61話 「朝霜」
誰かと同じ朝を迎えるなんて、
もう無いと思ってた。
朝。
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澪は先に起きていた。
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冬の朝。
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エアコンを付けても、
部屋が暖まるまで時間が掛かる。
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マグカップから、
白い湯気が立っていた。
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外はまだ薄暗い。
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窓の向こう。
曇った冬空。
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静かな朝だった。
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後ろを振り返る。
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ベッドでは、
蒼がまだ寝ている。
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掛け布団に埋まりながら、
小さく寝息を立てていた。
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澪は少し笑う。
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「……よく寝るなぁ」
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小さく呟き、
コーヒーを飲む。
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テーブルの上には、
蒼のタバコ。
椅子には脱ぎっぱなしのパーカー。
玄関には男物のスニーカー。
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洗面所には、
歯ブラシが二本並んでいる。
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いつの間にか。
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本当に、
一緒に暮らしているんだなと思った。
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少しして。
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ベッドの方から、
布団が動く音がする。
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「……さみぃ」
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寝起きの低い声。
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「おはよ」
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「……おはよ」
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蒼が髪を掻きながら起き上がる。
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「何時」
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「六時半」
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「はや……」
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また横になろうとする。
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「起きろ」
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「あと五分」
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「それ毎回十分以上寝るやつだからね」
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蒼が少し笑う。
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そのまま、
欠伸をしながら洗面所へ向かった。
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少しして、
電動歯ブラシの音が聞こえてくる。
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澪はコーヒーを飲みながら、
その音をぼんやり聞いていた。
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前は、
誰かの生活音がある朝なんて、
落ち着かなかった。
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でも今は逆に、
静かすぎる方が変な感じがする。
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蒼が戻ってくる。
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「今日遅い?」
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「うん、遅番」
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「そっか」
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蒼が冷蔵庫を開ける。
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「今日海行く?」
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「うーん……」
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澪が窓の外を見る。
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「寒そうだから迷う」
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「冬の海そんなもんだろ」
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「いや普通に寒いって」
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蒼が笑う。
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「でも人少ねぇから好き」
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「あーそれは分かる」
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冬の海は静かだ。
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夏みたいな賑やかさも無い。
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でもその静けさが、
どこか落ち着く。
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蒼が時計を見る。
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「やば」
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「ほら」
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「遅れる」
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蒼が慌てて着替え始める。
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「靴下どこ」
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「知らないよ」
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「昨日洗濯した?」
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「した」
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「じゃああるか」
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澪が笑う。
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バタバタした朝。
生活音。
何気ない会話。
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前の結婚生活とは、
全然違った。
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気を遣って、
空気を読んで、
疲れて。
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そんな感じじゃない。
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ちゃんと、
呼吸出来る。
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「じゃあ行ってくる」
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玄関で蒼が言う。
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「はいよー」
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「今日何時?」
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「九時くらいかな」
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「了解」
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蒼が靴を履く。
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「鍋作っとくわ」
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「え、ほんと?」
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「簡単なやつだけど」
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「すご」
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「肉多めに入れとく」
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「子供か」
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蒼が笑う。
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ドアが閉まる。
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少し静かになった部屋。
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でも、
ちゃんと“誰かがいる部屋”
の空気が残っている。
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澪はソファへ座り、
スマホを見る。
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少しして通知が鳴った。
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『靴下あったわ』
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澪が吹き出す。
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『良かったね』
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また通知。
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『今日海どうする』
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『寒いから迷ってる』
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『冬始まったばっかだぞ』
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『いや普通に寒い』
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『根性なし』
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『ぶっ飛ばす』
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澪が笑う。
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なんでもないLINE。
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でも、
こういう時間が、
ちゃんと幸せなんだと思った。
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夜。
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仕事を終えた澪が外へ出る。
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吐く息が白い。
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駐車場。
蒼の車が見える。
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助手席へ乗り込む。
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「あったか……」
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「おつかれ」
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「つかれた……」
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シートへ沈み込む。
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車の中、
暖房の匂いがする。
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「鍋出来てるぞ」
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「え、ほんとに作ったの?」
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「簡単なやつだけど」
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「すご」
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「肉多め」
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「だから子供か」
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蒼が笑う。
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車が走り出す。
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コンビニの灯り。
冷たい夜道。
ラジオの小さな音。
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信号待ち。
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ふと、
蒼が窓の外を見る。
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道路沿い。
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古いテナント。
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『テナント募集』
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貼り紙が揺れていた。
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澪も気付く。
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でも、
お互い何も言わない。
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ただ少しだけ、
目で追っていた。
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信号が変わる。
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車がまた走り出す。
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「……キムチ?」
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「うん」
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「いいね」
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いつもの会話。
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でも。
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少しずつ、
未来が混ざり始めていた。
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帰る場所って、
広さじゃないのかもしれない。
ただ、
「おかえり」って言える相手がいるだけで、
ちゃんとあったかい。




