5話 「認識」
人は、見えている部分でしか相手を判断できない。
でも、
ほんの少し視点が変わるだけで、
その印象は簡単に崩れる。
これは、
同じ時間を違う目で見ていた話。
食器の触れる音で、意識が戻る。
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目の前。
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コーヒーの湯気。
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窓の外の海。
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さっきと同じ景色。
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でも、少しだけ違う。
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蒼はカップに手をかける。
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一口飲む。
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苦味が、少しだけはっきりする。
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向かい。
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澪は何も言わずに、クロワッサンをちぎっている。
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いつもの感じに戻ってる。
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でも、完全じゃない。
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少しだけ、静かだ。
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蒼が言う。
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「冷めるぞ」
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澪が顔を上げる。
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「あ、ほんとだ」
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少し笑う。
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一口、口に運ぶ。
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少しの沈黙。
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でも、気まずくはない。
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さっきの話が、ちゃんと残ってるだけ。
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澪がぽつり。
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「意外だった」
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蒼
「何が」
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「蒼がさ」
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少し間。
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「ちゃんとしてる人だったんだなって」
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蒼は少しだけ視線を外す。
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「普通だろ」
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澪は首を振る。
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「普通じゃないよ」
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軽く言う。
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でも、ちゃんと重さがある。
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蒼は何も言わない。
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ただ、コーヒーをもう一口飲む。
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澪が続ける。
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「高校のときさ」
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少し笑う。
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「近寄りがたい人だと思ってた」
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蒼
「よく言われる」
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澪
「でもさ」
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少し間。
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「全然違うじゃん」
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そう言ったあと。
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ふと、昔のことを思い出す。
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——あの時も、違ってたよね
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ガヤガヤした教室。
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休み時間。
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声があちこちで重なる。
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「澪、今日放課後カラオケ行かない?」
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「いいね!行こうよ」
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澪は少しだけ笑う。
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「えー、行かなーい」
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「なんでよー」
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「半額チケットあるよ?」
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「んー…」
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少しだけ考えるふりをして。
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「じゃあ、いっちゃおっかな」
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周りが一気に明るくなる。
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「よっしゃ!」
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そこに男子も混ざってくる。
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「なになに、カラオケ?俺らも行きたい!」
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さらに賑やかになる。
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でも、その中で。
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一瞬だけ、視界の端に入る。
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教室の外側。
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一人だけ、そこにいる。
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窓の外を見てる。
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スマホをいじってる。
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誰とも目を合わせない。
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話しかけられても、反応しない。
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周りはよく言ってた。
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“狼みたいなやつ”
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近寄りづらい。
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ピリピリしてる。
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でも。
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澪には少し違って見えてた。
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みんなが騒いでる中で、
一人だけ、そこにいないみたいな顔してる。
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無理に入らない。
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無理に合わせない。
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ただ、それだけ。
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澪はふっと視線を戻す。
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「……あーやっぱ今日パス!」
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「予定入ってたの忘れてた、ごめん」
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一瞬、空気が止まる。
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「えーーー」
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「マジかよ」
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「しょうがないかぁ」
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澪は軽く手を合わせる。
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「今度ちゃんと埋め合わせするから」
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そのやり取りの隙間。
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もう一度だけ、あっちを見る。
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彼と、目が合う。
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ほんの一瞬。
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彼はすぐに視線を逸らす。
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でも。
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ほんの少しだけ。
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鼻で笑った気がした。
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——なにそれ
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思わず、少しだけ笑いそうになる。
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孤独な一匹狼。
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刺々しくて。
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近づきづらくて。
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周りに誰もいない。
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可哀想な人。
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……って、みんなは言うけど。
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たぶん、違う。
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あれは——
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誰にも合わせてないだけ。
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ちょっとだけ意地悪で。
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でも、ちゃんと見てる。
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授業中。
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私はいつも通り、手紙回してた。
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どうでもいい話。
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笑いそうになるのを堪えながら、こそこそやるやつ。
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そのとき。
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ずっと、どこかで音がしてた。
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ブーブーって。
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一回じゃない。
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何回も。
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ふと見る。
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あいつの方。
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ポケット押さえてる。
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少しだけ、落ち着かない感じ。
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——あいつのだ
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なんとなく分かる。
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珍しい。
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あんな風になるの。
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少しして。
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「……すいません、トイレ」
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立ち上がる。
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そのまま出ていく。
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何かあったのかな。
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そう思ったけど、
それ以上は考えなかった。
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数分後。
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戻ってきた。
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顔がさっきと違う。
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先生に何か言ってる。
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よく聞こえない。
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でも。
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空気で分かる。
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普通じゃない。
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バッグを持って、そのまま出ていく。
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教室の空気が少しだけ止まる。
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その瞬間。
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目が合う。
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ほんの一瞬。
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私は——
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いつも通り、軽く笑った。
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……いや。
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笑った、というより。
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そうしてた。
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あいつ、多分。
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弱ってるとこ見せるの、嫌いだろうなって。
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変に気遣われるのも。
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なんとなくだけど、分かってたから。
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だから。
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何も言わなかった。
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それが一番、あいつっぽい気がしたから。
あのときの違和感は、
ずっと残っていた。
意味は分からないままでも、
消えることはなかった。
そして今、
少しだけその輪郭が見え始めている。
でもまだ、
全部は分からない。




