけいが笑いながら近付いてくる。




「海入んねぇの?」




「今日は寒い」




「ジジイかよ」




蒼が苦笑いする。




すだけいも、

テナントを見る。




「ここ何?」




「……いや」




蒼は少し迷った。




でも。




「店とか、

やれたらなって」




「店?」




「サーフショップ」




すだけいが少し目を丸くする。




「へぇ」




「澪はカフェやりたいって言ってたから」




「うわ」




すだけいがニヤニヤする。




「なにそのオシャレカップルみてぇなの」




「うるせぇ」




蒼が煙草を咥える。




すだけいは少し黙って、

テナントを見ていた。




「なるほどなぁ」




「……」




「ここ、

うちの社長の土地だぞ」




蒼が顔を上げる。




「え?」




「漁協絡みで持ってるやつ」




「マジか」




「話通すか?」




風が吹く。




蒼は少し黙った。




急に、

現実味を帯びる。




ついさっきまで、

ぼんやり想像していただけだった。




でも今、

少しだけ現実へ近付いている。




それが逆に、

少し怖かった。




「まぁ俺が言って通るか知らんけど」




すだけいが笑う。




「でもお前らなら、

海の近く似合うんじゃねぇの」




蒼が少し笑った。



冬の海。



冷たい風。



波の音が、

静かに聞こえている。



蒼はもう一度、

目の前のテナントを見る。



今までは、

“いつか”

の話だった。



でも。



少しずつ、

手を伸ばせる場所まで来ている気がした。

未来の話をしても、

前みたいに怖くなくなっていた。


なぜなら、楽しく想像出来たから。

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