第73話 ハマチ大好き
インターフォンの前で名乗ってから数秒、家の奥で足音がして、鍵が開く音がした。
ドアが開き、母が出てきた。記憶より少し老けた母だ。
「タケシ、おかえり」
母は今にも泣きそうで、俺は目の置き場に困った。気まずい沈黙が落ちた。
このままだと沈黙に飲まれそうだったので、とりあえず挨拶だけ済ませて、すぐ先輩を紹介することにした。
「こちらが、今お付き合いしている、綾辻 美咲さんです」
綾辻先輩は一瞬、固まった。
『この雰囲気で自己紹介するの?』という顔をしてから、すっと背筋を伸ばす。
「綾辻です。タケシくんとお付き合いさせていただいています」
母は一度息を飲んでから「上がって」と言い、俺たちをリビングへ通してくれた。
そこに父がいた。……老けたなぁ。
一番顔を合わせにくいのは父だった。あのとき、警官と一緒に入ってきた父まで巻き込む形になったからだ。
「おう、おかえり」
「あぁ、父さん。久しぶりだね」
あの事件以来、父とまともに言葉を交わすのは初めてだった。
俺も避けてたし、父の方から話しかけてくることもなかった。
一応、父も武道経験者だ。中学生にボコボコにされるのは、なかなか堪えるものがあったんだろう。
先輩は母のときと同じように、丁寧に頭を下げた。
父は少し驚いたような顔で、俺と先輩を交互に見ていた。
美人さんだからな。しかも優しい。
美人で優しい。しかも勉強もできる。完璧超人だ。
「とりあえず、お土産。最近、大阪で流行ってるんだよ」
大阪名物の『御座候』の今川焼きを、母に渡した。
「お、おう」
母は受け取ってから父の方を見た。父も「お、おう」と頷いた。
二人とも何か言いたげだ。
きっと都会のお土産に喜びすぎて言葉が見つからないんだろう。
それから俺は、両親に近況を話した。
高校で出会ったこと、鍼灸師になろうと思ったこと、母の従兄弟の鍼灸院の院長にお世話になったこと。
二人とも医学部なこと。剣道の大会で、ちょっといい成績を残せたこと。
母が「大変やったんやね」と小さく言って、俺は頷いた。
意外なことに、両親とは不思議なくらい自然に話せた。
先輩が合いの手を入れてくれるたびに、場の空気が少しずつほどけていった。
連絡を躊躇していた俺が、馬鹿みたいだった。
泊まっていくように勧められたが、それは断った。
もうホテルを取ってあって、と言って断った。……海鮮丼のために。
「じゃあ、父さん母さん。また帰ってくるね」
駅前でタクシーに乗り、そのままホテルへ向かった。
姫路市内から少し離れた、海沿いのリゾートホテルのスイートルーム。
実家から帰ってきた俺は、ようやく人心地がついていた。
「ファシアちゃんはどんな様子かなぁ」
「ん、ちょっと聞いてみるね」
今回は二人での旅行ということで、愛猫のファシアちゃんは先輩の知り合いに預けている。
何度か顔合わせしてから預けたので、大丈夫な筈だ。
しばらくメッセージでやり取りしていた先輩が、顔を上げた。
「私たちがいないことに怒って大暴れしているらしいよ」
差し出されたビデオ通話の画面を見ると、ブチ切れたファシアちゃんがスマホに向かって、何度も体当たりしていた。
「ファシアちゃん〜、ご飯食べれているかい」
『シャッ!』
これだけ元気なら安心だろう。
緊張がほどけた途端、疲れがどっと来た。俺はそのままベッドに倒れ込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝、温泉で心身をリラックスさせ、快適な朝を迎えた。
朝風呂で体を温めて部屋に戻り、ベッドに腰を下ろした、そのときだった。
横から気配を感じる。そちらを見た俺は、驚きのあまりベッドから転がり落ちた。
「うぉっ!?」
寝起きで能力が入ったままだったせいで、隣の人間が筋肉の塊に見えたんだ。
その化け物の方から、可愛らしい声が聞こえた。
「ん、なに……?」
普通に先輩だった。
毎回これだ。オフに切り替えるまで、だいたい十分かかる。
やっぱ、ファシアちゃん以外が寝起きに目の前にいると、ちょっとびっくりするな。
「おはようございます、先輩」
「んー、おはよう。今日もダメだったの?」
実は先輩の要望で、数回ほど一緒のベッドで寝ることを試している。
でも毎回、ベッドから転げ落ちてしまう。
ファシアちゃんも慣れたから、なんとかなると思うんだけどなぁ。
まぁ、それも時間が解決してくれるだろう。
「そうですね、そんなことより海鮮丼です。行きましょう、行きましょう!」
「ちょっと支度するから待っててねー」
先輩は洗面台の方に消えていった。
窓からは美しい瀬戸内海と、そこに浮かぶ島々が見える。
実はここは、姫路市内から少し離れた観光リゾートなのだ。
俺の誕生日祝いってことで先輩が全額出してくれたんだけど、ありがたい。けど金額だけは怖くて聞けなかったりする。
「お待たせ、準備できたよ」
「じゃあ行きましょうか!」
バイキング会場はものすごく豪華だった。
刺身の山といくらの瓶を見た瞬間、俺のテンションが跳ね上がった。
実は俺は海鮮が大好きなのだ。
「んー、幸せ。やっぱ、ハマチは美味しいですね」
そんな俺を先輩はニコニコ見ていた。




