【第二十三話】『頼る』という選択。
「あ、山下さん、お疲れ様」
事務所を出ると、丁度山下さんがいたので声をかける。
すると、彼女が驚いたのか、目を見開いた。
「…お疲れ様です」
「…さっきはきつい言い方しちゃってごめんね。ちょっとお願いしたい事があるんだけど、いいかな?」
そう言って、水族館のチケットを取ってきて欲しい事を伝えてみた。すると、思いの外、彼女の顔がぱぁっと輝く。
「わあっ! 近くの水族館! 私、気になってたのにまだ行ったことなかったんですよ。地元が函館なので」
「…そっか。じゃあ一人暮らし? 山下さん、大学二年生だっけ…」
すると、彼女が嬉しそうに頷く。
「はい! そうです」
「そっか。勉強もある中で、この宿で働くのは大変だと思うけど宜しくね。このあと水族館のチケット、事務所まで持ってきてくれたら今日はもう上がっていいから」
私がお願いすると嬉しそうにジャケットを着て外出していった。
私は山下さんにお願いした事で久しぶりに空いた時間で、ようやく各宿泊サイトの口コミに返信する時間を作ることが出来た。
インスタントコーヒーを淹れて一息吐く。
考えてみたら、こんな風にコーヒーを淹れたのも久しぶりだった。
(なんだ、もっと早く他の人にお願いすれば良かったな…)
そんな事を思いながら心の中で、アドバイスをくれた桐谷さんに感謝した。
帰ってきた山下さんには、御礼も兼ねてお着き菓子に出している久慈浜餅をいくつかあげた。
賞味期限が迫っているものはこうしてスタッフにお裾分けしている。どうやら久慈浜餅を食べるのも初めてだったようでとても喜んでくれた。
「ありがとうございます!」
そう言って嬉しそうに帰っていく彼女の後ろ姿に手を振る。
──多分、私はもう、『自分で動かなきゃいけない立場』ではなくて、『動いて貰わなくちゃいけない立場』になってしまったのだ。
人を頼って任せたり、信じるのはなかなか難しい。
(それでも、頼らねぇとパンクしてしまう…。もう少し、スタッフとも仲良くなれるように頑張らねぇとな…)
◇◇
「よ、日菜子。元気か?」
今日は爺ちゃんが倒れて以来久しぶりの休日だ。
何故か賢治に遊びに行こうと誘われた。
「んー…まあまあかな」
私が訝しげな顔で答えると、賢治がニカッと笑った。
「んだば、行くか」
「えー、どこに?」
すると、賢治は口の端を上げた。
「内緒だ」
『いいからいいから』と言われて、賢治の車に乗せられた。
賢治の好きな『King Gnu』のアルバムを聴きながら車に揺られること15分。
賢治の車が、少し昭和レトロなこぢんまりとしたカフェの前で泊まった。
「…ここ」
思わず私は目を見開いてしまう。
「…この前日菜子んちに行った時に、テレビ見て行ってみてぇって言ってたから」
そう言って賢治が顔を逸らす。
(…覚えててくれたんだ…)
なんだか胸があったかくなってくる。
「…ありがと」
「…おう」
私がお礼を言うと、賢治が少し照れくさそうに笑い、二人でカフェの中に入っていく。
「──どれにする?」
店内は可愛らしいカントリーな家具でまとめられている。食事メニューは洋食が中心である。
「んだば、このデミグラスオムライスにする!」
「俺はカツカレーにする」
メニューが決まると、賢治がお店の人に注文してくれた。
(賢治と二人で出掛けたのって初めてかも…)
急にそんなことに気づいて、なんだか照れ臭くなってきてしまう。
「…賢治は、最近仕事は忙しい?」
「んー…特に変わらねぇな。なして?」
「いや、うちの仕事、結構手伝って貰っちゃってるから、その。大丈夫かなって…」
すると、賢治がわしゃわしゃと私の頭を撫でた。
「そんなの気にすんなって」
「わ、ちょっと、ぐちゃぐちゃになっちゃうからやめてってば! 前も言ったべ」
そんな事を言っていると、食事が運ばれてきた。
テーブルの上で美味しそうなカツカレーとキノコやエビの入ったデミグラスソースがかかったオムライスが美味しそうに湯気を立てている。
「わあっ! 頂きます」
私は目を輝かせてオムライスを人匙掬う。
口の中に入れると、卵の優しい味ととろとろの食感が広がっていった。デミグラスソースの味がいいアクセントになっている。
「美味しいっ!」
すると、賢治が私を見て口許を綻ばせた。
「…よかったらカツカレーも食うか?」
「いいのっ? んだばカツを一切れだけもらうね! 賢治も良かったら、こっちの方手をつけてないから食べてもいいよ」
賢治に貰ったカツもサクサクでお肉が柔らかくてとっても美味しかった。
そんな私を見て賢治は嬉しそうに笑った。
「やっと笑ったな。おばさんが、最近日菜子、元気ねぇって言ってたから」
その言葉に私は思わず顔を上げる。
「…もしかして、心配してくれてた?」
「──まあ」
ポリポリと頭を掻く賢治に笑いが込み上げてくる。
「ふふっ、ありがとう! 食べよっか」
「ああ」
あっという間にランチを平らげた私達は幸せな気持ちでお店を後にした。
◇◇
「では、菅谷さんと山下さん、いらっしゃーい!」
数日後。平日のお客様が少ない夜に、菅谷さんと山下さんの歓迎会が近くの焼鳥屋で開かれた。
「菅谷さん、最近困ってることとかないべか?」
(これからもっと頼っていかなきゃならねぇし、スタッフと仲良くならねぇと…)
私がそう思いながらお酒を注ぎに行くと、笑顔で頷いてくれた。
「お陰様で、楽しく働かせて頂いてます。松本さんも自由に色々やらせてくださいますし」
そう言って菅谷さんは笑顔で焼鳥を頬張っている。
「菅谷さんはセンスいいからなぁ。フレンチ勉強してただけあって、盛り付けも綺麗だし女性ウケしそうなメニューもすぐに考えてくれるし。俺もがんばらねぇと…」
松本さんが隣で頷いている。
(…良かった。松本さんともうまくいってるみてぇで)
私はホッと胸を撫で下ろす。
向こうの席では山下さんが、谷口さんと楽しそうに飲んでいる。アルバイトの他のメンバーともだいぶ打ち解けて仲良くなったみたいでキャーキャー騒いでいる。
「今度彼氏と泊まりに来ていいですか?」
アルバイトの子の言葉に私は笑顔で頷く。
「うんっ! もちろん! 感想も教えてくれると嬉しいかも」
どうやら山下さんは結構陽気な性格のようだ。
とあるお笑い芸人のモノマネをしてくれたが、結構似ていて思わず笑ってしまった。
ちなみに、婆ちゃんは旅館で留守番をしている。
(…あとで残った焼鳥持ってってあげよう)
皆が和気藹々飲んでいて、なんだか嬉しくなりながら、私は笑顔でジョッキを傾けた。
◇◇
「よっ! 日菜子。お手を拝借!」
──数日後。爺ちゃんが退院した。
母ちゃんに支えられながら、エントランスに停められたタクシーを降りる爺ちゃんに、私は慌てて駆け寄る。
「爺ちゃんっ! おかえりっ!!」
私は大慌てで爺ちゃんに手を差し伸べて支える。
何だか少し、痩せた気がする。
「いない間、けっぱってくれてたんだってな。婆っちゃに聞いた。本当にありがとうな。──爺ちゃんも婆ちゃんも、日菜子が女将になってくれて、本当にえがったわ」
そう言って少し疲れた顔で笑う爺ちゃんに、なんだか涙腺が緩くなってきてしまう。
「──私、立派にこの宿継げるようにけっぱるから! んだはんで、無理しないで」
私の言葉に爺ちゃんは目を見開いたあと、嬉しそうに笑った。
「ああ。爺っちゃ、確かに今までみてぇには働けねぇけどよ。それでもずっと見てるし、相談くれぇにはのることが出来る。困ったことがあったら、これからもちゃんと相談してほしい。
んだはんで、一人で抱え込むなよ?」
そう言われてなんだか胸が締め付けられる。
「…ありがとう」
「ああ」
泣きそうな顔で頷く私の背中を、爺ちゃんが目を綻ばせてポンポンと叩いてくれた。
そんな私達は見て、なぜか母がボソッと、
「…青春だべな」
と呟いた。
──こうして『湯宿 のんびりや』は爺ちゃんが引退することになり、新たな体制で続けていくことになった。




