27話 「停留」
進めないわけじゃない。
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進まないだけだ。
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分かっているのに、
踏み出せない。
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これは、
その“止まっている時間”の話。
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「蒼は?」
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「泣かせたりするタイプだった?」
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急に、
トーンが落ちる。
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「んなわけねーだろ」
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少しだけ間。
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「……いや、そんな感じかもな」
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「ちょっとこっち見て」
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澪がスマホを取り出す。
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「は?」
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カシャッ
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「ほら」
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画面を見せられる。
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そこには、
無表情で前を見ている自分。
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「海上がってから、ずーっとこの顔だよ?」
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「死んだ魚みたいな目してる」
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「うるせぇな」
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でも、
否定はしない。
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「なんでそういう顔になってるのかは」
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「大体想像つくんだけどさ」
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澪は、
少しだけ視線を落とす。
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「いいと思うよ」
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「思い出すのは」
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蒼は何も言わない。
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「私の場合はさ」
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「切り離していい過去だったけど」
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「蒼の場合は」
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「切り離さなくていいところもあるんじゃない?」
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その言葉に、
ふと、
何かが浮かぶ。
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小さな顔。
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蓮。
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「……」
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「今度さ」
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澪が、
少しだけ柔らかく笑う。
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「気が向いたらでいいから」
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「話してよ」
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「子供のこと」
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優しい声。
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蒼の表情が、
ほんの少しだけ緩む。
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「あぁ」
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「今度な」
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その言葉のあと。
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意識は、
自然と過去へと沈んでいく。
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退院してからの生活は、
思っていたよりも、
ずっと忙しかった。
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夜中に何度も起きて、
ミルクを作って。
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泣けば抱き上げて、
背中をさする。
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「……よし」
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小さく呟く。
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腕の中で、
蓮は少しずつ落ち着いていく。
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軽い。
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でも、
確かに重い。
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責任みたいなものが、
そこにあった。
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朝。
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眠い目をこすりながら、
仕事へ向かう。
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鉄工場の音が、
いつもより少しだけ遠く感じる。
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それでも、
手は止めない。
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「最近ちゃんとしてんな」
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先輩に言われる。
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「いや普通ですよ。」
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短く返す。
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家に帰る。
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「ただいま」
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「おかえり」
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その声の向こうで、
蓮が小さく泣く。
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「俺やる」
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自然と体が動く。
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抱き上げる。
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泣き声が、
少しずつ弱くなる。
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「……ありがと」
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沙耶香が、
小さく言う。
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「別に」
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それでいいと思っていた。
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こうやって、
ちゃんとやっていれば。
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上手くいくと
思っていた。
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ある日。
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蓮が寝たあと。
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リビングには、
静かな時間が流れていた。
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テレビの音だけが、
小さく響く。
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沙耶香は、
ソファに座っている。
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手にはスマホ。
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画面を見て、
少しだけ視線を落とす。
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「……」
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何も言わない。
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「風呂、先入る?」
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蒼が言う。
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「あ……うん」
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それだけ。
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会話は、
それ以上続かない。
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違和感。
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でも、
名前はつけなかった。
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つけなくても、
やることは変わらない。
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仕事をして、
帰ってきて、
子供を見る。
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それでいい。
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それで、
十分だと思っていた。
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楓は、
その空気を感じていた。
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蓮を抱きながら、
二人の様子を見る。
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笑っている。
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でも、
どこかズレている。
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「……」
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何も言わない。
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言えない。
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「蓮かわいいね」
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それだけを言う。
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現在。
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車は、
静かに走っている。
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「何か飲みたくない?」
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澪が口を開く。
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「ラーメン食べた後って喉渇くじゃん?」
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「まぁな」
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「コーヒーでも飲むか?」
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蒼が聞く。
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澪は、
前を見たまま答える。
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「いいね!ドライブスルー出来るとこ行こ!」
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目的地へ向かう。
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目的があろうが、なかろうが
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進むしかない。
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止まっていても仕方がない。
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自分でも分かっていた。
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波は、
もう来ている。
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それでも、
動けない。
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——踏み出すのは、
もう少し先の話。




