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波待ち。  作者: 阿部兄弟
3章 交錯と距離

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29/84

29話 「時化」


荒れるときは、


一気に来る。


⸻


⸻


止めようとしても、


もう遅い。


⸻


⸻


これは、


全部が崩れる日の話。


夕方。


リビングには、


静かな時間が流れていた。


⸻


テレビの音。


蓮の小さな寝息。


⸻


楓がソファに座っている。


沙耶香はキッチン。


⸻


蒼は、


その二人を見ていた。


⸻


「楓」


⸻


「ん?」


⸻


「悪いけど、ちょっと買い物行ってきてくれねぇ?」


⸻


「え?今?」


⸻


「すぐ終わるやつでいいから」


⸻


⸻


楓は一瞬だけ、


蒼の目を見る。


⸻


「……分かった」


⸻


立ち上がる。


⸻


⸻


——バタン


⸻


⸻


ドアが閉まる。


⸻


⸻


静かになる。


⸻


⸻


「……で」


⸻


蒼が口を開く。


⸻


「大事な話あるんだけど、大体分かってるよな?」


⸻


沙耶香は振り向かない。


⸻


「知らないふりか?」


⸻


⸻


空気が変わる。


⸻


⸻


「……何のことか分かんないんだけど」


⸻


「そうか」


⸻


⸻


蒼は一歩だけ近づく。


⸻


「じゃあ聞くけどさ」


⸻


「なんで最近、スマホ隠すんだよ」


⸻


「別に隠してないけど」


⸻


「視線も合わないし」


⸻


「気のせいじゃない?」


⸻


「色々、変わった」


⸻


⸻


一つずつ、


静かに詰めていく。


⸻


⸻


「……」


⸻


⸻


沙耶香の手が止まる。


⸻


⸻


「……何が言いたいの」


⸻


「言わせんなよ」


⸻


⸻


沈黙。


⸻


⸻


「……違う」


⸻


⸻


小さく漏れる。


⸻


⸻


「……違わねぇだろ」


⸻


⸻


その一言で、


何かが崩れる。


⸻


⸻


「……ごめん」


⸻


⸻


「……認めんのか」


⸻


「……うん」


⸻


⸻


空気が、


変わる。


⸻


⸻


「……なんでだよ」


⸻


⸻


「寂しかった...」


⸻


⸻


「は?」


⸻


⸻


「蒼、全然変わんないじゃん!」


⸻


「クールで、ぶっきらぼうで」


⸻


「優しいのは分かるけど」


⸻


「それってさ、分かる人にしか分かんない優しさじゃん!」


⸻


⸻


涙が落ちる。


⸻


⸻


「もっとちゃんと出してほしかった」


⸻


「新婚なのに、全然キラキラしてなかった」


⸻


⸻


「周りの友達はさ」


⸻


「ちゃんと“好き”って言われてて」


⸻


「ちゃんと見られてて」


⸻


⸻


「私だけ、置いてかれてる気がした」


⸻


⸻


「それに……」


⸻


「楓との方が距離も近いじゃん」


⸻


⸻



「兄妹なのは分かってるんだけどさ…」



——プツン


⸻


⸻


「……ふざけんなよ」


⸻


⸻


声が落ちる。


⸻


⸻


「お前のそのくだらないエゴに」


⸻


「周りを巻き込むなよ!!」


⸻


「ふざけんなよ!!」


⸻


⸻


初めて、


声を荒げた。


⸻


⸻


「寂しい?」


⸻


「キラキラしてない?」


⸻


⸻


「だからって浮気していい理由になるかよ」


⸻


⸻


呼吸が荒れる。


⸻


⸻


「楓まで巻き込んで」


⸻


「何やってんだよお前……!」


⸻


⸻


——でも。


⸻


⸻


その言葉が、


自分に返ってくる。


⸻


⸻


蓮が生まれた日。


⸻


守ると決めた瞬間。


⸻


⸻


そこから、


やっと頑張ろうとした自分。


⸻


⸻


全部、


遅い。


⸻


⸻


いつかこうなると、分かっていた。


見ないふりをしていただけ。



「……は」


⸻


⸻


力が抜ける。


⸻


⸻


「……俺か」


⸻


⸻


「……全部、俺が原因か」


⸻


⸻


怒りが、


冷めていく。


⸻


⸻


「……でも」


⸻


⸻


顔を上げる。


⸻


⸻


「蓮は関係ねぇだろ」


⸻


⸻


「どーすんだよ」


⸻


⸻


⸻


沈黙。


⸻


⸻


「……離婚しよ」


⸻


⸻


あまりにも、


あっさりと。


⸻


⸻


蒼は何も言わない。


⸻


ただ、


横目で見る。


⸻


⸻


⸻


数日後。


⸻


⸻


部屋は少しずつ、


片付いていく。


⸻


⸻


電話が鳴る。


⸻


——沙耶香の母


⸻


「……はい」


⸻


「蒼君、本当にごめんなさいね」


⸻


「今回のことは、うちの娘が全部悪い」


⸻


「それは分かってるの」


⸻


⸻


「蒼君が悪くないのも、分かってる」


⸻


⸻


「……でもね」


⸻


⸻


空気が変わる。


⸻


⸻


「親権のことなんだけど」


⸻


⸻


「やっぱり母親の方が強いのよ」


⸻


⸻


「それに蒼くん……」


⸻


「中卒だし」


⸻


「ご両親も……ほら」


⸻


⸻


言葉を濁す。


⸻


⸻


「裁判になったら、厳しいと思うの」


⸻


⸻


「蓮くんのためにもね」


⸻


⸻


⸻


通話が切れる。


⸻


⸻


⸻


何もかも、


持っていかれる気がした。


⸻


⸻


⸻


まるで、


全部さらわれるみたいに。


⸻


⸻


⸻


時化みたいに。


守るつもりだった。


⸻


全部、


守れると思っていた。


⸻


⸻


——でも、


何も残らなかった。

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