16話 「心凪」
特別なことは、何もない。
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ただ、続いているだけ。
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どうでもいい会話。
くだらないやり取り。
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それなのに。
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少しずつ、
何かが変わっていく。
スマホが震える。
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休憩時間。
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店内のバックヤード。
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少しだけざわついた空気。
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澪はスマホを見る。
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蒼から。
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「板を下に潜らせて波を越える方法」
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一瞬、止まる。
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「……なるほど?」
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小さく呟く。
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少し考えて、打つ。
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「それって私もできる?」
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送信。
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すぐに返ってくる。
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「出来なきゃキツイし」
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少し間。
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「その為に俺がいんだろ」
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澪の手が止まる。
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ほんの少しだけ。
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口元が緩む。
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その瞬間。
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「なになに〜?」
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横から声。
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「“その為に俺がいんだろ”だって〜!!」
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耳元で囁くように。
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「澪もすみに置けないねぇ〜?」
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澪が一気に振り向く。
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「ちょっと!」
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スマホを隠す。
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「違うってば!」
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少し焦りながら。
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「ただサーフィン教えてもらってるだけ!」
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同僚はニヤニヤしてる。
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「はいはい」
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腕を組んで。
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「そういうことにしといてあげる」
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悪そうな顔。
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澪はため息をつく。
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「ほんと違うからね…」
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そう言いながらも。
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もう一度、スマホを見る。
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さっきの一文。
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「その為に俺がいんだろ」
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胸の奥が、
少しだけ温かくなる。
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でも。
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同時に、
ほんの少しだけ怖い。
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——また、同じになったら
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一瞬よぎる。
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でも。
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首を軽く振る。
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「……違うよね」
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小さく呟く。
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その言葉は、
誰にも聞こえない。
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再会したあの日から、二週間。
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特別なことは、何もなかった。
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ただ。
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たわいもないLINEが、
続いている。
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天気の話。
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仕事の愚痴。
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どうでもいい冗談。
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それだけなのに。
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なぜか、続いていた。
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ブー。
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スマホが震える。
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澪。
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「明日休み!コーチの出番だよ!」
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蒼は画面を見て、
少し首を傾げる。
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「コーチへのリスペクトが足りない。無理。」
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すぐに既読。
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「嘘です教えてください。」
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間髪入れず。
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蒼がふっと笑う。
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「よろしい。」
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少し間。
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「7時に迎えに行く。」
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送信。
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画面の向こうで、
澪もきっと笑ってる。
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布団の中。
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澪はスマホを胸に置く。
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暗い天井。
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「……楽しみ」
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ぽつりと漏れる。
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こんなふうに。
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未来を楽しみに思うのは、
いつぶりだろう。
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生き甲斐。
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やり甲斐。
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よく分からないけど。
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「こういうことなのかな」
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小さく笑う。
ただのやり取りのはずなのに、
それが途切れないだけで、
少しだけ安心してしまう。
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名前を見て、
既読を確認して、
返事を待つ。
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そんなことの繰り返しが、
少しずつ距離を変えていく。
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まだ、はっきりしないまま。
でも、確実に。




