12話 「笑顔と涙」
人は、気づかないうちに変わっていく。
優しさだと思っていたものが、
いつの間にか、自分を縛るものになっていたりする。
正しい言葉に守られているようで、
少しずつ、何かを失っていく。
それでも人は、
それが“普通”だと思ってしまう。
——これは、
その“普通”から、少しだけ目を逸らした瞬間の話。
「蒼みたいな人とだったら…違ったのかな」
蒼は何も聞かない。
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聞けば、全部分かる気がする。
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でも。
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あえて、触れない。
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「ねぇ」
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澪が前を見たまま言う。
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「綺麗じゃない?夕日」
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空が、ゆっくり色を変えていく。
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昼とも夜ともつかない時間。
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「ここさ」
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少しだけ笑う。
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「私の穴場なんだよね」
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指で遠くをなぞる。
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「嫌なことあったときとか」
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「なんか辛いときとか」
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少し間。
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「ここ来るんだよね」
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昔から。
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理由は分からないのに。
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なぜか、来てた。
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蒼も同じ方向を見る。
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「確かに、綺麗だな」
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少し目を細める。
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「なんか近く感じる」
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少し間。
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「見透かされてるみたいだな」
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澪が小さく笑う。
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「わかる」
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「自分と向き合ってる感じ」
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少し間。
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「これで良かったのかな、とか」
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「違ったかな、とか」
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軽く笑う。
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「まぁ、後悔するなら最初からやるなって話なんだけどね」
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その言い方。
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軽いのに。
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どこか、自分を削ってる。
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澪は視線を落とす。
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その瞬間。
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蒼が言う。
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「否定されるかもって思うか?」
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空気が、少し変わる。
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「え?」
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蒼は続ける。
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「突っ込まれるかも、とか」
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少し間。
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「だから先に自分で言う」
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澪を見る。
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「そんな感じだろ」
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言葉が、止まる。
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蒼が続ける。
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「昔の澪なら」
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少し間。
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「そんなことしてないと思うけどな」
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風が吹く。
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澪は何も言えない。
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蒼は視線を戻す。
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「それってさ」
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「楽かもしれないけど」
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少し間。
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「自分で自分、傷つけてるだけだぞ」
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核心。
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言葉が、逃げ場をなくす。
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澪の中で、何かが揺れる。
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分かってる。
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ずっと。
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気づいてた。
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でも。
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「その方が楽だから」
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誰かに傷つけられるくらいなら。
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自分で先に。
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言葉にならない。
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ただ。
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夕焼けが、滲む。
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「そんな…学生時代みたいにキャッキャできないでしょ」
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澪が少し笑う。
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「もうアラサーなのに」
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その笑い方。
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少しだけ、焦ってる。
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蒼は視線を外さない。
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「外の話じゃねぇよ」
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短く。
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「中身の話」
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少し間。
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「なんかあんだろ」
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澪を見る。
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「お前をそうさせたやつ」
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空気が止まる。
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澪は少しだけ笑う。
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でも、その笑いは続かない。
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「すごいね、蒼」
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小さく。
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「全部、筒抜け」
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少し間。
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「…元旦那かな」
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蒼は何も言わない。
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でも。
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——やっぱりな
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澪が続ける。
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「優しいとこもあったんだけどさ」
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少し間。
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「なんていうか」
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言葉を探す。
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「支配されてるっていうか」
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「掌握されてる感じ」
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夕焼けが、少しだけ濃くなる。
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「評価を上げて」
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「落とされる」
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「そうするとさ」
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「また落とされるのが怖くなって」
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「こうしなきゃ」
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「ああしなきゃって」
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「気づいたら、そればっかり考えてて」
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少し息を吐く。
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「服も」
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「メイクも」
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「全部」
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「決められてる感じがするの」
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少しだけ顔を上げる。
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「直接言われてるわけじゃないんだよ?」
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「でも」
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「そうさせられてる感じ」
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蒼は何も言わず、
煙を大きく吐き出す。
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澪が続ける。
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「離婚してもさ」
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「それが抜けなくて」
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「人と話すとき」
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「この人が私を嫌いになるまで」
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「どのくらいかかるんだろうって」
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声が少しだけ震える。
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澪の表情が、固まる。
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「……たくねぇな」
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澪
「え?」
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蒼が少しだけ笑う。
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くしゃっと。
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「そんな顔」
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「見たくねぇよ」
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その笑い。
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さっきまでと違う。
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作ってない。
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澪が少しだけ目を見開く。
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——こんな顔、するんだ
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気づいたら。
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涙が出ていた。
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蒼が続ける。
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「もう関わらねぇやつの亡霊に」
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「いつまでも縛られてんなよ」
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声は強い。
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でも、押しつけじゃない。
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「お前はお前の人生だろ」
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「それじゃ、別れても意味ねぇじゃん」
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少し間。
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「全部、自分で決めろ」
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「迷って」
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「考えて」
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「それでも答え出ねぇなら」
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少しだけ笑う。
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「それが答えなんだよ」
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風が吹く。
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蒼が少し視線を逸らす。
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「それでもさ」
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「どうしても」
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「誰かに頼りてぇとき」
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「怖ぇって思うときは」
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少しだけ間。
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「俺に言え」
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静かになる。
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澪は涙を拭きながら笑う。
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「なんでそこで蒼なのよ」
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少しだけ、声が戻ってる。
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蒼は肩をすくめる。
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「なんとなく」
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夕焼けが、二人を包む。
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さっきまでより、
少しだけ世界が軽くなっていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
第1章は、
澪が“壊れていくまで”と、
“気づき始めるまで”の物語でした。
優しさに見えるもの。
正しさに見えるもの。
それが本当に自分のためなのか、
それとも、自分を縛るものなのか。
その違いに気づくのは、
いつも少し遅い。
でも。
遅くても、気づけたなら、
そこから変わることはできる。
第2章では、
止まっていた時間が、少しずつ動き始めます。
蒼と澪。
過去と今。
その交差が、
どう変わっていくのか。
——ここからが、本当の物語です。




