59話 「卒業」
気付けば、
“守る側”の時間ばかりが過ぎていた。
それでも、
ちゃんと前へ進いていたんだと思う。
自分も、
大切な人も。
朝。
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蒼は鏡の前でネクタイを締めていた。
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「……慣れねぇ」
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小さく呟く。
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白シャツに黒のジャケット。
鉄工場へ行く時とは全然違う格好に、
どこか落ち着かない。
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机の上へ目を向ける。
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小さな遺影。
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父親が少し照れ臭そうに笑っている写真。
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蒼はそれを静かに手に取った。
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「……行くか、親父」
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小さく呟き、
バッグへ入れる。
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スマホが震える。
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『卒業式終わったらLINEしてね!』
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澪からだった。
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『了解』
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短く返して、
蒼は家を出る。
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九月の風。
夏の暑さが少しだけ抜け始めていた。
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専門学校へ着く。
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春の卒業式みたいな大きな雰囲気ではない。
人数も少ない。
静かな校舎。
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でも、
それが妙に楓らしかった。
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案内された教室へ入る。
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「兄貴!」
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振り向く。
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スーツ姿の楓が、
少し照れ臭そうに笑っていた。
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「……おぉ」
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蒼が少し目を細める。
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「似合ってんじゃん」
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「でしょー?」
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楓が笑う。
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でもその笑顔を見た瞬間。
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昔の記憶が、
頭を過ぎった。
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父親が倒れた日。
病院。
消毒液の匂い。
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まだ小さかった楓が、
泣きそうな顔で言った。
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“お兄ちゃん……”
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不安そうに、
ただ蒼の袖を掴んでいた。
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高校へ入った頃もそうだ。
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“お兄ちゃん、私バスケ部入らない”
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“なんでだよ”
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“バイトする”
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その言葉を聞いた瞬間、
蒼は言った。
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“入れよ”
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“でもお金……”
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“今の会社給料良いし余裕だよ、余裕”
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楓は泣きそうな顔で黙っていた。
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あの頃。
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兄妹なのに、
ずっと“生活”をしていた気がする。
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青春より先に、
現実が来てしまった。
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それでも楓は、
ちゃんと笑って生きてきた。
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沙耶香と離婚した時だってそうだった。
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ボロボロだった蒼に、
楓は無理やり缶コーヒーを押し付けてきた。
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“お兄ちゃんその顔やばいって”
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“うるせぇ”
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“まぁでもお兄ちゃんは大丈夫だよ”
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根拠も無く、
笑いながらそう言った。
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そんな言葉に、存在に、
どれだけ救われたか分からない。
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「兄貴?」
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楓の声で我に返る。
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「ん?」
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「どうしたの?」
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「いや別に」
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蒼が少し笑う。
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「なんかデカくなったなと思って」
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「親戚のおじさんじゃん」
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楓が吹き出す。
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教室で卒業式が始まる。
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名前を呼ばれる。
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楓が前へ出る。
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真っ直ぐ前を見る背中。
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蒼は静かにその姿を見ていた。
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ちゃんとここまで来たんだな。
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自分も楓も。
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卒業証書を受け取る姿を見た瞬間。
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蒼は小さく息を吐いた。
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……親父に見せてやりたかったな。
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バッグの中の遺影を取り出す。
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きっと親父、
笑ってるだろうな。
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式が終わる。
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外へ出ると、
柔らかい風が吹いていた。
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「兄貴!写真!」
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「なんで俺が」
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「いいから!」
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楓がスマホを渡してくる。
通り掛かった先生が笑いながら言った。
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「撮りましょうか?」
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「え、いいんですか?」
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「もちろん」
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楓が蒼の横へ並ぶ。
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「兄貴もっと笑って」
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「無茶言うな」
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カシャ。
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写真が残る。
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「ありがとうございました!」
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楓が頭を下げる。
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先生が笑う。
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「楓さんすごく頑張ってましたよ」
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蒼は少しだけ目を細めた。
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学校を出る。
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「なんか実感無いなー」
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楓が空を見上げる。
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「まぁ頑張ったじゃん」
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「何その上から」
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蒼が少し笑う。
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「でもさ」
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楓がぽつっと言う。
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「お兄ちゃんがいてくれて良かった」
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蒼は少し黙る。
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「……当たり前だろ」
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楓が少し照れ臭そうに笑った。
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夕方。
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蒼の車がモール前へ停まる。
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後部座席には、
楓が乗っていた。
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「澪ちゃーん!」
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「お疲れ〜!」
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澪が笑いながら助手席へ乗り込む。
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「どうだった卒業式!?」
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澪が嬉しそうに聞く。
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蒼は少し窓の外を見た。
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「……なんか色々思い出したわ」
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「泣いた?」
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「泣いてねぇ」
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「怪しい〜」
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楓と澪が笑う。
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エンジンをかける。
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「よし」
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蒼が小さく笑う。
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「今日は3人で祝うか」
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「焼肉!?」
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「やっぱそれだと思った」
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車の中に笑い声が広がる。
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夜の街へ、
3人を乗せた車が走り出した。
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卒業って、
学校を終える日でもあるけど。
誰かの人生を支えてきた時間に、
一区切りが付く日でもあるのかもしれない。




