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服の下を透視する能力を得たら、あなたは何をしますか?  作者: メモ帳パンダ
過去との対峙

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第85話 森の賢者

 俺は日本武道館の中心で、二回戦の相手と向き合っていた。

 蹲踞の合図まで、ほんの数呼吸。息を整える間に、頭の中だけが勝手に騒ぎ出す。


 武見くんは関東の大学生だ。

 噂では警視庁への特別採用が決まっているらしい。


 丹下くんも、彼には一目置いている。

 控え室で丹下くんに癖や弱点を聞いた。

 返ってきたのは、曖昧な笑いだけだった。

 丹下くん曰く、俺のスタイルで突ける弱点はない。


『ヒノくんが勝てるかなぁ? 君の能力で弱点見つけたら教えてな』


 そう言われた時点で、俺の勝算が薄いのは間違いない。

 ……というか、俺の秘密、丹下くんにバレてる気がするんだよな。

 まぁ、今さら隠すほどでもない。減るもんじゃないし。


 大学選手権で武見くんと戦った時、俺は怪我している足にかなり負担をかけた。

 最後には立つことすらできないところまで追い込んだ。

 まだ後遺症が残っていれば、そこを突けたんだけど……。


 武見くんの怪我をしていた足は、残念ながら完治しているようだ。

 足首の可動、重心の置き方、踏み込みの迷い――あの時の痛みを庇っていた筋肉の癖が消えている。


 立ち姿だけで分かる。この男は俺よりもはるかに強い。


 視線の焦点を、筋肉の動きに合わせる。


 合図と同時に、武見くんの右脚――腓腹筋が収縮する。

 ヒェ……いきなりかよ。

 最初から面で来る。受けて、弾く。

 筋肉の動きで分かってはいたが、浅い。反応しても、間に合わない。


 一呼吸つく暇すら与えてくれない。

 右前腕の浅指屈筋が締まる。左の三角筋もつられて張る。

 ……次は小手か。

 小手返しを狙おうとするが不発。


 というか、前とは別人だ。

 才能あるやつは厄介だ。体格もセンスも揃ってる。


 速い。攻めの間がなく、追いつけない。

 打突のあとに間がない。次の意図が、もう体に出ている。


「うぉっ……」


 押されっぱなしだ。次も面。

 俺は抜き胴を試みるが、踏み込みの速さに押され、胴に入れず、身体を開いてかわすだけで終わる。


 そこで気づく。ここまでが、狙いだった。

 ――まずい。抜き胴を外した反動で体勢が崩れた。


 踏み替えが半歩遅れる。左腰が抜けたまま、前だけが残る。

 左の腹斜筋と内転筋が収縮したまま、動けない。

 立て直しに回り、右足も十分に踏み替えられない。分かっていても、足元が一瞬死ぬ。


 その瞬間、相手の咬筋がぐっと盛り上がる。

 面の奥で、奥歯を噛み締めたのが見えた。

 同時に、腹横筋、広背筋、右大腿四頭筋、右腓腹筋が一気につながる。

 そうだよなぁ。こんな隙を見逃してくれる相手ではないよなぁ。


 武見くんの声が、武道館に響く。


「面ッ――」


 ただの面じゃない。全身全霊の面だ。


 左腹の筋肉が動かない。逃げられない。

 ――受けるしかない。

 俺は避けきれないと判断し、とっさに竹刀を立てて受けた。


「ッ!!……」


 直後、凄まじい衝撃が腕に走る。

 この一撃は、咬筋の噛み締めから体幹、下半身まで完全に連動している。

 外すことを一切考えていない、渾身の一撃だ。

 それを手首だけで受けてしまった。だから握力が一瞬ほどけかけ、竹刀が浮く。


 指が言うことをきかない。柄が遠い。握り直す暇もなく、呼吸だけが荒くなる。

 こんなに強い面を真正面から喰らうのは初めてかもしれない。

 いつもはこんな状態にならないように立ち振る舞う。


 竹刀を落とさないだけで精一杯だ。

 こんな状態にされた時点で、もう負けだ。

 それでも、武見くんは容赦なく追撃してくる。


 もう距離を取るしかない。

 腹に力を入れて無理やり床を蹴る。その瞬間だった。

 次の打ちの起こりが見えた。


 俺が距離を切るために手元をわずかに上げた、その空間へ、武見くんは強引に面を通してくる。


「面ッ――」


 面が直撃する。

 審判の旗が一斉に上がる。一本取られてしまった。


 俺が手元を上げた瞬間だけを狙ってきた。

 これは丹下くんにもよく指摘される、俺が距離を切るときの癖だ。

 たぶん、データを与えすぎたんだろうなぁ。

 最初から掌の上で転がされていた。何手も前から、ここを狙っていたんだ。


「ヒノくん、頑張れー!」


 二階席の上段から、先輩の声が聞こえてきた。

 だけど、さすがにこの手の状態では難しいだろうな。


 試合は再開されたが、手首が言うことを聞かない。

 今までの激闘が嘘のようだった。

 二本目は簡単に取られて、俺は負けてしまった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


「いや、酷い目にあった」


 竹刀を置いても痺れが残る。柄を握るだけでじんとする。

 そのまま控え室に戻った俺は勝ち残っているゴリラ――いや、警察官たちに慰められていた。

 ゴリラは優しい。森の賢者って呼ばれるのも納得だ。


 というか、警察関係者には恨まれてると思ってたけど意外にみんな俺にフレンドリーだ。

 兵庫県警も初戦で当たった一人は敵意丸出しだったが、それ以外は相当いい人だった。


 実は、俺が倒した十一人の警官たちの一人は姫路西警察署の副署長にまで昇進しているらしい。

 初戦で当たった彼は副署長から直々に激励されていたんだとか。

 兵庫県警の別の出場者は笑いながら言っていた。


「彼は真面目なだけなんだ。悪く思わないでやってね」


 尊敬する上官の無念を晴らそうと、彼はここ最近すごい気迫で練習してたんだとか。


 嫌な話を聞いてしまった。

 あの十一人の中から、そこまで出世した人間が出たのか。

 副署長ってのは、ノンキャリ警察官の出世の最高地点の一つだ。

 

 地元に帰るときは、警察官に絶対に気づかれないようにしないといけないな。

 姫路市内を歩いていて職質でもされたら、転び公妨をでっち上げられて、その場でしょっ引かれそうだ。

 そうなったら、署の代用監獄で二十三日勾留コースにされかねない。


 ――地元に帰る時には、サングラス、マスク、ニット帽の完全装備で出歩かなければいけないな。

 そんな決意を固めていると、スマホが鳴った。先輩からのLINEだ。


『試合お疲れ様!残念だったね!』


 そんな書き出しから始まる長文。

 要するに――『友人のところに預けているファシアちゃんがブチ切れているので早く大阪に帰ろう』だった。

 昨日の夜にビデオ通話した時は大人しく愛想良く猫を被ってたんだけどな……。

 やっぱ、一緒に寝ないと暴れるらしい。


 さ、帰るか。大阪に。

 明日からは、また何も変わらない日常だ。

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