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波待ち。  作者: 阿部兄弟
3章 交錯と距離

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27/84

27話 「停留」

進めないわけじゃない。


⸻


進まないだけだ。


⸻


⸻


分かっているのに、


踏み出せない。


⸻


⸻


これは、


その“止まっている時間”の話。


⸻


「蒼は?」


⸻


「泣かせたりするタイプだった?」


⸻


⸻


急に、


トーンが落ちる。


⸻


⸻


「んなわけねーだろ」


⸻


⸻


少しだけ間。


⸻


⸻


「……いや、そんな感じかもな」


⸻


⸻


⸻


「ちょっとこっち見て」


⸻


⸻


澪がスマホを取り出す。


⸻


⸻


「は?」


⸻


⸻


カシャッ


⸻


⸻


「ほら」


⸻


⸻


画面を見せられる。


⸻


⸻


そこには、


無表情で前を見ている自分。


⸻


⸻


「海上がってから、ずーっとこの顔だよ?」


⸻


⸻


「死んだ魚みたいな目してる」


⸻


⸻


「うるせぇな」


⸻


⸻


でも、


否定はしない。


⸻


⸻


⸻


「なんでそういう顔になってるのかは」


⸻


⸻


「大体想像つくんだけどさ」


⸻


⸻


⸻


澪は、


少しだけ視線を落とす。


⸻


⸻


「いいと思うよ」


⸻


⸻


「思い出すのは」


⸻


⸻


⸻


蒼は何も言わない。


⸻


⸻


⸻


「私の場合はさ」


⸻


⸻


「切り離していい過去だったけど」


⸻


⸻


「蒼の場合は」


⸻


⸻


「切り離さなくていいところもあるんじゃない?」


⸻


⸻


⸻


その言葉に、


ふと、


何かが浮かぶ。


⸻


⸻


⸻


小さな顔。


⸻


⸻


⸻


蓮。


⸻


⸻


⸻


「……」


⸻


⸻


⸻


「今度さ」


⸻


⸻


澪が、


少しだけ柔らかく笑う。


⸻


⸻


「気が向いたらでいいから」


⸻


⸻


「話してよ」


⸻


⸻


「子供のこと」


⸻


⸻


⸻


優しい声。


⸻


⸻


⸻


蒼の表情が、


ほんの少しだけ緩む。


⸻


⸻


「あぁ」


⸻


⸻


「今度な」


⸻


⸻


⸻


その言葉のあと。


⸻


⸻


意識は、


自然と過去へと沈んでいく。


⸻


⸻


⸻


⸻


退院してからの生活は、


思っていたよりも、


ずっと忙しかった。


⸻


夜中に何度も起きて、


ミルクを作って。


⸻


泣けば抱き上げて、


背中をさする。


⸻


⸻


「……よし」


⸻


小さく呟く。


⸻


腕の中で、


蓮は少しずつ落ち着いていく。


⸻


⸻


軽い。


⸻


⸻


でも、


確かに重い。


⸻


⸻


責任みたいなものが、


そこにあった。


⸻


⸻


⸻


朝。


⸻


眠い目をこすりながら、


仕事へ向かう。


⸻


⸻


鉄工場の音が、


いつもより少しだけ遠く感じる。


⸻


⸻


それでも、


手は止めない。


⸻


⸻


⸻


「最近ちゃんとしてんな」


⸻


⸻


先輩に言われる。


⸻


⸻


「いや普通ですよ。」


⸻


⸻


短く返す。


⸻


⸻


⸻


家に帰る。


⸻


⸻


「ただいま」


⸻


⸻


「おかえり」


⸻


⸻


その声の向こうで、


蓮が小さく泣く。


⸻


⸻


「俺やる」


⸻


⸻


自然と体が動く。


⸻


⸻


抱き上げる。


⸻


⸻


泣き声が、


少しずつ弱くなる。


⸻


⸻


⸻


「……ありがと」


⸻


⸻


沙耶香が、


小さく言う。


⸻


⸻


「別に」


⸻


⸻


⸻


それでいいと思っていた。


⸻


⸻


こうやって、


ちゃんとやっていれば。


⸻


⸻


⸻


上手くいくと


思っていた。


⸻


⸻


⸻


ある日。


⸻


⸻


蓮が寝たあと。


⸻


⸻


リビングには、


静かな時間が流れていた。


⸻


⸻


テレビの音だけが、


小さく響く。


⸻


⸻


沙耶香は、


ソファに座っている。


⸻


⸻


手にはスマホ。


⸻


⸻


画面を見て、


少しだけ視線を落とす。


⸻


⸻


「……」


⸻


⸻


何も言わない。


⸻


⸻


⸻


「風呂、先入る?」


⸻


⸻


蒼が言う。


⸻


⸻


「あ……うん」


⸻


⸻


それだけ。


⸻


⸻


⸻


会話は、


それ以上続かない。


⸻


⸻


⸻


違和感。


⸻


⸻


⸻


でも、


名前はつけなかった。


⸻


⸻


⸻


つけなくても、


やることは変わらない。


⸻


⸻


仕事をして、


帰ってきて、


子供を見る。


⸻


⸻


それでいい。


⸻


⸻


それで、


十分だと思っていた。


⸻


⸻


⸻


楓は、


その空気を感じていた。


⸻


⸻


蓮を抱きながら、


二人の様子を見る。


⸻


⸻


笑っている。


⸻


⸻


でも、


どこかズレている。


⸻


⸻


⸻


「……」


⸻


⸻


何も言わない。


⸻


⸻


言えない。


⸻


⸻


⸻


「蓮かわいいね」


⸻


⸻


それだけを言う。


⸻


⸻


⸻


現在。


⸻


⸻


車は、


静かに走っている。


⸻


⸻


「何か飲みたくない?」


⸻


⸻


澪が口を開く。


⸻


⸻


「ラーメン食べた後って喉渇くじゃん?」


⸻


⸻


「まぁな」


⸻


⸻


「コーヒーでも飲むか?」


⸻


⸻


蒼が聞く。


⸻


⸻


⸻


澪は、


前を見たまま答える。


⸻


⸻


「いいね!ドライブスルー出来るとこ行こ!」


⸻


⸻


目的地へ向かう。


⸻


⸻




目的があろうが、なかろうが




⸻


⸻


⸻


進むしかない。


⸻


⸻


⸻


止まっていても仕方がない。



⸻




自分でも分かっていた。



---

波は、


もう来ている。


⸻


⸻


それでも、


動けない。


⸻


⸻


——踏み出すのは、


もう少し先の話。

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