第2話 叡智の魔導司祭
「ヴァレリウス、おまえ…どうしたんだ」
ヴァレリウスは尋常ではない表情をしている。それを見たオズモンドまで青ざめている。
(あのナイフは何だ?まさか俺にむけられているのか?)
冷や汗が縫い目の見えない服にしみ込んでいく。
「ま、待て!ヴァレリウス、落ち着け…ちょっとよろけて足が引っ掛かっただけじゃないか……そんな物騒なものは置いて…な…な…」
ヴァレリウスは何も答えない、ただオズモンドの言葉に反して、ナイフを抱きしめるかのように握りしめている。そのナイフの刃で、自分の手や体を切ってしまわないか心配になるほど。
「おい、危ないぞ…そんなもんは絶対に離した方がいいものだ…な…な………な…」
ヴァレリウスは無言で必死に首を振っている。
(ヤバイなこいつ…もうかかわらないほうがいいか?…いや、あの顔見ろ、ヤバすぎるぞ。いつか歩いてるところを背後から刺されるかもしれん…謝るか?オレが?ヴァレリウスに?冗談だろう?)
自尊心を保ちつつヴァレリウスの機嫌を取る、その境界線が難しく、オズモンドは苦笑いをしている。
「まあ、な、まあ、とりあえず落ち着こう……なっ」
オズモンドが一歩、右足を前に出す。
肩も腰もベルトのバックルも斜めになり、バックルは夕方の日常を小さく映す。
それは、隣の家の入口で、これから帰る男が手持ちランタンの火を借りている…そんな他愛もない光景。バックルの中で小さい小さいオレンジが光っただけ…。
ヴァレリウスは叫び声をあげそうになる。
「グ…ガッ………」
と、ヴァレリウスは何とか叫び声を押し殺し、オズモンドに向かって走り出す。
「ひいいぃぃぃ~~~~っっ!!」
今度はオズモンドが情けない悲鳴を上げる。後ずさりの一歩目でつまずいて尻もちをつく。
(やばい!やられるっ!!)
そう思いながらを見上げているオズモンドの横を、ヴァレリウスはすり抜けていく。ナイフはしっかりと…抱きかかえるように握られたまま。
オズモンドはしばらく動けなかった。一旦、尻もちをついた状態のままあたりを気にし、ヴァレリウスがいないのを確認して、
「ふざけんなよ、バカやろう……」
と、つぶやいた。
再び街に出たヴァレリウスは、相変わらず異様な姿で走っている。
角を曲がる。
ちゃんと意志を持って曲がったように見える。つまり、目的地があるのだろう。
愛おしい人でもいるのか?まさか、オズモンド以外に殺したい相手がいるのか?わからない。ただ必死に走っている。
まったく振り返りもしない。
街灯はなく、暗く、外を歩く人々の数は減った。かといって真っ暗でもないので、まだ手持ちランタンを持っている人は少ない。隣の家で火を借りていた男は、街はずれまでかなり歩くので、知り合いの家で早めに火を借りたのだろう。
夜が来る前の街の真ん中を、不気味な男が切り裂いていく…その名をヴァレリウスと言った。
風よけに角の薄板でくるまれた、くすんだ光の手持ちランタンを持った男の横を全速力で通り過ぎる瞬間に、自分の身を切り裂くのではと思うほどに抱え込まれたナイフの磨かれた側面が、ギラリ、と光った。
ランタンの男はギョッとして足を止めた。ランタンの光はナイフの反射よりもヴァレリウスの目に反射していて、その目は、恐怖と警戒心でランタンを凝視していた。
通り過ぎたヴァレリウスは走り続ける。けして振り返ることはしない。
汗は流れ、肺も心臓もカラカラに乾くほどに息は熱かった。
走るヴァレリウス。
ヴァレリウスが走る道の先に協会が見えてくる。
教会の中でゆれるロウソクの弱々しい光が、ぼんやりと窓から漏れている。
小さな町には不釣り合いな立派な教会。
教会の中には一人の男がいた。
聖人として天下に名をとどろかせる、叡智の魔導司祭…ラジールである。
ラジールの白魔法には、治癒や破邪の力があり、若い頃は冒険者をしていて、ダンジョンの最下層にその名を刻んだこともあるという。
教会の扉が勢い良く開き、ヴァレリウスが転げるように飛び込んできた。
「ああ…ラジール様……」
ヴァレリウスがやっと言葉を発した。ラジールの姿を見て安心したのか、汗まみれの歪んだ表情が、かすかに微笑んだ。
「ラジール様…ラジール様…」
息が上がってそれ以上しゃべれない様子。
ヴァレリウスは四つん這いで息をととのえている。
ラジールはヴァレリウスの横を歩いて通り、入口の扉を閉める。
ゆっくりと歩いて戻ってきて、ヴァレリウスの前に立つ。
「ああ……死にたくない。ラジール様…どうかお助けを」
「話を聞きましょう」
ヴァレリウスは奥の部屋に通され、一杯の水を出される。
「ありがとうございます」
ヴァレリウスの心は、その一杯の水が聖水であるかのように浄化していった。…そんな気がした。
ラジールはイスを引き、ヴァレリウスの向かいにゆっくりと座りながら言う。
「ウィルオウィスプでも見ましたかな……」
ヴァレリウスが勢い良く頭を上げてラジールの顔を見る。その表情には恐怖と安心の感情が見て取れた。
「なぜお分かりになったのですか」




