54話 「歩幅」
恋人になる事より、
その先の方が難しいのかもしれない。
誰かの日常に入って、
誰かの家族に触れて、
少しずつ人生を重ねていく。
夜の海からの帰り道。
車内には、
小さく音楽が流れていた。
⸻
⸻
窓を少し開けているせいか、
潮の匂いがまだ残っている。
⸻
⸻
「ねむ……」
⸻
⸻
助手席で、
澪がシートへ身体を沈める。
⸻
⸻
「寝んなよ」
⸻
⸻
「起きてる〜」
⸻
⸻
全然起きてなさそうな声だった。
蒼が少し笑う。
⸻
⸻
信号待ち。
赤信号の光が、
フロントガラスへ映る。
⸻
⸻
「そういえばさ」
⸻
⸻
澪がぽつっと言う。
⸻
⸻
「ん?」
⸻
⸻
「お母さんが蒼に会いたいってずっと言ってる」
⸻
⸻
蒼が少しだけ苦笑いする。
⸻
⸻
「マジか」
⸻
⸻
「今日も電話きてさ」
『いつになったら蒼君連れてくるのー?』
って」
⸻
⸻
「圧すごいな」
⸻
⸻
「うちのお母さん距離感近いからね〜」
⸻
⸻
車がまた走り出す。
⸻
⸻
「今度さ」
⸻
⸻
「うん」
⸻
⸻
「ご飯でもどう?って言ってた」
⸻
⸻
蒼は少し黙る。
⸻
⸻
別に嫌なわけじゃない。
ただ。
⸻
⸻
“家族に会う”
⸻
⸻
その言葉だけで、
少しだけ身体が固くなる。
⸻
⸻
澪はそんな蒼を見ながら、
少しだけ不安になる。
⸻
⸻
「……嫌なら全然いいんだけど」
⸻
⸻
「いや」
蒼が前を向いたまま言う。
⸻
⸻
「澪が良いなら行く」
⸻
⸻
澪が少し目を丸くする。
⸻
⸻
「ほんと?」
⸻
⸻
「おう」
⸻
⸻
「やった」
⸻
⸻
その声が、
少し嬉しそうで。
蒼はなんとなく、
それだけで良かった。
⸻
⸻
「でも緊張するわ」
⸻
⸻
「蒼でも緊張するんだ」
⸻
⸻
「するだろ普通に」
⸻
⸻
「なんか意外」
⸻
⸻
「お前の親だぞ」
⸻
⸻
澪が笑う。
⸻
⸻
「お父さん多分静かだよ」
⸻
⸻
「お母さんは?」
⸻
⸻
「うるさい」
⸻
⸻
「だろうな、前言ってたもんなw」
⸻
⸻
また2人で笑った。
⸻
⸻
コンビニへ寄る。
澪がアイスコーナーの前でしゃがみ込む。
⸻
⸻
「うわ迷う」
⸻
⸻
「子供かよ」
⸻
⸻
「お風呂上がりの楽しみ」
⸻
⸻
「はいはい」
⸻
⸻
蒼はコーヒーを手に取る。
⸻
⸻
「蒼は?」
⸻
⸻
「いらん」
⸻
⸻
「人生損してるよ」
⸻
⸻
「大袈裟だな」
⸻
⸻
レジを済ませ、
また車へ戻る。
⸻
⸻
「てかさ」
⸻
⸻
「ん?」
⸻
⸻
「お母さん絶対蒼のこと気に入ると思う」
⸻
⸻
「なんでだよ」
⸻
⸻
「ちゃんとしてるから」
⸻
⸻
蒼が少し笑う。
⸻
⸻
「ちゃんとしてねぇよ」
⸻
⸻
「してるよ」
澪が即答する。
⸻
⸻
「働いてるし」
「優しいし」
「ちゃんと迎え来てくれるし」
⸻
⸻
「ハードル低くね?」
⸻
⸻
「低くないです〜」
⸻
⸻
澪が笑いながらアイスを開ける。
⸻
⸻
「んま」
⸻
⸻
「え?まだ家着いてねぇぞ」
⸻
⸻
「待てなかった」
⸻
⸻
信号待ち。
外を見る。
⸻
⸻
昔は、
こんな風に誰かと夜を過ごすなんて、
想像もしなかった。
⸻
⸻
離婚して。
蓮とも離れて。
⸻
⸻
自分の人生は、
もうある程度終わったんだと思っていた。
⸻
⸻
でも。
⸻
⸻
隣では、
澪がアイスを食べながら笑っている。
⸻
⸻
それだけで、
少し救われる自分がいた。
⸻
⸻
「何?」
⸻
⸻
「いや別に」
⸻
⸻
「今なんか見てた」
⸻
⸻
「見てねぇよ」
⸻
⸻
「絶対見てた」
⸻
⸻
澪が笑う。
⸻
⸻
その笑い声を聞きながら、
蒼も少しだけ口元を緩めた。
⸻
⸻
澪のアパートへ着く。
⸻
⸻
「送迎ありがとうございましたー」
⸻
⸻
「はいよ」
⸻
⸻
「じゃあ今度実家ね」
⸻
⸻
「急に決まったな」
⸻
⸻
「お母さん絶対喜ぶ」
⸻
⸻
澪が車を降りる。
⸻
⸻
「あ、そうだ」
⸻
⸻
窓越しに、
澪が少し笑う。
⸻
⸻
「ちゃんとカッコいい服で来てね?」
⸻
⸻
「うるせぇ」
⸻
⸻
「またユニクロで来たら怒るからねー」
⸻
⸻
「偏見すごいな」
⸻
⸻
澪が笑いながら手を振る。
⸻
⸻
「おやすみー」
⸻
⸻
「おう」
⸻
⸻
アパートの階段を上がっていく後ろ姿を見ながら、
蒼は小さく息を吐いた。
⸻
⸻
……親か。
⸻
⸻
少し緊張する。
でも不思議と、
嫌じゃなかった。
⸻
⸻
車を出す。
⸻
⸻
夜の街を、
車が静かに走り出した。
⸻
⸻
帰り道。
コンビニ。
他愛もない会話。
そんな時間の中で、
2人の距離は少しずつ変わっていく。




