第81話 最終兵器先輩
キャンプ二日目。
いつも通り、隣で寝ている筋肉の怪物に驚くという定例行事を済ませて、目が覚めた。
まだ寝起きに人がいるという状況に慣れないんだよなぁ。家ではまだ別部屋だし。
寝起きはだいたい筋肉だけの世界になる。理由は分からないが、三十分ほど経たないと能力を調整できない。
「ニャッ!」
目覚めた俺の元に全身筋肉の愛猫がやってきた。相変わらず左右対称で美しい筋膜と筋肉だ。
ファシアちゃんは俺と先輩が一緒に寝ているので大満足しているようだ。夜中に何回か俺の寝袋に入ってきた。交互に行き来してたんだろう。
普段は毎日どっちの部屋で寝るか選んでるから、両方楽しめるってやつか。
物音で起こしてしまったのか、横の寝袋から声が聞こえてくる。
「おはよぅ、ヒノくん。ちょっと寝不足だからもう少し寝るね……」
「まだ6時なので、数時間ゆっくり寝ててください」
俺の恋人の綾辻先輩は、もう少し寝たい様子だ。寝ぼけた様子の貴重な先輩。
慣れないキャンプと、夜中に何度も寝袋に入ってくる愛猫ファシアちゃんの睡眠妨害が重なって、疲れが出てるんだろう。
ファシアにハーネスをつけると、テントの外に出たがった。
この子はテントの周りを新しい縄張りに決めたみたいで、匂いを嗅ぎ回っている。
何か気に入らない匂いがあったようで、テントの柱に尻尾を擦り付けて縄張りの主張を始めた。かわいい。
「ファシアちゃん、散歩行く?」
「ニャ」
今は縄張りの死守に忙しいらしく、返事は適当だった。
その縄張り、昼にはキャンプ場をチェックアウトするから捨てることになると思うぞ。
「ニャッ!」
縄張りの主張に満足したのか、ファシアは俺の近くに寄ってきた。
昨日と同じように川に鳥でも見に行くか。
歩いていると、前から大型犬を散歩させている男の人が歩いてきた。
年齢は分からないけど、多分高齢の男性かな。
まだ寝起きで外見がうまく見えない。
犬種もよく分からないけど、耳の形からして、ゴールデンレトリバーあたりだろう。
ファシアは立ち止まり、俺の後ろに隠れて威嚇し始めた。
「おはようございます、かわいい猫ちゃんですね」
「おはようございます!その子はゴールデンレトリバーですか?」
話しかけてくれたので少しだけ話をする。
ワンちゃんは妙に俺に興味津々だった。
まぁ、俺の素晴らしい人間性が、この子にも伝わってるんだろうな。
番犬っぽい強面の犬にも好かれてしまう。
いいドクターってやつは、動物に好かれちまうんだ。
「はへぇ、高松から来られたんですね」
「週末はこのキャンプ場に来ていてね。この辺りは釣りの名所で、今日はその帰りなんだ」
「毎週来ているのはすごいですね」
話しているうちに、気づいてしまった。
朝のピントが合わない状態の能力、それが勝手に発動してしまったわけだ。
――この人、右肺に腫瘍があるな。
肺の色からして喫煙者、もしくは過去に吸っていた人だろう。
腫瘍は黄白色で3cmくらい。
なんとも形容し難い不定形で、腫瘍の周囲はギザギザしている。
実を言うと腫瘍というのは、見た目だけじゃ治療が必要かどうかは分からない。良性の腫瘍の場合は別に問題はない。
でも、この人は気道を圧迫していそうだ。良性でも取った方がいい気がする。
話の途中で、老人が顔を背けた。
「失礼……ゴホンッ」
少し湿った咳。気道を圧迫しているから、咳が出るんだろうか。
悪性の場合は早めに治療しなければ命に関わる。
悪性新生物。いわゆる癌は死因の四分の一を占める。
日本人の死因の第一位だ。
「咳、大丈夫ですか? 一回病院に行った方がいいんじゃないですか?」
「いやいや、これくらい昔からでね。妻に言われて去年から禁煙したから、そのうち治るよ」
……まともに能力が制御できない朝は困るな。
うーん、見つけてしまった以上は救いたい。
とはいえ、ただの通行人でしかない俺は病院に行くことを強制できない。
モヤモヤするなぁ。
ファシアとゴールデンレトリバーの睨み合い――というか一方的に愛猫が喧嘩売ってるだけだが――を見ながら、俺はなんともやるせない気持ちになった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ファシアちゃんのバードウォッチングに付き合ってから、テントに帰ると、先輩は既に起きていた。
お湯を沸かしてコーヒーを飲んでいる。
この頃には能力の制御を取り戻し、すっかり元通りの視界になっていた。
「っていうことがあったんですよ」
俺の愚痴を黙って聞いてくれていた先輩。
少し考え込んでから答えてくれた。
「うーん、ヒノくんも大変ね。歩いているだけで人の生死を司ってしまうなんて」
その後に先輩と少し話をする。
話題は『俺の見た腫瘍が悪性か』というものだ。
といってもどちらも医学生なのでそこまで詳しくない。
「うーん、見た目がギザギザしてたなら悪性腫瘍の可能性が高いんじゃない?」
「ですよね。授業では良性のものはもっと丸いと習いました」
とりあえず、俺たちが導いた結論は、あの老人をとにかく検査させないといけないということだ。
癌は見た目だけではわからない。
最終的には摘出した腫瘍を病理検査して、その性質、例えば増殖速度を判断する必要がある。そこで初めて悪性かどうかが分かる。
癌というのは、患者さんの細胞が変異したものだ。変異パターンの組み合わせは無数にあって、腫瘍ごとにそれぞれ個性を持つ。
場合によっては効く薬が全然違うことすらある。
「というわけで、先輩。説得お願いします!」
「えぇ、私が行くの!?」
俺の相談に乗ってるだけのつもりだった先輩は、突然自分に仕事を振られて困惑した様子。
俺の話力では、あの老人を説得できなかった。
あんまり強く言っても警戒されると思うしなぁ。
こういうのは、適材適所があると思うんだ。
俺は基本的に理詰めでしか会話できないから、曖昧な説得は難しい。
だけどウチの彼女は『俺の能力で妊娠を見抜いた』みたいな訳のわからない状況でも解決できる。あの状態で口車に乗せて妊娠検査までさせたんだからな。
「表に繋がれているワンちゃん目当てで近づくとかどうでしょう?」
老人のテントは散歩の帰り道に特定してある。
テントの前にワンちゃんいたし。
「簡単に言ってくれるわね……」
先輩は渋っていたが、手を握って真剣にお願いすることで渋々承諾してくれた。
とりあえず、切り札の先輩は送り出した。
成功を祈りつつ、俺はテントで待つことにした。
「ニャ」
ファシアちゃんが近寄ってくるのでマッサージをしてあげる。
愛猫とイチャイチャしていると、十分もしないうちに先輩が帰ってきた。
「とりあえず、なんとかしてきたよ……」
疲れた様子でそんなことを言ってくる先輩。
話を聞くと、病院に行くことを約束させたらしい。
さらに携帯の電話番号も交換して、検査の結果も教えてもらえるよう頼んだとのこと。
どうやったらそんなことができるんだろう。
疲労困憊の様子で寝袋に入ってしまった先輩から聞き出したところによると、医学生であることを開示して、症状を説明。
更に奥さんも巻き込んで病院に行くように仕向けたらしい。
「うーん、さすがだなぁ」
俺に先輩ほどのコミュ力があれば、もっと多くの人を救えたのかもなぁ。
先輩が淹れてくれたコーヒーを飲みながら、小さくため息をつくのであった。




