49話 「夕凪」
夏は終わりかけていた。
でも、
まだ夜風には少しだけ熱が残っていて。
その中を、
2人は当たり前みたいに走っていた。
八月の終わり。
昼はまだ暑いのに、
夜になると少しだけ風が変わる。
夏の終わりみたいな匂いがしていた。
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鉄工場の機械音が止まる。
耳に残っていた金属音が、
静かになった瞬間に一気に疲れが来る。
蒼は額の汗をタオルで拭き、
作業着のまま外へ出た。
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夜風が気持ちいい。
油と鉄の匂いが染み付いた腕に、
少し冷たい風が当たる。
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「っはぁ……」
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小さく息を吐いて、
タバコに火をつける。
煙が暗い空へ溶けていった。
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スマホが震える。
澪からだった。
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『今日遅番じゃなくなったー』
『終わったらご飯行こー』
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蒼は少しだけ口元を緩める。
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『りょ』
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短く返して、
スマホをポケットへ戻した。
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前は、
仕事終わりなんて、
ただ疲れて帰るだけだった。
コンビニ寄って、
適当に飯食って、
シャワー浴びて寝る。
海が無い日は、
特に空っぽだった気がする。
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でも最近は。
仕事終わりに、
誰かを迎えに行く。
その事が、
なんとなく当たり前になっていた。
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ショップの前で車を停める。
閉店後のモールは人も少なく、
シャッターの閉まる音だけが響いていた。
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数分後。
店から澪が出てくる。
髪を後ろで適当にまとめて、
肩にバッグを掛けていた。
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「お待たせ〜」
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「おう」
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助手席に乗り込み、
澪が大きく伸びをする。
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「あ゛〜疲れたぁ……」
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「声終わってんぞ」
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「今日めんどい客いたの」
「ずっと“これ去年のモデル?”って聞いてくんの」
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「で?」
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「去年のですって言ったら急に買わなくなった」
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「かわいそ」
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「いや本当だよ?」
澪が笑う。
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エンジンをかけ、
車を走らせる。
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「腹減った」
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「奇遇だな、俺も」
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「ラーメン行く?」
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「昨日も食ったろ」
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「バレたか」
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澪がシートへ深く座る。
その横顔を見ながら、
蒼は少しだけ笑った。
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赤信号で車が止まる。
そのタイミングで、
スマホが震えた。
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「あ、楓だ」
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「なんて?」
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蒼はLINEを見ながら笑う。
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『卒業制作終わんねぇ』
『助けて兄貴』
『あと金ない』
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「最後が本音だろこれ」
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「ふふっ」
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「もう卒業なんだっけ?」
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「うん。九月卒業だから」
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信号が青になる。
車がまたゆっくり動き出した。
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「楓ちゃん凄いよね」
「働いてからまた学校通うって中々出来ないよ」
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蒼は少し黙る。
窓の外を流れる街灯を見ながら、
小さく息を吐いた。
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「まぁな」
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「昔から変に我慢強ぇからな、あいつ」
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父親が倒れて。
家の事もあって。
蒼自身、
自分の事でいっぱいいっぱいだった。
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その横で楓は、
何も言わずに働いていた。
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遊びたいとか、
どっか行きたいとか。
あいつ、
あんま言わなかったな。
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「でも最近楽しそうだよね」
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「あーまぁ、友達出来たっぽいしな」
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「周りは歳下だろうけど」
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「楓ちゃん芯のある子だから強いよね」
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澪が感心して言う。
蒼も少しだけ口元を緩めた。
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「まぁ……」
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「あいつ人生でちゃんと自分優先した事、あんま無かったからな」
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その言葉の後、
車の中が少し静かになる。
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澪は何も言わなかった。
ただ、
窓に映る夜景を見ながら、
小さく頷く。
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蒼って、
家族の話する時だけ、
少し大人になるよな。
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そんな事を、
澪はぼんやり思っていた。
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「卒業祝いとかやる?」
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「あー……どうすっかな」
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「やりなよ」
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「別に本人そんなタイプじゃねぇぞ」
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「でも蒼やりたいんでしょ?」
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蒼が少し黙る。
図星だった。
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「焼肉とかでいいじゃん」
「楓ちゃん絶対喜ぶよ」
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「肉で機嫌良くなるからなあいつ」
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「兄妹そっくり」
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「うるせぇ」
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2人で少し笑う。
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窓を少し開けると、
秋前の風が入ってきた。
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「で、結局今日何食う?」
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「焼肉」
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「影響されやすすぎだろ」
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「今日もうその口になった」
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「はいはい」
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車は夜の街を走っていく。
特別な事なんて、
何も起きていない。
でも、
こういう時間が続けばいいと。
蒼は少しだけ思っていた。
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誰かを迎えに行く事。
他愛もない話をする事。
そんな日常が、
昔の蒼なら少し想像出来なかった。




