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波待ち。  作者: 阿部兄弟
3章 交錯と距離

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30話 「余痕」

なくなったものは、


戻らない。




でも、


そこにあった時間までは、


消えない。


部屋は、


静かだった。



テレビも、


泣き声も、


何もない。



ただ、


空気だけがある。



「……」



ソファに座ったまま、


動かない。




「お兄ちゃん」



楓の声。



振り向く。



「……なんだよ」



「また2人になったね」



少しだけ、


笑っている。



無理してるのは、


すぐ分かる。



「……だな」



短く返す。




「ほら」



楓が軽く肩を叩く。



「元気出せって」



「死んだ魚みたいな目してるよ」



「……してねぇよ」




少しだけ、


間。




「……ありがとな」



ぽつりと漏れる。




「いいって」



「家族でしょ」




笑う。



でも、


その目は少しだけ揺れていた。




蒼は何も言えない。



応えなきゃいけないのは、


分かっている。



でも。




浮かぶのは、


あの小さな顔。



蓮。




言葉が、


出てこない。




数日後。



玄関。



「……本当にすみませんでした」



沙耶香の両親が、


頭を下げる。



「……」



蒼は何も言わない。



「また……会う話は」



「こちらから連絡させていただきますので」



その言葉が、


妙に遠く感じる。



「……お願いします」



それだけ、


やっと返す。




ドアが閉まる。



静かになる。




駐車場。



一台の車。



後部座席には、


チャイルドシート。



それを外す。



ゆっくりと持ち上げる。



軽い。




車の外へ運ぶ。



トランクの横を抜けようとしたとき——



ガリッ




鈍い音が鳴る。




角が、


トランクドアに当たっていた。




一瞬、


手が止まる。




何も言わない。




そのまま、


運ぶ。




チャイルドシートは、


向こうの車へと移される。



カチ、と音がする。



固定される。




蒼の車の後部座席は、


空になった。




外側。



トランクドアに、


細い線が残っている。




それは、


そのままそこに残る。




消えることはない。



ただ、


そんなのはどうでもよかった。





現在



コーヒーショップにて


車が走り出す。




「砂糖いる?」



「いらない」




コーヒーを受け取る。



「にが」




澪が少し顔をしかめて、


すぐに笑う。



「まぁいっか」




車は、


静かに流れていく。




「ねぇ」



「ん?」




「過去ってさ、無かったことには、出来ないよね」




「……」



蒼は何も言わない。




「でもさ」



「人って生きてるから」



「進むしかないっていうか」




「……そんな感じだよね」




「……なんだお前、急に」




「はぁ!?何その言い方!!」




「いや、いきなり哲学的な事言い出すからさ」




「別にいいじゃん!」




「うるせぇな」




少しだけ、


間。




ふっと、


笑いが漏れる。




澪も、


つられて笑う。





信号待ち。




ブルーグレーの車体




トランクドア




そこには、


二つの傷が並んでいた。




新しいものと、


古いもの。




どちらも、


消えない。





けれど、


その意味は——




まったく違っていた。




信号が変わる。




車は、


また前に進む。


埋まらないまま、


進んでいく。




それでも、


止まることはできない。

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