第79話 失敗するヒノくん
テントの中から聞こえるファシアちゃんの引き止めるような声に後ろ髪を引かれながら周りを見渡す。
少し離れたところに、野次馬の輪ができている場所があった。
俺は少し早足になって、そちらへ向かった。
「すみません、通してください」
そう言うと、パッと野次馬の輪が割れた。
先輩が話を通してくれていたに違いない。
輪の中にいたのは、中学生くらいの男の子だった。
泣かずに我慢している。歯を食いしばって、足を動かさないようにしている。
右足には真新しい手当てがされている。
能力を使うと、包帯の下の擦過傷が見えた。
割と痛そうだ。
俺は近くにいた父親らしき人物に目線を合わせながら聞いた。
「大丈夫ですか。どこで転んだ感じですかね」
「そこの階段から落ちちゃったみたいで」
事情を聞くと、管理棟の方に登る階段から転落したらしい。
先輩からは転けたと聞いていたけど、これ、転落事故か。
多分周囲から聞き取ったんだろう。こういう伝達ミスはよくあることだ。
かなり大きな音がテントの中にいる俺にも聞こえていた。
結構な衝撃だったんだろうな、と思った。
しばらくすると、背後から先輩も合流した。
先輩にはファシアちゃんが逃げ出さないようにする作業をお願いしていた。
『ファシアちゃんはテントの中のケージに入れてきた』、と先輩が小声で言う。
その後に、俺に教えてくれた。
「ご両親は、今すぐ病院に連れていくか迷ってるみたいなの」
なかなかの高さから落ちたとはいえ、擦りむき程度では、まぁ悩むよなぁ。
応急処置もできているなら、なおさら判断が難しい。
子どもの怪我は見た目だけじゃ決めにくい。
主訴が曖昧だし、骨も柔らかいから骨折も見つけにくい。
悩んでいた先輩が呼び出したのが――テントで猫と遊んでいた人間MRI、つまり俺だ。
「ちょっと右足、捻挫っぽいですね。このままキャンプ続行は難しいかも」
俺の一言に、先輩がぽつりと呟いた。
「やっぱヒノくんの目、反則よね……」
何故かジト目になっている先輩の目線を意識しないようにしながら、俺は少年に声をかけた。
「右の足首、動かすと痛い? 体重かけるとどう」
俺の言葉に少年は首を傾げた。
「んー、分かんないです!」
「分かんないかぁ……」
なら仕方がないな。
多分、高いところから落ちたショックでアドレナリンがドバドバ出てて、痛みなんて感じないんだろうなぁ。
頭から足先まで、ざっと目で追う。
一番心配な頭部には問題がない。
右足は見た目は擦り傷がひどいけど、骨の変形はなさそうだ。
足首の筋肉は炎症を起こし始めている。捻挫だ。
今は痛みをあまり感じていないようでも、外から分かるほどの炎症になったら激痛が来るだろう。
ただ、気になったのは右手だ。
骨を見るだけでは分かりにくいが、周りの筋肉が炎症を起こし始めている。
じっくり見ていく。
「うん、右手首、多分折れてますね」
主訴にはなかったが、転落したときに右手で地面をついたんだろう。
いわゆる若木骨折だ。
成長期の子どもの骨はしなる分、見た目じゃ分かりにくい折れ方をする。
俺の目を使っても分かりにくい骨折だ。
ギョッとしたように右手首を見る少年と、その両親。
少年の両親は先輩の顔を見る。
目に『本当なの?』って文字が書いてあるように見えた。
そりゃ信じられないだろうなぁ。
俺はただの私服の青年だ。
何か処置でもしたら、その手際から判断できるかもしれないけれども、俺は横でじっと眺めているだけだ。
普段なら脈を取るなり基本を確認する。
だけど先輩が診ているなら、と省略していた。
さっきまで猫と遊んでいて、手に毛がついてるからアレルギー起こされても困るしな。
結果、触れもせずに骨折を宣告する胡散臭い存在が出来上がったわけだ。
先輩は困ったように眉を寄せて口を開いた。
言葉を選んでいるのが分かった。
この人は超能力者なんです、なんて言えないだろうしな。
「この人も医学生なんです。私よりも知識があるので信頼できます。整形外科に連れて行ってください」
「そうなんですね……」
母親はそう言いつつも、まだ少し怪しんでいる。
俺に質問してきた。
「救急車は、呼んだ方がいいですか」
「迷うなら7119に聞くのが早いです」
7119は救急相談の番号で、看護師が緊急性を判断してくれる。
全国共通のサービスではないが、大阪と兵庫は対応している。
その番号を伝えると、母親がスマホで電話をかけ始めた。
「痛み止めとかって持ってます? 捻挫も多分してるんで、炎症を抑えとく意味でも飲ませた方がいいかもしれない」
そう言うと、父親が薬を取りに車の方に戻っていった。
NSAIDsと総称される痛み止めの薬は非常に便利だ。ロキソニンとかが有名だな。
15歳未満には使用できないが年齢を聞く限り彼には使用できる。
痛みだけじゃなく炎症もある程度抑えられる。
炎症を抑えるので、風邪の辛い症状を緩和したりすることもできたりするわけだ。
父親が持ってきたNSAIDsの用量を確認してから、男の子に飲んでもらった。
母親はその間に7119と話し終わったようだ。
「救急車が来てくれるらしいです」
まあ、あの高さからの転落なら、頭を打っている可能性も否定できない。
救急隊は常に最悪を予想して動く。妥当な判断だと思う。
母親は俺と先輩に何度もお礼を言った。
ひとまず救急車が来る。ここまでで俺の仕事は終わりだ。
怪我に対する俺の能力なんてこんなもんだ。
結局、どんな病院でも見つけられる怪我を拾ってるだけだ。
先輩が救急箱を片付けているのを横目に、少年の顔色を見る。
骨折している割にピンピンしている。
うん、今のところ大丈夫そうだ。
ほっとした矢先だった。
少年の母親が近くに置かれたロキソニンに目を止めた。
彼女もどこか痛いのか、薬の箱を手に取って自分で飲もうとする。
俺は慌てて止めた。
「あぁ、お母さん。それ、あなたが飲んじゃいけない薬ですよ」
「そうなんですか? ちょっと頭痛があって、飲もうと思っただけなんですが」
俺は箱を受け取り、裏面の注意書きを指でなぞった。
わりと有名なんだが、少年の母親は知らないようだ。
「ほら、『妊婦は服用前に医師又は薬剤師に相談してください』って書いてありますよ」
実はNSAIDsは妊娠中は特に注意が必要だ。
特に妊娠後期には使えない。
胎児に影響が出る可能性があるからだ。
もちろん医師が必要と判断すれば使うこともある。
ただ、頭痛程度ならリスクの低い他の薬の選択肢がある。
医学生として、これを止められた方がよかったかもしれない。
知らずに飲み続けていたら、胎児の健康に影響があるリスクがあるからな。
俺は瓶を返そうとした。
その瞬間、周りの空気が凍っていることに気づいた。
少年の両親が不審げな目で俺を見ている。
「妊婦って……私のことですか」
まずい。まだ本人が気づいてなかったか。
実は少年の母親も、ついでに怪我がないか見ていた。
少年が怪我した時に一緒にいたと言っていたからな。
そのとき癖で、能力を使って確認してしまっていた。
医療現場でよく言われる言葉がある。
『女性を見たら妊娠していると思え』
妊娠していると、普段の治療でも害になり得ることが山ほどある。
だから俺は鍼治療をするときでも毎回確認している。
妊娠してるな、と軽く流していた。
……でも、本人は気づいていなかったのか。
胎児の大きさ的に5週目くらいだろうから、もう気づいているものかと思っていた。
言い訳をすると、普通は外見にそこまで変化はなくても、生理周期の乱れで気づく。
周囲の視線が突き刺さる。足が勝手に後ずさった。
気まずくなった俺は、その場から逃げ出すことにした。
「先輩、あとの説明、任せますね」
「ちょっとヒノくん、置いていかないでよ!」
後ろから聞こえる先輩の小言を聞こえないふりをして、俺はテントに逃げ込んだ。
中へ入ると、ケージの中でファシアちゃんが熱烈歓迎してくれる。
俺はケージを開いて愛猫を解放しながら、語りかけた。
「ファシアちゃん、ちょっと失敗しちゃった……」
「ニャッ!」
俺はその毛並みに顔を埋めながら、次からは気をつけようと固く誓った。




