55話 「安堵」
誰かの家へ上がる事。
同じ食卓を囲む事。
それはきっと、
思っているよりずっと特別な事なんだと思う。
55話 「安堵」
仕事終わりの夕方。
鉄工場の機械音が止まり、
業務終了のチャイムが鳴る。
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「っあち……」
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蒼は首元を引っ張りながら、
ロッカーへ向かった。
作業着は汗で重い。
鉄と油の匂いが身体に染み付いていた。
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「蒼君〜?」
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先輩がニヤニヤしながら近付いてくる。
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「今日だろ?」
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「……何がですか」
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「彼女の親、工場長から聞いたぞ〜?」
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「情報回るの早ぇな」
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周りが笑う。
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「ちゃんとしろよ〜?」
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「分かってますよ」
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蒼は苦笑いしながら、
タオルを肩へ掛けた。
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会社のシャワー室。
古い白タイル。
換気扇の音。
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熱を持った身体へ、
冷たい水が落ちる。
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鉄の匂い。
汗。
疲れ。
全部流れていく。
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シャワーを止め、
髪をかき上げる。
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……親か。
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少し前の自分なら、
絶対避けてた。
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離婚して。
蓮とも離れて。
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“家族”
って言葉から、
どこか距離を置いていた。
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でも今は。
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澪の隣にいる未来を、
少しだけ想像してる自分がいた。
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ロッカー室へ戻る。
黒シャツ。
白T。
細めのデニム。
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「おぉ」
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先輩が笑う。
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「ちゃんとしてるじゃん」
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「だから何なんすか」
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「お前が彼女の親に会いに行く歳かぁ」
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「うるせぇ」
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でも。
少しだけ照れ臭かった。
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会社を出る。
夕方の風が少し涼しい。
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スマホを見る。
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『準備できたよー』
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『向かう』
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澪のアパートへ着く。
少し待つと、
階段を降りてくる姿が見えた。
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白いブラウス。
細めのデニム。
いつもより少し大人っぽい。
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助手席へ乗り込み、
澪が笑う。
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「お待たせ〜」
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「おう」
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「え、ちゃんとしてるじゃん」
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「なんだよ」
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「もっと適当で来ると思ってた」
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「お前の親だぞ」
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澪が笑う。
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「緊張してる?」
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「まぁ多少」
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「かわいいとこあるじゃん」
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「うるせぇ」
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車が住宅街へ入る。
昔ながらの一軒家。
でも庭も綺麗に手入れされていて、
温かい家だった。
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「着いた」
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蒼が小さく息を吐く。
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「なんか私まで緊張してきた」
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「お前の家だろ」
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「だって彼氏連れてくるの初めてだし」
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蒼が少しだけ澪を見る。
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「……そっか」
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インターホンを押す。
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ガチャ。
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「おかえりー!」
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澪の母親が出てくる。
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「あらー!!」
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蒼を見るなり目を丸くした。
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「蒼君!?え、背高っ!」
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「どうも。初めまして萩原蒼です。」
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「ちょっと写真よりカッコいいじゃない!」
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「お母さんやめて」
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「だってほんとなんだもん!」
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澪が頭を抱える。
蒼は苦笑いするしかなかった。
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「ほらほら入って!」
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家へ上がる。
木の匂い。
どこか懐かしい柔軟剤の香り。
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リビングには、
澪の父親が座っていた。
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「どうも」
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静かな声。
でも、
ちゃんと人を見る目だった。
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「初めまして萩原蒼と言います」
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「あっ、どうも澪の父です」
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軽く頭を下げ合う。
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「もう固い固い!」
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澪母が笑う。
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「ほら座って!」
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テーブルには料理が並んでいた。
唐揚げ。
煮物。
だし巻き卵。
ポテトサラダ。
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「すご……」
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「頑張っちゃった!」
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「張り切りすぎだから」
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「娘の彼氏来るんだよ!?」
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「やめてほんと」
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食事が始まる。
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「蒼君って鉄工場なんだっけ?」
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「はい」
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「大変でしょ〜暑そうだし」
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「まぁ慣れました」
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「偉いわよねぇ」
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澪が苦笑いする。
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「お母さん親戚のおばちゃんみたい」
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「だってほんとにそう思うんだもん」
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澪母が笑う。
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「でも安心した」
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「え?」
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「前はほら?ねぇ」
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澪が嫌な予感して顔をしかめる。
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「ちょっとお母さん」
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「だってダメだったじゃないあの人〜」
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「やめてって」
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蒼は黙って箸を置く。
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「なんかずーっと偉そうだったし」
「澪全然笑わなくなっちゃって」
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「もういいから」
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澪が恥ずかしそうに止める。
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でも母親は、
少し真面目な顔になる。
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「だからね、蒼君といる澪見て安心したの」
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「ちゃんと笑ってるから」
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その言葉に、
澪が少し黙る。
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蒼も何も言えなかった。
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静かな空気。
でも、
嫌な沈黙じゃない。
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「……どうも」
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蒼が少し照れ臭そうに笑う。
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その横で、
澪も小さく笑った。
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「蒼君サーフィンやるんだよね」
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今度は父親が口を開く。
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「はい」
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「澪も最近よく行ってるんだよな」
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「澪、楽しそうですよ」
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父親が少しだけ笑う。
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「昔から飽きっぽかったから」
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「ちょっとお父さん」
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「続いてるなら良かった、蒼君のおかげだな」
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その言葉に、
澪が少し照れたように笑った。
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気付けば、
蒼も普通に笑っていた。
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こんな空気、
久しぶりかもしれない。
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過去は消えない。
でも、
今隣で笑ってくれる人がいるなら、
人は少しずつ前を向ける。




